デジタル文化未来論

 小塚さん御自身がコンピュータを使うようになられたのはいつ頃からですか?

 やっぱりMacができてからです。デジタルフォントは昭和40年代からかかわりましたけど、当時はまだ個人でコンピュータを使える状況ではありせんでした。Macが出てきてイラストレーターという使いやすいソフトもあることを知って使うようになりました。その後の15年間に、それこそ驚天動地といった物凄い発展をしましたね。よく将来はどうなるかと聞かれるんですけど、私だって予測はむずかしい。恐らく今のフォントの形態は、10年、まあ、5年後には大きく変わってるでしょうね。ただ、いつの時代もそうですけれども、テクノロジーが先行して、デザインが後を追うんです。何故かと言うと、デザイナーがあまりテクノロジーを理解しようとしないというか、理解する時間がないんですよ。だからどうしても、それまでのデザインを新しいテクノロジーに置き換えるだけにとどまってしまうんですね。私がアドビに入りこの仕事に携われて非常に幸せだったのは、テクノロジーの開発と同時にデザインを進めることができたということです。それは非常に幸運でした。

 今回、小塚明朝を作られるにあたって、どんなことに留意されましたか?

小塚さん  もともと文字というのは、どんなに太くても細くても、人間が書いたものだから、その骨格の線があるはずです。それが身につけば、後はそれに明朝体という衣を着せたり、ゴシック体というコスチュームを着せれば、オーソドックスなタイプフェースはできるわけです。問題はその骨格を、どう把握するかですね。タイプフェースというのは、ヴィジュアルコミュニケーションの手段です。いわば目で見る言葉なんですね。たとえば久米宏がしゃべるとか、NHKのアナウンサーがしゃべると、それぞれ違います。オーソドックスな情報を伝えるには、あんまりふざけた言い方をしないほうがいい。NHK調のほうが情報が確実に伝わる場合がありますね。だけど、砕けた随筆とか漫画とか、そういうものには、そういうしゃべりかたをしたほうがいいじゃないですか。そういう意味で今度の場合は非常にオーソドックスな書体です。それにいろいろな技術的適性だとか、アドビの体質とかそういうものを盛り込む必要もある。
 それと日本には平仮名、片仮名という仮名文字があります。もともと仮名は、漢字と漢字を繋ぐ接読詞とか、あるいは動詞、形容詞の語尾の変化とか、そういった形で使ってますから、意味文字があって、仮名があって、意味文字があってと、こういう風なニュアンスで抑揚感のある文章になるわけです。世界中を見ても日本だけですよ、そういう組み合わせって。これは四季のある日本の風土が生んだんでしょう。それを活字の世界で、同じ四角のスペースの中に文字を押し込んで作るというのは、文字に対しては拷問です。ただ、組み版するには、やはり全体を定型化する必要がありますから、少なくともそういう精神を、どっかで盛り込みたいなというのは、一つの私の方針でもあるわけです。
 それと今回の様なオーソドックスなフォントは、どこに入ってもバランスのとれる、言い方は悪いですけど八方美人的な美しさも持たなきゃいけない。では、全く無個性でいいかと言うとそうでもない。たとえば六甲の水とか山梨のなんとか水を飲み較べても実際にはそんなに分らないですよね。だけど、それに比べ て水質はやっぱり違います。それがオーソドックスな書体の個性だと思うんです。ディスプレイ体は嗜好品ですから、コーヒーであり、ワインであり、ウイスキーと考えればいいんじゃないでしょうか。そういうもののデザインは、非常に個性的なものを追求すればいいんでね。


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