デジタル文化未来論

 「デジタル文化の出現によって、
  心や社会の一つのページがめくられたような気がします。」

香山さん


  デジタル文化が当たり前のように私達の日常に入ってきています。印刷技術やテレビが世に出た時も、人間の心や社会に大きな影響を与えましたが、デジタルな世界はそれよりもさらに複雑に、より広い範囲で、私達の何かを変えていっているような気がします。大きな時代の変わり目は、様々な矛盾や軋轢が生じます。そんな時代に生きる私達は、戸惑いつつ、大きなストレスに直面していますが、 今後、人間の心はこの変化にどのように対応してゆくのでしょうか?今回は、 現役の精神科医として臨床もされてい らっしゃる香山リカさんに、心とデジタル文化の関係についておたずねします。

 精神科の世界で、デジタル時代的な新しい症例というのは出てきていますか?

 私は田舎の病院にいるので、あまり都会的な人は来ないんですが、不登校とか引きこもりなんかの若い患者さんには、コンピュータ好きな人が非常に多いですね。こういう症例だと、昔だったら部屋の中に閉じこもって完全に世界を閉ざしているイメージがあったと思うんですけれども、現在は、その人は部屋に閉じこもっていても、実はインターネットを通して、別の国の人とメールのやりとりしていたり、アメリカの国会図書館で物を調べていたりと、情報空間という意味ではその家の誰よりも広く持っていることがあるんです。単純に自閉的な生活とは言えないんですね。その人達をどう考えればいいんだろうと、私達も戸惑っているんです。
 私は自分が興味を持っていることもあって、否定的には受け取らないんです。そういう人達は、コンピュータが得意だとかゲームが好きだとかという事を、今まで肯定的に評価された体験自体が少ないんですね。「そういうことばっかりしているから学校に行かないんじゃないか」と否定されることが多いので、まず肯定的に評価してあげるところから始めます。時にはメールアドレスを教えてもらって、メールのやりとりをすることもあります。

 どんなメールが来ますか?

 すごくストレートです。最初は表面的な情報が書いてあったりするんですが、突然その人の心の深いところ、こういう風に悩んでいるとか、こういうことで困っているとかが、そのままぽろっと書かれているようなメールが多いですね。コンピュータに向かっている時は、誰も見ていないということもあって、自分のプライベートなものに近い感覚なんでしょう。テレビだったら一家に1台ですけれど、コンピュータは一人に1台、非常に個別的な使い方をされていますよね。ただ、自分が思っていることを好きなように書けるというメリットはあると思うんですけれど、ちょっと気をつけなくてはいけないのは、メールって書いていくとモニタに活字が出てきますよね。私もそうなんですけれど、書いているうちにモニタ人格が別にできあがってしまって、思ってもいないことを書いていたり、別の自分になっていたりすることもあると思うんです。だからそこに書かれていることが、どれぐらい等身大に書かれていることかというのは、そのまま鵜呑みにはできないなという気がします。あと、こんなことを言っては何なんですが、どのメールもエヴァンゲリオンのシンジ君が書いたみたいな、わりと決まりきった文体のスタイルなんですよね。今の若い人は、デジタル的っていうか、中庸というのがすごい苦手で、極端に白か黒かという感じが多いですね。だから、自分が一番優れているという特権的な気持ちと、自分は世の中で一番ダメな人間だという、逆にまったく自信が無い状態か、どちらかなんです。すごくいばりくさって尊大にしているのに、ちょっと傷つけるようなことを言っちゃうと、「ああもうダメだ、死んだ方がいい」とか。すごく難しいですよ。



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