デジタル文化未来論

「自由という錯覚の中にいる、その方が逆に危険かもしれない。」

ピーター・バラカン さん



 人間の社会には、いつの時代もその国ごとの、主流となる思想や価値観があった。少数派は押しつぶされるか、成長して次の時代の主流になるか・・・。しかし現代は、国の境界は徐々に薄れ、様々な価値観が同時に存在することを受容し始めた。それを押し進めたひとつの要因がメディアであることに疑いの余地はないだろう。そして今、インターネットが普及したことによって、価値観はさらに多様化し、社会の中にいる個人のポジションも変化している。次世代の人間達はいったいどんな社会の中で生きていくのだろう?今回は、グローバルな音楽人であると同時に、異文化間コミュニケーションの先駆者でもあるピーター・バラカン氏にお話をうかがった。

 インターネットというグローバルなネットワークができたことによって、何が変わったと思われますか?

 インターネットは国境の壁を取り払ったと言う人がかなりいますけど、実際にそうなっているかというとどうだろう。インターネットに何を求めているのかによると思うんです。インターネットはデータとして情報を取り入れるのも早いし、世界のいろいろなものを入手できる。また、最近マスメディアもすごく画一的になってきて、動くお金の金額が大きくなればなるほどみんな無難な番組しか作らなくなっているから、たとえばクラシック音楽をラジオで聞きたい人は、多くの場合、そうなかなか聞くことができない。インターネットでは世界中に1500ぐらいの放送局がすでにあって、チリのクラシック専門局もそういう風に放送しているらしいですね。結局今の民主主義というのは多数決の世界だから、メディアのフォーマットが狭くなっている。と同時に、音楽業界はすごく多様化している。音楽だけじゃなくて、すべてのポピュラー文化はそうだと思うけど。それぞれ数は多くないかもしれないけれど、いろいろなものに興味を持つ人が増えている。そういう人達のニーズに一番応えているのがたぶんインターネットでしょうね。

 デジタル文化が発展すればするほど、先進国と発展途上国との間に非常に大きなコンピュータ環境の格差が生まれてくると思いますが、そのギャップはどんなことを生み出すのでしょうか?

 その国の経済が発達するかしないかは、かなりそういうコンピュータ環境によるでしょうね。ある人に聞いたんですが、MIT(マサチューセット工科大学)では、「テクノロジーのある国と無い国ではもう完全に地球が分かれていってしまう」という考え方をしているそうです。コンピュータテクノロジーのある国はどんどん発展し、無い国はもう完璧に置いていかれる。その人は「バスケットケース」と言っていたんだけど。「バスケットケース」と言うのは、全く機能しないお荷物というか、除外されてしまう存在、そのようなニュアンスです。でもコンピュータテクノロジーがあると幸せかというと、また僕は別の話だと思うな。もっとも貧しい国の方が、どこか根本的なレベルで幸せなのかもしれないという気もする。現代社会ではテクノロジーを進めながらも、短期的な成功しか頭にない。何のために生まれてきたか、とかどうしてここにいるかとかあんまり考えなくなった。新しいおもちゃに目がくらんでしまわないように、バランスのとれた生活感覚が必要なんじゃないかな、と自分にもいつも言い聞かせてる。



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