デジタル文化未来論

ピーター・バラカンさん  例えば東西の壁はメディアの力によって壊れたとよく言われますね。

 もちろんテレビの力だけではそれはできなくて、もともと行動を起こす人がいないとね。そう言えば、おもしろいドキュメンタリー観たことがある。もうだいぶ前の事なので記憶が定かではないんだけど、ハンガリーとオーストリアの国境あたりかもしれない。まだ共産圏の国だった当時の東欧の人が、サッカーの試合をテレビで見たくて、ポータブルのテレビを積んで車でかなり高い丘の上まで行くんです。隣の国の電波を受信しようというわけですね。それでコートハンガーか何かを仮アンテナにして、車のボンネットの上にテレビを 乗せて見ていたら、チャンネルを回しているうちに偶然デモの様子が映った。そのことによって自分達も同じ行動を起こそうという気になったんだというストーリーでした。その力はすごいですね。だからこそメディアは何を流すか、メディアをコントロールする人は誰なのか、ということが重要になるんです。それを考えると必ずしもテレビという最もマスなメディアに期待できるとは思えない。

 例えばイランとか北朝鮮の人々はインターネットに触れる機会などあるんでしょうか?

 やっている人はほとんどいないと思う。一握りの学者ぐらいでしょう。でも誰かが情報をつかめば今度は口コミで広がるから、時間はかかっても影響はあると思います。まあそういう所にいる人達は情報から遮断されているわけですが、日本みたいな国は情報過多と言ってもいいぐらいです。でもその情報に偏りがあるし、伝わり方にもかなり問題がある。いい加減な事を伝えているメディアが多いですよね。一般的な日本の庶民は、情報にアクセスしようと思ったら、どんな情報にでもすぐにアクセスできます。コンピュータを買おうと思ったら、誰でもそのぐらいの財源はある。けれども、外国の状況についてどれぐらい知っているかって言ったら、北朝鮮とそんなに変わらないんじゃないでしょうか。自分達がどれぐらい洗脳されているかもほとんど気づかずにいるんじゃないかと思う。だから情報があればいいというものではなくて、自由という錯覚の中にいる、その方が逆に危険かもしれない。決して僕は錯覚している人達を非難するわけじゃなくて、むしろ錯覚させているメディア側の方を非難したいね。それと自分達で物事を考えるように育てなかった教育者に。その話を始めると1週間ぐらいかかっちゃうんだけど。(笑)

 今の子どもたちは、小さい頃からコンピュータやインターネットが当たり前のようにまわりにあるわけですが、彼らが大人になった時には、どのような社会になっているんでしょうか?

 情報のグローバルさは当たり前の事になっていくと思います。だからと言って人種偏見がなくなるかとか、ナショナリズムがなくなるかというとそうでもないと思う。むしろ僕が心配するのは、子供達が正しい、間違いという感覚をまだ十分に持っていないうちに、情報の洪水の中に入ってしまうことです。子供というのはいろいろな物事に影響されやすいですから。うちの子の学校では、今年から子供がイニシアチブをとってインターネットを使うようになるんです。それで学校から手紙が来て、そのことに対して了承するかどうか親がサインしなくてはならない。子供が インターネットを使い出すとどんな情報にぶつかるかわからないですからね。デマも多いしポルノも多いし、ああいう情報に接触させる前にまず、やっぱり懐疑心というか、自分でしっかり物事を考える能力を身につけさせるべき。うっかり子供でいられる時代じゃないよね。アメリカの一部の高校では、「マスメディアの行間を読む」という授業をやっているというのを知って、なるほどと思いました。マスメディアは第4の権力と言われているぐらいです。そのマスメディアから伝わってくる情報がはたして正しいかどうか、今は何が正しいかというのを少しは自分で察する力がないとダメだと思う。まあ「正しい」という言葉をあまり使いたくないんだけれど。とりあえず、日本人も小さい時から懐疑心を持つように、親が子供にそういう感覚を持たせることが必要だと思う。日本では親自身もたぶんそういう感覚を持ってないから難しいよね。


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