人間と芸術
COLDFEETの作品は、「音」だけでなく映像的な「ビジュアル」まで含めた総合的なアートと いう印象を受けます。お二人が目指しているのはどんな世界なのでしょうか? ワトゥシ:僕たちの音楽は、ジャンルで言えばドラムンベースとかトリップ・ホップと言われるんですけど、むしろ「そういうジャンルをおもしろがっている僕たち」というパーソナルな気持ちを、ジャンルを超えて表現できればと思うんですよね。映像的な感覚というのも、二人とも映画が大好きなんですけれども、作品的には決してサウンドトラックをねらったわけじゃない。ローリーと一緒にビデオ屋さんを回った時に、「ローリーはどんな作品が好き?どんな音楽が好き?」って聞いてみると、二人とも共通の作品が好きだったことがわかった。僕が、ローリーの声は『ブルーベルベット』のクラブの中で歌われているワンシーンのようなイメージを喚起させるというような話をしたんだけれども、それは何かっていうと音でも何でもなくて、トータルな匂いだったんです。アングルであったり風景であったり、そういう映像というかフォーカスされた匂いを詰め込みたいなと思った。映画音楽って時としてインナーな箱庭的な音楽に見えるけれど、僕らが出したいのはそういうインナーなムードよりも、そのような音楽を聴きながら笑い転げて楽しんでいる僕らのパーソナリティという感じかな。もちろん逆に、僕らが放った匂いが、聴く人に映像的な物をひっぱってこれるものになればいいなというのもあるんだけれど。 その「匂い」というのは、人間のある種の心象風景ですか?
ワトゥシ:いろいろあると思う。僕の中では、胸が充足感というのかな、「ムン」とくる度合いがあるんですよね。それが質感だったり音の感じだったりするのかもしれないけど。僕は構造みたいな事を気にしていて、それは映像というより、どちらかというと絵画的なのかもしれない。奥行きとか前後左右のバランスがきれいに合って見えた時に完成したと思うんですね。ローリーの声と何かのサウンドが混じり合った時、「ムン」という何かが生まれる感じがある。そのポイントを探しているんでしょうね。
ローリー:そうね。例えば子供の時に家族と映画を見に行った時、終わったあと全員で車に戻ってラジオをつける。でも、父はこういう時には音楽を聴きたくないと言うの。映画を見ている時の気分をラジオの音楽が乱すから。たとえば冒険映画を見た後は、自分がその物語の中に投影されて、わくわくするような気分に満ちている。吸い込まれていくようなそういう気持ちでいる。もちろんそれは目の前にあるリアリティとは違うものだとはわかっているけれど、そういう気分を楽しみたいというのが、人間にはあるのではないかしら。もしかすると匂いというのは、それぞれの人間の感情や人格が作りだすものなのかもしれない。私はそういう匂いを探しているの。
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