ホンダさんは日本のモータースポーツ写真家のパイオニアですが、そもそもF1の写真を撮り始めたきっかけは何だったのですか。

 最初にカメラに興味を持ったのは中学2年のときでした。当時カメラは2眼レフが主流で35ミリカメラはあまり出ていなかったのですが、サラリーマンの月給の3倍ほどもする高価なカメラを買って、家族の写真を撮ったりして遊んでいました。
 高校生になると勉強もせずにオートバイを乗りまわしていて、先生に「大学に行くなら学科の勉強がいらない芸術科に行け」と勧められましてね(笑)。それで大学の写真科に入ったのですが、大学で学んでいると、勉強は苦手で努力できなかったけれど、写真に関しては「あいつには負けたくない」っていう競争意識が芽生えましたね。
 大学でもオートバイへの興味は旺盛で、モトクロスのレースに出たりしていました。ただ職業としてバイクのライダーになれるほどの度胸はなかった(笑)。大学卒業後、有名な写真家の下で2年間助手として働きました。その後、出版社の嘱託としてフリーで仕事を始めたのですが、66年4月にアメリカやヨーロッパの一流レーサーが集まるF1レースを見て、そのスピード感とレースの雄大さにすっかり心を奪われてしまったんです。そのとき「こういう生き方があるんだ。こういう写真を撮りたいんだ」って強く感じましたね。私の気持ちを知ったイギリス人のF1チャンピオンがヨーロッパに誘ってくれたので、翌年の3月にヨーロッパに渡りました。海外で活動を始めるにあたり、本名は読み方も難しいので分かりやすいペンネームを考えました。「フェラーリ太郎」でも何でもよかったのだけど、当時はホンダがF1に参加していたのでこの名前を選びました。渡欧のときは「とにかく失敗してもいい。失敗したらまた最初からやり直せばいいんだ」っていう気持ちでしたね。
 当時のヨーロッパはまだ日本人がほとんどいなくて珍しかったためか、周りの人にとても親切にしてもらいました。日本のカメラの技術は当時でもかなりレベルが高く、私のような若者がそういう優秀なカメラを使っているものですから、周囲からはずいぶん羨ましがられました(笑)。 口うるさい親から離れたという解放感や、おおらかなヨーロッパの空気が自分にとって快適で、すっかり居心地が良くなって居ついてしまいましたね(笑)。

写真家としてはF1のどのようなところに魅力を感じますか。

 私はF1の写真というのはある意味で戦場の写真と同じだと思うんです。私がF1の写真を撮り始めたころはフランスの写真家カルティエ・ブレッソンがモノにした「決定的瞬間」が注目 されていましたが、F1も大きな事故と背中あわせの命をかけたレースです。自分の目の前で起こる大事故を撮るということは写真家としては大きな快感です。60年代後半ごろ、ヨーロッパでも自動車レースはまだマイナーでしたが、レース前の練習で事故などが起こるとマスコミが詰め掛けレースの観客も増える、といった状態でした。「事故が起こらなくてはだめ」という、まさに「火事現場の物見」的な感じに満ちた殺伐としたすごい雰囲気だった。特に金曜日は「魔の金曜日」と言われるほど大事故が多くて、「グッドラック」と言って送ったドライバーたちが直後に命を落としたりしましてね。「何で自分はこんなところにいるのだろう」って何度も思いましたね。
 69年のオランダグランプリでは車がコースアウトして炎上し、ドライバーが死亡したのですが、レース撮影後に乗った帰りの飛行機からそのサーキットを見下ろしたら、本当に美しい夕焼けが目に飛び込んできたんです。その美しい夕焼けを見ながらつくづくこういう現場で写真を撮っていることに嫌気がさした。それでたまらなくなって日本に帰ったけれども結局、油の匂いとエンジンの強烈な爆音が忘れられなくて、3、4週間後にはヨーロッパに戻っていましたね。それに久しぶりに帰った東京は息苦しかった。「日本は何かを失ってしまった」と感じましたね。私はレースが終わるとすぐにサーキットを後にします。油の匂いや爆音は好きですが、それ以上に自然の中に戻りたいという気持ちも強いんです。ヨーロッパはそういう意味でも私にとって良い環境でした。ホンダがF1から撤退した60年代の終わりごろにサファリラリーの撮影に行ったときにも「毎年車自体もどんどん変わっていくし人もたくさん死んでしまう。もう動物写真家にでもなろうかなあ」って思ったのですが、それでもやはりレースに戻ってしまいました。離れようとしてもやはりF1の魅力には強く惹き付けられたんでしょうね。
 何年もレースを撮り続けると「あのドライバーが並ぶとこういう事故が起こり、こういうショットが撮れるかもしれない」という写真家としての勘が養われて、他のカメラマンがカメラを構えていない場所で決定的な瞬間を撮ることができるようになりましたね。ファインダーからドライバーを見るとレースの緊張感がその表情からあふれ出ているんです。目の中に浮き出る血管、ひげをそった痕、焦っている顔、余裕の表情。そういう人間がひとつのことに集中しているときの表情を逃さず撮ろうとひたすら30年間、ファインダーをのぞき続けてきましたね。



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