インターネット等のテクノロジーの発展は性文化にどのような影響をもたらしていますか?
インターネット自体がどのような
影響をもたらしているかについては、
普及率の面などを見てもまだ結論を出すのは早いと思うのですが、しかしひとつ
言えることは、テクノロジーの変化とセックス産業は密接に結びついているという事実でしょうね。ビデオの普及はアダルトビデオ(以下AV)の登場を切り離せません。またAVが一気に
マーケットを拡大したのは二台目のテレビが家庭に入ったこと、つまりテレビがパーソナルメディアになったことがきっかけでした。 それに比べてITは当初からパーソナルメディア。パーソナルメディアを手にするとポルノ的な情報にアクセスしようとするのは火を見るより明らかでしょう。だからサイトの中でアダルト系のものが大きな
シェアを占めているのは当然だし、また
なかには公共性を欠いた人目をはばかるような陋劣な欲望を刺激する情報が大量に流れるのも避けられません。 人間はテクノロジーが進んだから倫理観を失った訳ではなくて、もともと倫理的な生き物ではないまま新しいテクノ
ロジーを手にしただけにすぎません。だから人間は、反倫理的な欲望でも、
それを解放するための公共性不在の技術的な手段を得ることができれば何でもしてしまうでしょうね。このような公共性なき無法地帯が現在のITだと言えます。ただ、公共性がないと言ってもチャットやフォーラムには現実には第三者のアクセスがあります。でもその
ことを利用者は忘れてしまいがちです。このような閉じたメディア環境そのものが恐ろしいですね。やはり何らかの
ルールをつくって無法地帯を法治地帯にしていく必要性があると思います。
倫理観については援助交際に関する興味深い調査結果が発表されていて、そこではチャンスがあれば援助交際を実行するかもしれない、という潜在層の多さが指摘されています。ここで分かることは実行する少女としない少女とを分けるのは「チャンスへのアクセスの近さ」だけで、倫理感による境界はないということなんです。当然
チャネルが増えるほどアクセスも近くなると言えるでしょう。そのうちにテレクラに変わってIT売春なども起こるでしょうね。
さて先程お話したように、ITがセクシャリティに与える影響についてまだ結論を
出すには早すぎますが、AVによる影 |
響は既にいくつか報告があります。
人間にとって
恋愛やセックスは本能ではなく文化であり、文化である以上「学習する」
ものなんです。ではどのような媒体から「学習する」か。
昔の少年少女は、恋愛はロマンス小説、
つまり活字媒体から学んでいました。少年少女は「ああ、これがあの小説に出てきた胸のときめきか」「これがあの本で言う宿命の恋というものなんだ」と活字で学習したシナリオを順になぞっていったんです。
この媒体が活字からAVに変わっていったことによる影響は明らかです。つまり性経験のない人々が経験に基づかない学習をAVからするためにド素人がウルトラC技をする傾向があります(笑)。こういう技は通常の性行動のメニューにはなかった新規メニューです。ああいうテクはおまえ達
ド素人がするものではない!と言いたくなるような傾向です(笑)。彼らがこのウル
トラC技をどこから学んだかというと、
「AVから」という答えが返ってきます。
AVがベッドの上での性的パフォーマンスのモデルを提供するために、そこには規範的圧力が生じます。それが男女に「こうせねばならない」という
気持ちを起こさせ、それが男性の自信
喪失、そして女性の欲求不満を招く結果になります。
もっとも女性がこのようなことで不満を募らせるということは、
自分の幸福や快楽は男から与えられるものと思っているから、つまり欲望や快楽に関して依存的だからです。相手に快楽の責任を負わせるのではなく、
自分が欲望の主体であることを引き
受ける意思を持てば、自ずと不満は解消するはずなのですが。
男性がAV男優のハイパー・パフォーマンスによって自信を失うのと同様なことが女性にも起こっています。つまり性的に魅力的なモデルと自分との距離を測って、自分が男にとって無価値ではないかと自信を喪失したり、あるいは男性との接触に拒否的・防衛的にある女性も驚くほど多い。このような性的アイデンティティの不安が青年期に現れると、男性の場合はひきこもり、そして女性は摂食障害などの形で表面化することがしばしばあります。ただ最近社会問題化しているひきこもりも、ITがない時代のひきこもりと比べれば、今はITという外部へのアクセスを持つことができる分いくらかはましだと思います。ひきこもりの人でも自分なりのコミュニケーションを求めている証拠ですね。
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