もはや「インターネットとはなにか」などと改めて考える必要もなく、ごく当たり前の情報伝達、コミュニケーションの手段として日々我々が利用しているインターネットだが、しかしなおまったく不安や居心地の悪さを感じないわけでもない。その漠然とした不安や居心地の悪さは何なのか、不安や居心地の悪さを感じつつ現段階のインターネットと我々はどのように向き合っていくべきか、改めて考えてみたい。

技術革新によって発展したインターネット

 インターネットが、これまでにない情報流通・ コミュニケーションのためのツールであることは、 ここで改めて述べるまでもないだろう。
 そしてインターネットが、現代のコンピュータ技術と通信技術の粋が集められたものであることに、異論を唱える読者もいないと思う。特にコンピュータという、文章、画像、音声、動画といった、我々が普段利用しているほとんどすべての情報メディアを瞬時に計算し処理する機械の発達は、インター ネットの発展に大きく寄与している。むろん、人間の扱う“情報”は上に挙げたものばかりでは ないし、身近なところだけを考えてもまだ、におい、味、手触りなどをコンピュータを介して伝えることは今のところ実現されていないわけだが、いずれコンピュータ技術のさらなる発達によって、現在扱え ない“情報”も、利用できるようになるかもしれない。
 発生当初は、メール、メーリングリスト、ニュースグループといった文字、文章による情報発信や コミュニケーションだけを扱ってきたインターネットだが、WWW(World Wide Web)という技術が登場してのち、いわゆるパーソナルコンピュータの急速な機能向上と相まって、音声や動画配信が現実のものとなってきたのは周知のとおり。また一方でCGIをはじめさまざまなコミュニケーションテクノロジーの登場により、Webページ上でのチャットやICQなどの専用アプリケーションによる、リアル タイムコミュニケーションまでもが可能になって きた。既に我々は、コンピュータ技術者ではなく とも、あるいはまったく理系の出などではなくとも、こうしたインターネットのさまざまな機能を、その 原理をほとんど意識せずに利用しているし、その 利便性の恩恵に預かり、またその新味な面白さを楽しんでいるわけだ。
インターネットの“文化”を作るのはユーザだ

 従って、インターネットの発展に尽力した世界中の技術者には、いうまでもなく感謝の念を抱くべきなのであるが、では今日のインターネットの隆盛が、そうした“技術者たち”だけの力によってもたらされたものかといえば、決してそうではないであろう。
 もちろん、インターネットはその初期段階では、確かに“技術者のためのネットワーク”だった。インターネットの前身たる米国の全国的コンピュータネットワークが軍事目的で生まれ...といった誕生ストーリーはさておき、インターネットはかなり長い間、 さまざまな分野の研究者が自分の研究成果を発表したり、議論を闘わせる場であったのだ。そこには当然、学問に携わらない者の自己紹介や日記、あるいは個人所有物の売買、出合いの場といったものはなかった。議論の延長にある個人攻撃や誹謗中傷くらいはあったが、一般に開放されるまでのインターネット“文化”は、我々の暮らす実社会のものとはおよそかけ離れたものだったのである。
 ところが現在我々が利用しているインターネットは、我々の実生活を構成するさまざまな要素が、コン ピュータ技術の発達によるインターネットならではの機能を備えつつ、かなりの割合で盛り込まれていると言える。また原始的で過剰な個人攻撃、 デマの流布、過激なポルノグラフィ、法に抵触する裏情報などに触れる機会が多い、というインター ネットに独特とされがちな負のイメージも、考えて みればこれまでの我々の社会での闇の部分が、 インターネットの匿名性という特質によって膨らんだものだといえるのではないか。


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