たった一行のメッセージを吐き出すのがやっとの頃から、人はコンピュータを手塩にかけて育ててきた。そしていまや人々は、背丈の伸びた息子に振りまわされる親の気分を味わっている……? 毎日つきあっているマシンは敵か味方か、恋人か相棒か、それともただの機械だろうか
「メディア=現実」という新見解

 「最近の子供は現実とヴァーチャルの区別がつかなくなっている」と憂える人がいる。その言葉、そのままあんたにお返ししよう。大人も子供も専門家も素人も、人間という人間すべてがそんな区別なんかついてないのさ。TV、映画、ゲーム、そしてコンピュータとインターネットが作り出した“もう一つの世界”に、誰もがずっぽりハマってる。そんな気なくてもハマってる。人とメディアの関係は「人づきあい」と全く変わらない……。
 気鋭のコミュニケーション学者、バイロン・リーブスとクリフォード・ナスによる共著『人はなぜコンピュータを人間として扱うか』には、そんなショッキングなお言葉がいっぱい。ほんと? 僕はそう簡単にだまされないよ。デマメールを真に受けたりしないし、暴力的な映画を見たからといって人を殺したくなるわけじゃない。  たしかに意識の上ではそうかもしれない。しかし無意識下では? リーブス&ナスが言うにはこうだ。「メディアなんか影もカタチもなかった昔から、我々の脳はあまり変わっていない」。つまり我々の頭脳は、新しい現実にきっちり追いつくほど進化してないってこと。
 具体例をあげよう。TVキャスターが視聴者に語りかけながらこちらに向かってくる。見てる方は思わず注目する。でもそれは彼の話の中身じゃなく、ただ画面の中で彼がどんどん迫ってきたからグっときただけのこと。このように人は、視界の中で大きく見えてくるモノに注意を払う傾向がある。それはデフォルトで人間にプログラミングされている機能。原始人にとって、近づいてくるモノは好機(獲物)か危機(猛獣)か。どっちにしても大切なニュースには違いない。
 現実と仮想現実は別物……といままでは考えられてきたわけだが、リーブス&ナスは「仮想現実にも現実と同じ理論が適用できる」と主張する。そして数学や工学ではなく社会科学(心理学、社会学など)の調査手法を使って驚くべき事実を次々と証明してみせる。詳しい実験方法がたんまり紹介されているので、メディアやインターフェイスについて研究する人には必読の書だろう。だが、現場の開発者やクリエイターにも“使えるネタ”がいっぱい。「ユーザにお世辞を言うコンピュータは好かれる」「画質よりも音質を上げる方が手っとり早く効果的」「フレンドリーなキャラクターを作るのに、派手なCGは必要ない」などなど。企画会議の席上で一発かますのに効果的なネタがあれこれ見つかりそうだ。


『人はなぜコンピュータを人間として扱うか― 「メディアの等式」の心理学』(翔泳社)Apple、IBM、マイクロソフト、ATRなどで精力的な研究を行うスタンフォード大学の学者コンビがゴキゲンな語り口で“人とメディア”の関係を明らかにしていく 同じく翔泳社から昨年末に出た『ソフトウェアの20世紀』(長谷川裕行著)も面白い。計算機の元祖=ソロバンから現代のマシンやネットまで、人とコン ピュータの対話の歴史を説き明かしていく好著