デジタル文化未来論
生活習慣病や成人病の治療技術が進めば、平均寿命は最大寿命に近付いてゆく。


学名をC.エレガンスという、体長わずか1mmの線虫という虫がある。土の中に住む虫だが、この線虫の遺伝子を調べると、ヒトを含む動物の寿命のメカニズムの解明に役立つという。では、一体寿命のメカニズムのなにがわかるのか、あるいは寿命のメカニズムがわかれば、ヒトの寿命を飛躍的に延ばすことができるのだろうか。財団法人東京老人総合研究所で、線虫を用いた寿命のメカニズムに於ける遺伝子の役割を研究する医学博士であり、また研究にMacを活用しているという白澤卓二氏に、遺伝子が内在する寿命のメカニズムと、それがわかることによってどんな福音がもたらされるのかについて、お話を伺った。
白澤 卓二さん 白澤 卓二さん
財団法人東京老人総合研究所 分子遺伝学研究室長、医学博士
千葉大学医学部卒業後、千葉大学医学部附属病因呼吸器内科、千葉大学免疫学教室などを経て、東京都老人総合研究所での研究を開始。平成10年、現職の分子遺伝学研究室長に就任し、アルツハイマー病の分子病理学研究に従事。また長寿遺伝子に関する分子遺伝学的研究も手掛け、1998年より2000年までの3年間、短期プロジェクトとして「線虫と長命遺伝子」の研究に携わる。現在はその第二段階として、マウスを用いた実験モデルシステムの解析により、長寿と遺伝の関係についての研究を進めている。
___「ヒト」という種は、元々何歳まで生きる可能性を持っているものなのでしょうか。
 たとえばフランス人女性のジャンヌ・カルマンさんは、1997年に122歳で亡くなっています。これはこれまで戸籍が正式に確認された人の中で、世界最高齢の記録です。実際にこうした実例を見ますと、ヒトはこの「122歳」という年齢までは生きられる可能性があるということになります。また100歳以上、すなわち「百寿者」の人口を見ますと、2000年現在でも50人以上を数えていますから、100歳〜120歳まで生きるというのは、決して非現実的な話ではありません。またそれは、なにもたとえば日本でいえば沖縄など限られた地域だけでなく、東京などの都市でも百寿者は増加の傾向にあります。
 ちなみに、先に述べたカルマンさんは、確かに122歳まで生きられましたし、80歳をすぎて からフェンシングを始めるなどいわば「健康的な百寿者」でした。しかしそれでも、晩年の写真を見ますと、白髪や皮膚の皺は見られますし、恐らく白内障にもかかっていたと思われます。つまり「健康的な長寿者であっても、「老い」からは逃れられなかったというわけで、このことからも、カルマンさんが寿命を全うした120歳前後というのが、「ヒト」という種の最大寿命なのではないかと考えています。
___では、なぜ平均寿命はそれよりも下回るのでしょうか?
 非常にあっけない言い方になってしまいますが、その理由は「病気」です。仮にまったく病気にかからなかったとすれば、恐らく100歳を超えて、最大寿命近くまで生きる人口はもっと増えるでしょう。実際、国によっても異なりますが、日本や米国を例に採れば、平均寿命は20世紀の100年間で大体50歳から80歳と、30年も延びています。これは結核や肺炎、あるいは下痢といった、20世紀初頭には死因のトップ3だったいわゆる感染症が、抗生剤の発展で威力を失ったからです。
 その一方で、癌や脳卒中、心臓病といった生活習慣病、成人病と呼ばれる死因の順位が上がっていますが、これはこうした病気が増えたというより、感染症による死亡が減った結果だといえます。生活習慣病や成人病の治療技術が進めば、死因の順位が入れ代わる一方、平均寿命はますます最大寿命に近付いてゆくと考えられます。
___白澤さんは線虫を使った「寿命を司る遺伝子」の研究を行ってらっしゃいますが、この研究から人間の寿命について、どんなことがわかってきているのでしょうか。
 まず、線虫というのは体調1mm程度の大きさの土の中に棲息する生物で、構造的にはほとんど神経系、消化器系、生殖器系、皮膚と筋肉系から成り立ち、細胞の数も959個と非常に単純です。また遺伝子の塩基配列も既に解読されていて、誰でもインターネットを通じてアクセスできる状態になっています。種としての寿命も約3週間と寿命の実験や老化の実験に適しています。ただ、生物としての構造は非常に単純ですが、遺伝子の数は19,000個ありますから、人間が3〜4万個程度であることと比べれば非常に豊富な遺伝情報を持っています。したがって、総じていえば、遺伝子の様々な役割を実験によって解明するのに、非常に有利な生物であるというわけです。
 ちなみに線虫の遺伝子配列は1998年には解読が完成していましたが、その後様々な研究が行われる過程で、ある特定の遺伝子に傷が付くと、寿命が1.5倍-2倍に延長するという報告が出て来ました。これは、抗癌剤とよく似た薬を投与して人為的に遺伝子に傷を付け、その中で普通より長生きした線虫を選別して、その線虫のどの遺伝子に作用したのかを調べる、という方法で遺伝子の検索を行います。その結果、「clock-1」および「daf-2」等の遺伝子に傷が付くと線虫が長生きする遺伝子が発見されました。
 このことから、遺伝子の中には寿命をコントロールするものがあるという推測が成り立つわけですが、さらにこの線虫の「clock-1」ミュータント(突然変異体)にヒトやマウスの「clock-1」遺伝子を注入すると、寿命が野生種と同じに戻ります。つまりヒトやマウスの「clock-1」遺伝子も、寿命をコントロールしている可能性が非常に高いということになるわけです。要するに、人間の遺伝子の中にも寿命をコントロールしている遺伝子が存在する可能性が示唆されたことになります。