デジタル文化未来論
竹中直純さん/Naozumi Takenaka
株式会社ディジティ・ミニミ代表取締役

 インターネット技術コンサルテーション、システムインテグレーションから紙媒体、Webサイト、ビデオなどのデザイン、アーティストマネージメントまで幅広い業務を手掛ける(株)ディジティ・ミニミの代表取締役、竹中直純氏は、日本で最も早い時期からオブジェクト指向プログラミングに取り組んだプログラマであり、また坂本龍一のネットライブのネットワーク責任者、村上龍が自身の小説をネット販売したことで話題を集めた「tokyoDECADANCE」の課金システム開発も含めたWebサイト制作、あるいはJPNICのドメインワークグループのメンバーを務めたりなど、インターネットの歩みの中にもいくつも足跡を残して来た。
 日本におけるコンピュータ技術、ネットワーク技術の発展に深く関わって来た「技術家」である竹中氏に、技術者だけでなく広くコンピュータユーザ全体が、今われわれが利用しているコンピュータ技術、ネットワーク技術をどう捉え考えるべきなのか、お話を伺った。

Profile : 1968年福井県生まれ。中学生のとき、独学でプログラミングを学ぶ。1989年大阪府立大学総合科学部に入学後、大学で西洋美術と哲学を学ぶ傍ら、(株)アクセス研究所研究員として、職業プログラマとしての歩みを始め、1992年にはフリーランス・プログラマに。その後、慶應義塾大学湘南藤沢キャンバス・メディアセンタースタッフ、株式会社ダブ設立(専務取締役)などを経て、1997年株式会社ディジティ・ミニミを設立し、代表取締役に就任。数多くのeコマース・サイトの立上げ、インターネットでの音楽配信技術の設計開発、eチケットのシステム開発を手掛ける。またJPNICドメインワークグループやコンテンツ流通プラットフォーム実証推進協議会で制度変革の提案活動にも携わったほか、財務面の管理も含めた技術ディレクターなどの立場で、チャットサイト専用ディレクトリサービスを運営する(株)タフー、TPOに合わせて音楽を探せるtpomusic.comを主宰する(株)アットマークレコーズなどIT関連数社の取締役も兼任。その他、ITを扱った小説作品での技術描写アドバイスなど、多方面にその知識の提供も行っている。



ご自身を一言で表すと、やはり「プログラマ」ということになりますか?
 正確にいえば、「元」プログラマですね。もう11年くらい前になりますが、NeXTSTEPという環境に出会って、オブジェクト指向という方法だとこんなにすっきりものを考えられるのかと感心して、それからフリーのプログラマになる過程でフリーウェアやシェアウェアをたくさん作った。いわゆるプログラマとして名前が一番通ったのは、ちょうどその頃になります。多分、日本でオブジェクト指向の考え方をちゃんと身に付けた技術者としては、一番初期のグループに入ると思います。
 その後はプログラムだけを書くというよりは、プロジェクト全体を見るディレクター、プロデューサーという立場で仕事に関わることが多くなって、今の仕事(ディジティ・ミニミの経営など)に至っていますので、現在は純然たるプログラマではありませんが、ただ技術的な動向はきちんと押さえているし、まだ自分でコードを書くことも少なくはありません。

竹中さんが、たとえばインターネットの分野だったらエポックメイキングとされるようなさまざまなプロジェクトで中心的な役割を多く担っているのは、そうした「技術もわかるディレクター」という存在だからでしょうか。
 そうかもしれません。まず技術者の立場というのはわかりますから、プロジェクトの中での技術者の位置を決めて、彼らが損をしないような環境を作ることができるという点がひとつ。それからなにかのアイデアがあって、会議なんかでじゃあそれをどうしようかという話になったとき、システムの内容だとかインタフェースやデータベースの設計など、技術的な見通しも含めて「こうしたら実現できる」と思い付くということがひとつ。その結果として、「じゃあお前責任取ってやれ」という感じで(笑)、今のような立場になったんだと思います。まあ、自分で頑張って「俺はプロデューサーだ」といったことは一度もないんですけど。
 逆に、これはできない、ということもなんとなくわかりますね。だから、今ディジティ・ミニミ以外にも、いくつかの会社に携わってますが、大体はそれぞれの会社のプロジェクトでの技術的な部分での見通しを立てて、財務的な部分も見つつ、技術方面で間違ったところに行かないようにする、というようなことが、最近では主な仕事のひとつですね。

「技術者の立場がわかる」というのは、具体的にはどういうことでしょう?
 自分の経験からいうと、プログラマって労力の割に報われないことが多いと思うんですよ。やっていること自体は非常に面白いんで、自分としてはプログラマと名乗ってきたわけですけど、でもそれこそ下手するとアイコン描いたりとかインタフェースデザインを考えたりとか情報の流れを設計したりとかそういうところまでやっても、名前がクレジットされることも少ないし、ギャラもとりわけ優遇されているというわけではない。
 ただそれはやっぱり、プログラマという職業自体がきちんと理解されていないということもあると思うんで、それをわかっている人間としては、彼らが仕事に満足できるような環境を作りたいと、まあそういうことですね。無闇に儲けるような仕組みを作る必要もないと思いますけど。

少し話は飛ぶかもしれませんが、今現在プログラマで「スター」という存在はほとんどいないと思うんですが、もっと光の当る存在になるべきだ、ということですか?
 それは単純には答えられない問題なんですが、まずひとつは、技術という分野は、たとえば音楽などとは違う性質を持ってますよね。僕は音楽が好きで、コンサートもよく行くんですが、その度に自分がやっていることとは違うな、ということを思い知らされるんですよ。技術という分野で人を楽しませたり、なんらかのカタルシスを感じさせたりというのは、まあ人それぞれいろいろな見方があるでしょうけど、僕の中ではまだ答が出ていないですね。  もちろん、複雑なコードをささっと書いてしまうようなプログラマはいますし、そういう人を僕は尊敬しますけど、それは玄人が玄人を称える、音楽でいえばミュージシャンズ・ミュージシャンみたいな存在だから、スターではないですよね。あるいは奇矯さとか変人ぶりで、ある意味スター的な、注目を集める存在になっている優れた技術者もいますが、本来の意味でスターと呼ぶには幼稚な動きだとも思いますし。
 もうひとつ、技術という分野の理解のされ方も、まだそれほど成熟していない。たとえものすごい技術をネットワークの世界などで実現させたとしても、そのすごさがきちんと広く理解されなければ、誰がそれをやったということは記憶されないわけですから、下世話な言い方をすれば「お客さん」が育たなければ、スターも生まれない。このふたつの面で、プログラマから、たとえば若い人たちが追随したくなるようなスターになるような存在が生まれるのは、まだ少し先だと思いますね。個人的には、ものすごく高い技術と表現力を持っていて、玄人受けはするけれど、仕事としては人のバックでやっているようなミュージシャンが広く脚光を浴びる、みたいなことが、プログラマにも起こり得る世の中になるといいな、とは思っていますが。ただ、コンピュータやネットワークの技術って、そう考える一方で、電気やガスや水道と同じような存在でもあると思うんですよ。だから逆に、技術者を無闇にあがめ奉るというのも、それはそれで歪んだことだと思いますけどね。




漠然とした質問になりますが、今現在のコンピュータ技術の理解度、理解のされ方については、どう思われますか?
 うーん、そうですね、本来コンピュータやネットワークって、能動的に使っていくものだと思うんですよ。なにかやりたいと思ったら、自分で調べて試してみて、うまく行かなかったら自分を疑うというような。
 でも現状はそうではなくて、インターネットに接続することひとつを取ってみても、つながらなかったらすぐにプロバイダのサポートに電話するとか、自分以外のどこかが悪いというところから考える人が多いような気がします。それは多分、即物的というか、より簡単に、という今までの消費文化の延長線上にITというものが捉えられていて、技術を提供する側もお客におもねって行った結果だと思うんですけれども。たとえばキーボードに一回押すだけでメールをチェックできるボタンを付けることで、メールチェック自体は簡単になりますが、メール配信の仕組みを知らない人は知らないままになってしまう。だから、ある意味受動的なコンピュータユーザ、インターネットユーザが増えてしまうわけです。
 あるいは無料で手に入る、個人を特定できないメールアカウントがいろんなサイトで配られていて、それを「捨てアカ(捨てアカウント)」と称して人の迷惑になるような行為に使ったりとか、出会い系サイトで女の子をゲットするのに血道を上げるとか、そうした使われ方だけが突っ走っていくというのも、なんかおかしいじゃないですか。むろんユーザの意識の問題もありますけど、そうしたイージーな環境を、人集め=広告収入のために、お金主導のマーケティングで作ってきたインターネットのサービスのあり方も、今のコンピュータ技術、インターネット技術に対するリテラシーを歪めたという点では罪は大きいと思いますね。
 あと、本質的な部分には触れずに、「パソコンを使った」とか「インターネットだから」という部分をセンセーショナルに取り上げ過ぎるマスメディアの功罪もあると思います。「インターネットの出会い系サイトで出会ったから殺された」みたいな。別にインターネットで出会ったから殺された、ということではなくて、どんな形で出会っても被害にあったかもしれないわけですよね。そんな風に、本質は理解しない、理解する手立ても与えられない、でも不安は煽る、その結果コンピュータやネットワークがますますブラックボックス化しているというのが現状ではないかと思います。

では、技術を生業としない一般のユーザ自身も、もっと技術への理解を深めたほうがいいと。
 それはむろん人それぞれで、たとえばクルマだったらエンジンなどの仕組みを知らなくても運転は楽しめるのと同じように、ネットワークの仕組みを知らなくてもインターネットを利用したり楽しんだりすることはできるわけだし、そういう人がいてももちろんいいわけです。なにもコンピュータを使う人が全員、IPのレイヤーをきちんと理解したりVisual Basicでプログラムを組めるようにならないといけない、とは思いません。  ただ、なんていうのかな、物事の解決方法をいかにスムーズに見つけるか、という観点での方法論みたいなものを、コンピュータやネットワークを利用する上でももっと身に着けてもいいんじゃないかな、とは思いますね。特に日本の場合、まあ日本人を否定するわけではありませんけど、そういうカリキュラムって教育の中にないんですよ。でも、これはコンピュータやネットワークに限ったことではないですが、自分が面白いと思う解決方法を、そのときの気分で選べるだけの選択肢を持っていた方が、ただわからないという状態より楽しいじゃないですか。コンピュータやネットワークの分野でいえば、それは成り立ちとか仕組みなどの技術的、本質的な部分の理解だと思うんですね。またクルマの喩えでいえば、一方でF1なんかのドライバーやメカニックがいて、一方で近所に買い物に行くときくらいしか乗らない人がいて、その中間層に、クルマの仕組みを自分なりに捉えていろんな楽しみ方をする人がいる。コンピュータユーザにも、そうした中間層がもっと出てくるといいと思います。
 僕がそのすべてを背負うつもりはないんですけど、そうした中間層がうまく育つような舵取りっていうのも、技術者のひとりとしてなんらかの形で行っていきたいですね。それはこうして雑誌に出て喋るとか、既存のメディアの性質のほうが受け入れられやすいということを考えた上で技術的に面白い実験とか新しいアプリケーションを提案していったりとか、あるいは僕が川端裕人さんの「The S.O.U.P」や村上龍さんの「希望の国のエクソダス」の執筆に携わったように小説やドラマなどの分野で技術的なディテイル描写のアドバイスを行うとか、いろいろ方法はあると思うんですが。


digitiminimi.com
http://www.digitiminimi.com/

そうした技術者の役割というのは、ブロードバンド回線の普及などでインフラが先行して構築されつつある現在、非常に重要なものだと思いますが、竹中さんご自身は、技術者がどんな役割を担っていけばいいとお考えですか? たとえば技術者の数は増えているけれども、こういうマインドが欠けていて、このままだとインターネットはこんな風になっちゃうんじゃないか、とか。
 技術っていうのは、勉強すれば身に着くわけですし、今後ますます人は足りなくなるでしょうから、勉強して仕事にする人が増えることは間違いないでしょう。
 ただ、そこで問題にしたいのは、技術者のモラルという点ですね。たとえばネットワーク管理者って、絶対に人のメールを見てはいけないわけですよ。あるいはユーザのファイルは絶対に消さない、だとか。これは水道局の人が、上水道に毒を流さないなどと同じことですね。ただまあ、ネットワークの場合は管理者はそういうことができる立場にはいるし、管理をする上ではそういうことができる技術を持っていないといけないわけですけど、そういうモラルの点の教育が、なんとなくおざなりになっているという気はしますね。むろん法律もある程度整備されては来ていますが、法律で禁止されているからやらない、というのも、非常に嘆かわしいと思います。
 それはもちろんネットワーク管理者だけじゃなくて、技術を身に着けたユーザ全般にいえることなんですけど、単純に、人の邪魔をするとか、人が面白くないと思うことをわざとやるとか、そういうことが起こり続けるっていうのは、あまりにつまらない世の中になるので止めて欲しいですよね。たとえば掲示板荒らしみたいなのって、まあ技術がなくても力仕事でもできるわけですが、技術的にもちょっと勉強すれば、そういうスクリプトを組んだりすることは誰でもできるわけです。でも行為としても技術としても誰も面白がらないわけですけど、技術を持った者のモラルみたいな部分が浸透しなければ、そういうつまらないことは今後もたくさん起こるでしょう。
 僕自身は、別に良識派ではないので(笑)、技術的にものすごい高度なことを誰かが一回だけ試してみたら、その結果社会システムに大きな影響があったとか、そういうのは面白いと思うほうなんですけどね。まあこれは不謹慎な例ですが、そういう突き抜けたようなことだったら、まあ理解はできます。そういうことが起こって害があれば塞げばいいわけですし、結果的にはネットワークの世界がより安定したものになると思えば、いいかなとも思いますが、そういう「とんでもないこと」ではなくて、こうやれば相手が困るだろうとわかり切ったような「つまらないこと」がたくさん起こるような状況にはなって欲しくないですね。その意味で、技術者のモラル、技術を持った者のモラルという点は、もっと真剣に考えられるべきだと思いますね。

ありがとうございました。

text by:渋谷 並樹
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