A WAY OF LIFE…。誰にも、その人だけの生き方がある。ある場所で、ある親の元でこの世に生を受ける。しかし、そこから始まる道は、多様性に満ちている。岐路において、さまざまな人と出会い、問題にぶつかり、何かを選ぶことで、いつしかその人だけの道が生まれてゆく。今回は、歌手、教育学博士、ユニセフ協会大使などさまざまな顔を持つアグネス・チャン氏に、お話を伺った。

「自分の遺伝子に勝って、自分より人、<br>と考えられる瞬間、何かが起こるんです」

アグネス・チャン

香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビュー。一躍アグネスブームを起こす。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学)を卒業。1989年米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。1994年教育博士号(ph.D)を取得。1998年、日本ユニセフ協会大使に就任。タイ、スーダン、東西ティモール、フィリピン、カンボジアと視察を続け、その現状を広くマスコミにアピールする。現在は芸能活動の他に、エッセイスト、大学教授、日本ユニセフ協会大使など、世界を舞台に幅広く活躍している。2002年、日本での30周年を迎え、来春全米で歌手デビューの予定。著書に『みんな地球にいきる人』(岩波書店)他多数。9月に最新刊の小説『銃弾の指輪』が幻冬社から上梓された。

Agnes Chan's Official Homage
http://www.agneschan.gr.jp/



今、この瞬間、子供達が売られている

2002年、夏。アグネス・チャン氏は、カンボジアの国境の町ポイペットで、裸足の女の子ワニと出会っていた。早朝から物売りをして働き、家に帰れば親のかわりに幼い弟たちの面倒を見る。彼女はポイペットによくいる普通の女の子だ。スラム街にも住めない貧しい家庭に生まれた。かわいい子なので市場で何遍も「タイに働きに行かない?」と声をかけられた。隣の家の子はすでに売られてしまった。彼女は懸命に働く。そして「家は私にとってとても大切なんだよ」と訴え続ける。それは「私を売らないで」という親へのメッセージなのだ。施設で会ったサリーちゃんという女の子は、二度に渡って母親に売られた。それでも母親に会いたいと言う。施設が母親に対面させようと試みる前日、彼女は腹痛を訴え、吐き始めた。口では「絶対行きたい。母親に会いたい。」と言うのだが、体は拒否する。サリーはその日、結局、母親に会うことをやめた。そう決めたとたん、彼女の症状は消えて無くなった。奴隷のように虐待を受けながら働かされた過去。それを知りながら再び自分を売った母親。子供たちは自分の親に売られないように、けなげに働いてがんばる。売られてもまだどこかで親を慕っている。

10年間に人口が10倍以上(約85,000人)にふくれあがったというポイペットでは、人身売買が大きなビジネスの一つとなっている。難民キャンプが完全に解散され、自分の村に戻っても、家もなければ特別な教育も受けたこともない人々が、仕事を求めて各地から集まってきた。国境を越えてすぐのタイの町には、大きな市場があるし、裕福なタイ人のために7つのカジノがある。この町でたくさんの子供達が、国境を通して売られている。アグネス・チャン氏は、ユニセフ協会の5回目のミッションとして、その実態を視察した。彼女自身がカンボジアを訪れるのは、これが3度目だという。PKOが入って10年。それ以前に比べればわずかによくなったと感じられるものの、彼らの生活は想像以上に貧しい。現在、カンボジアの人口は約1,300万人と言われるが、その60%が子供である。ポイペットの家庭の子供の数は平均して5.7人。親はブローカーに誘われると、子供を売ってしまう。まだ重労働できない小さい子は1,000バーツ(約3,260円)。年頃になった女の子で買春などで働ける子は、色白でかわいければ、100ドルで売れる。赤ちゃんはもっと安く、臓器移植や養子目的で売られている。黙って働く、食べさせなくていい、逆らわない。だから、子供は今一番売れる物になってしまったのだ。人身売買についてのはっきりした数字はないが、昨年一年間でポイペットに強制送還された子供達の数が3,000人以上、アジアだけでも100万人の犠牲者がいると言われている。

それだけの規模で子供が売買されていることを、ほとんどの日本人は知らないだろう。日本人にとっては、遠い世界の出来事のようにも見える。たまたま日本に生まれ育ったというその事が悪いわけではない。でも、今この瞬間、世界のどこかで起こっているその事実を知った時、私達はどのように反応するべきなのだろうか?彼女は言う。

「世界で起こっている全ての物事について行動を起こすというのは本当に難しいと思う。たぶん、人によってできることが違うと思います。体を運べる時間があるんだったら、ボランティアもできる。定年退職してちょっと時間があるなという人は、想像力を使って、いろいろな事ができるでしょう。何にもしたくないと思うなら、まだタイミングが来ていないのかもしれない。ただし、それでもその種は捨てない。知ってしまった以上、どこかに自分の責任がある。だから、行動できるなと思った時に、そういう行動をとればいい。自分の得意な分野というのは誰でも必ずあると思うから、何かしらできます。私は、ユニセフという団体はとてもインテリジェントだと思っています。自分の納得した団体を応援していくのも一つの方法だと思うし。ただ、無関心だけはやめてほしい。将来はみんなのものですから。私は子供達が物扱いされることが許せないし、21世紀にまだこういったことが起きているのが信じられない。だから、冷静に割り切ってしまうような人には、ひとりひとりの子供の顔を見せてあげたい。誰の中にも優しい温かい気持ちを起こさせるように話していくのが私の責任の一つだと思います。」



人間の幸せは、

そう語るアグネス・チャン氏は、著書の中で自らの物語を語っている。今の彼女から想像もできないが、中学生の頃の彼女は暗闇の中にいた。優秀な姉達に囲まれていた彼女は、容姿にも才能にも自信が持てず、分厚い眼鏡をかけ、人ともうまく交われない少女だったそうだ。それが、たまたま始めたボランティア活動を通して出会った、障害のある子供達に目を開かされた。「助けてあげる」はずの自分が「助けられている」という事実に気づいた時、彼女の中で何かが変わった。人間の幸せについての視点ががらりと音を立ててひっくり返った。

「私は人間の幸せは、"自分"を忘れた時にやってくると思うんです。それはなかなかできないことですけれど。どうしても自分を中心にしてしまう。まあ、生存するために遺伝子がそういう風に組まれているかもしれない。でも自分の遺伝子に勝って、自分より人、と考えられる瞬間、何かが起こるんです。自分が生きることに必死でしがみついている事を忘れたとたん、ものすごい解放が起こる。それは、香港でのボランティアの時代もそうだし、世界のいろいろな国の子供達に会って、実際に教えられたことなんですよね。ボランティアは、自分を「分ける」んですよ。自分の一部をそこに置いてくる。だから自分を大事にしなくてはいけないのよ。腐った自分を置いてこれないから。置いた時に、ちゃんと花咲くように。だから自分を育て、自分に力をつけ、いい種を持った人間でいたい。私にとって、ボランティアは自分の命を支えてくれる大事なもの。別にそういうようなことを感じない方でも、誰かを好きになった時や自分の子供が生まれた時は幸せですよね。その一瞬、自分よりその人なのよ。要求されたらその人のために死ねるのよ。それではじめて自分が生きるんです。自分だけにしがみついていると、一生、不幸かもしれない。それを子供達が教えてくれた。もし神様がいたら、こんなに早く教えてあげたんだから、それを活かしなさいと言われているのかも。たとえば私は、なぜこんなに運良く日本で活動ができてしまうのかという気持ちがすごく大きいんです。自分と同じ様に血を持った人たちがいっぱい苦しんでいるのに。でも、きっとここにきてこういうことができるのは偶然ではないと思う。だったら自分が最大限何をできるか。一生かかってもこの恩返しはできないかもしれない。でも、とりあえず、今の時点で何ができるかを考えてしまいます。」



なぜ

テレビで見る彼女、ホームページで語る彼女は、いつも明るくポジティブだ。多くの人が、もともとそういう人なんだろうなという印象を受けるのではないかと思う。しかし、もし世界で起こっているリアリティを目の当たりにしたら、もし真摯に自分を見つめたら、物事の暗い側面に対峙せざるを得なくなる。そのような暗い面を通り抜けてきたからこそ、彼女はあえて"明るくポジティブな"言葉を使っているのかもしれないと、ふと思った。

「たぶん、私は怒りがいっぱいある人だと思う。自分の中に、割り切れない部分も本当にたくさんあると思います。よく泣くし、よく落ち込むんです。自分の関係ない事と思うような、戦争とか誰かが虐待されたとか、そういう時の怒りがコントロールできないんです。それが涙になったり、まわりに出ちゃったりする。そういう悲しむ自分がある意味では嫌なんです。気楽に生きてる人はいっぱいいるじゃないですか。なんで自分はそうなっちゃうのか。でも、これは、それこそ"A WAY OF LIFE"だから。こういうふうになっているのは、きっと理由があると思うし、きっと怒りとか割り切れない気持ちがまた原動力となって、次のステップに行くためのエネルギーなんだな、と受け止めて、信じていることは諦めない。すごい不器用なんで、一発でできることなんて、ほとんどないんです。人より何倍も努力しなくてはできない。それでもやっぱり他の人に比べたら、とても恵まれていると思うので、できるだけ文句を言わないように、たくさんの人にばらまかないようにしているんですよ。まわりからみれば、明るいなあと思われるかもしれない。」一呼吸置いて彼女は、「実はそれが狙いなんです。」と言って、いたずらっ子の様に笑った。



子供達の未来のために

現代は、インターネットやテレビなどを通じて、世界中の情報をどんなことでも知ることができる。チャンスという意味ではものすごく開かれた時代に私達は生きている。しかしそれが一概に幸運だとは言えない。昔だったら、自分の知っている世界の中だけで生き、その中だけの正しい生き方というのもあっただろう。情報があふれていても、全部を知ることはできないし、かといって閉ざすこともできない。かえって不安定になっていく子供達がいる。自身も3人の子供を持つ親であり、教育学の博士号を持つアグネス・チャン氏に、未来を担う子供達に向けてのメッセージをうかがった。

「私は、子供の教育には2つのキーワードがあると思うんです。1つは、"SELF-ESTEEM"(自尊心)。もう1つは、"IDENTITY"(独自性, 主体性)。自分がどうやって生きたいのかという、この2つがやっぱり重要になっていきますよね。"SELF-ESTEEM"があれば落ち込んだりしない。自分より優れている人間がいても、自分より弱い人間がいても、自分が生きている価値があるんだと信じていれば、謙虚でもいられる。それは精神的なバランスとしてとても大切な事なんですよね。自分の心の中に病気がない。くじけたりしても立ち直れる。いろいろなことがあっても、冷静に自分の中を見ることができる。"IDENTITY"というのは、自分がやりたい夢を持っていること。そうすれば大きな情報の海の中でも、必要な情報を自分で選んでいける。雲が切れて晴れるように。しかも一本道ですから、人生積み重なっていくので、迷っているうちに人生が終わらない。この二つのプロセスは欠かせないでしょうね。自分が果たしていくべきものがはっきり見えない、人から言われないとやっていけない人間というのは、すっごくつらいですよ。人は迷う時、エネルギーをたくさん使うから。今、日本にフリーターがたくさんいるというのは、「定めない」からですよね。嫌な事についてはよくわかる。でもやりたいことがわからない。それはつらい人生になりますよ。自分がやりたいことがあると、物質的な問題じゃなくなってくるし、誰がなんと言おうとそれを誇りを持ってやっていける。それは幸せだし、成功していると言えるんですよね。これをやってもつらいし、あれをやってもつらいし。でも楽しくはやりたい。それはめちゃくちゃつらいと思います。」

でもこの日本では、もしかしたら8割ぐらいの若者がそう感じているのではないだろうか。今、やりたいことがわからない人は、どうすればそのきっかけをつかめるのだろうか?「あなたなら彼らにどんなヒントを与えますか?」と聞いてみた。

『銃弾の指輪』
アグネス・チャン著
幻冬舎
1,400円(税別)

複雑な状況の中で繰り広げられる、激しい愛の形。人を好きになることは、時に壮絶な決意を迫られる結果となる。5人の女性達が貫く純愛の形とは?英語で書かれた原文を翻訳する形で出版されたアグネス・チャン氏の書き下ろし小説。

「とりあえず、自分をちょっと我慢して、まわりをよーく見よう。親でも兄弟でも職場の人間でも、誰でもいいよ。とにかく自分の触れている人間。どんなことでもいいからその人のことに取り組んでみる。そこでだんだん社会の中で自分がどういう位置にいるのかということがわかってくると思う。自分にできることとできないことがわかってくる。そうすれば出口は見つかると思う。何が楽しいかわかってくる。何も楽しくない、寝るだけが好き、というんだったら、寝具をとことん研究すべきですね(笑)。今まではアヒルの羽を使っていたけど、ダチョウじゃだめかな、とか。一番好きなものを、とことん追求してみよう。このことについてなら、僕に聞けば何でもわかるというのを、一つぐらい作ってもいいんじゃないかと思うんです。そうすると、まわりが自然に頼ってきます。今、人間は100年生きるんですよ。65歳で終わりじゃないんですよ。その後に頼られる人間になるためにも、本業を離れてもおもしろがられる人間でいたいんで、私はぜひ、マジックを上手にできる人になりたいと思う。(笑)」


最後はいつものように明るく楽しい笑顔を見せたアグネス・チャン氏。その奥には、人生の岐路で、いくつもの選択をしてきた一人の人間がいる。この時代、この国、この環境に生まれてきた私達。別の時代、別の国、別の環境で育つ誰か。私達は、どこかで必ずつながっている。彼女の言葉から、今、目の前にあるリアリティのその中に、私達が探している答があるというメッセージが聞こえてきた。


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