デパートの高級おせち料理がバカ売れだったんだって。 なぜって、 みんな年末年始の海外旅行をやめちゃったから。 うーん、 こんなご時勢だからこそ、 日本人ができる貢献とは、 ハワイにでも出かけてってバンバンお金を落としてくることだと思うんだがな〜。 そこで、今回の話題は“観光”――「2002年フツーの旅」を考えてみましょう

観光は哀しい。“本物”は幻想
それを人は旅情と呼ぶ……?

「旅行をしている時、ふとした瞬間にものすごく、哀しい気分に襲われることはないでしょうか」――コラムニスト酒井順子の著作『観光の哀しみ』の書き出しだ。 「何いってんの、旅行は楽しむために行くものよ」という貴女。じゃあ最近の旅行体験をよくよく思い出してみて。渋滞、飛行機を列車を待つ忍耐、重い荷物、暑すぎる、寒すぎる、観光客に媚まくりのダセぇ土産物屋、「こんなはずじゃ」と思わせられる宿に料理。なんでもいいの、深く静かに“トラベル・ブルー”が忍びよってこなかった? 素晴らしい光景を目にしているのに「どうせだったら彼と来たかった……」ってため息でなかった? せっかく旅に出たのにいまいち楽しくない。こんなんじゃいけないってんで、ムリにはしゃいで気疲れしなかった? 酒井氏はずばり“観光とは哀しいもの”と定義づけ、哀しさの源を以下のように分析している。 「訪問というものは通常、『呼ばれる』から『出かける』ものです。しかし私達観光客は、誰からも『来なさい』と言われていないのに世界中に出かけ、滞在してしまう。それはすなわち、招待状を受け取っていないパーティーに、のこのこ出かけていくようなもの」(前出書より)――うーん、こりゃたしかに哀しいっ。 「そりゃ、ありもののパックツアーに参加してたんじゃつまんないよ。旅とは自分で計画して体験して発見するものサ」という貴男は、ひょっとして旅慣れてる? どんな秘境にも一人で出かけちゃう冒険旅行派? “旅”と“観光”は別モノと思ってる?

 お説ごもっとも。たしかにこの二つは似て非なるものだ。英語の「旅」にあたるtravelは、フランス語のtravail(労働)と語源を同じくし“難行苦行を伴う旅”とされている。宗教的な巡礼やなにかのように。対して「観光」にあたるtourismが盛んになったのは19世紀に大西洋航路が開通し、英国でパックツアーが開発されてから。これ以後、欧州人は秘境を求めて世界をくまなく、まさに「呼ばれもしないのに」訪問するようになったってわけ。するってえと“秘境”の側でも、お客さんを喜ばせる(金を落とさせる)ために色々工夫するのは自然な成りゆき。たとえばバリ島の芸能(ダンスやガムラン音楽など)が、実は「白人さんにもわかりやすく退屈しないように」意図的に改良された“作られた伝統”である、というのは有名な話。観光客はのこのこ出かけていくことで自然を破壊するだけじゃなく、現地の伝統まで破壊してしまう!――ということが、文化人類学などの分野で問題視された時期もあったが「いや、それはちょっと違うんじゃない?」というのが最近のトレンドであるそうな。  バリの人々は植民地時代に新規開発された芸能を、自分たちの文化&観光資源として大事にしているし、日本の伝統芸能(能や歌舞伎、あるいは落語)にしても時代とともにリファインされている。お正月に着るキモノだって室町や江戸時代のスタイルでは決してない。アメリカあたりで見かける妙なフォントの日本語看板、やけに 中華風のゲイシャガールのイラストに「こんなの日本じゃない!」と立腹するか「げへへ、おもしれー」と笑っちゃうかは貴方の自由。  お金持ちも団体さんもバックパッカーも、旅人気分を自己演出しつつ、幻の“本物”求めてのこのこ出かける……同じ穴のムジナかもしれないね。



1:酒井順子「観光の哀しみ」 新潮社
温泉、ハワイ、テーマパーク、アンナ旅VS耕太郎旅(もちろん梅宮と沢木)の対決 ……あらゆる角度からトラベル・ブルーを分析!

2:山下晋司編:「観光人類学」 新曜社
大学の観光学や文化人類学の教科書にも指定されている本。教科書らしく“練習問題”があり、 ガイドブックよろしく“みどころ”がピックアップされている。観光開発のありよう、 メディアとのかかわりなど真面目かつ面白い論考多数

3:坂田靖子:「マーガレットとご主人の底抜け珍道中」 早川書房
期待と失望、ピンチにチャンス、誤解と発見と気怠さと……結局、 普段味わえない気分の乱高下を楽しむのが旅の醍醐味かも。 そんな観光の哀しみ&楽しみがぎゅっとつまったキュートなコミック