観光は哀しい。“本物”は幻想
それを人は旅情と呼ぶ……?
「旅行をしている時、ふとした瞬間にものすごく、哀しい気分に襲われることはないでしょうか」――コラムニスト酒井順子の著作『観光の哀しみ』の書き出しだ。
「何いってんの、旅行は楽しむために行くものよ」という貴女。じゃあ最近の旅行体験をよくよく思い出してみて。渋滞、飛行機を列車を待つ忍耐、重い荷物、暑すぎる、寒すぎる、観光客に媚まくりのダセぇ土産物屋、「こんなはずじゃ」と思わせられる宿に料理。なんでもいいの、深く静かに“トラベル・ブルー”が忍びよってこなかった? 素晴らしい光景を目にしているのに「どうせだったら彼と来たかった……」ってため息でなかった? せっかく旅に出たのにいまいち楽しくない。こんなんじゃいけないってんで、ムリにはしゃいで気疲れしなかった? 酒井氏はずばり“観光とは哀しいもの”と定義づけ、哀しさの源を以下のように分析している。
「訪問というものは通常、『呼ばれる』から『出かける』ものです。しかし私達観光客は、誰からも『来なさい』と言われていないのに世界中に出かけ、滞在してしまう。それはすなわち、招待状を受け取っていないパーティーに、のこのこ出かけていくようなもの」(前出書より)――うーん、こりゃたしかに哀しいっ。
「そりゃ、ありもののパックツアーに参加してたんじゃつまんないよ。旅とは自分で計画して体験して発見するものサ」という貴男は、ひょっとして旅慣れてる? どんな秘境にも一人で出かけちゃう冒険旅行派? “旅”と“観光”は別モノと思ってる?
|