伊藤晋二さん
Shinji Ito

1937年新潟県柏崎市生まれ。大阪外国語大学外国語学部インド語学科卒。大学在学中はヒンディー語、ウルドゥー語、ペルシャ語、サンスクリット語を学び、ベンガル語を独習。卒業後は洋書輸入販売会社勤務を経て、小田原高等学校をはじめ英語科教諭、教頭を歴任し、海老名高等学校、大秦野高等学校の校長を勤め、退職後東京工科大学非常勤講師となり現在に至る。趣味はヒンディー語、ウルドゥー語、ベンガル語の新聞を、辞書を片手にインターネットで読んだり、インドの映画や音楽の観賞、ヨーガ体操、家内と作るインド料理など多彩。

インドの詩人タゴールと言えば、アジア人初のノーベル賞に輝いた詩聖として名高い。
しかし、彼の著作の日本語訳は、ほとんど英訳から邦訳という二重のプロセスを経て出版されたものばかりで、しかも品切れ、絶版が目立つ。
しかし昨年夏、ついに英訳本の土台となったベンガル語原詩から直接和訳した『ギーターンジャリ』が私家版として上梓された。
翻訳したのは、元高校教員の伊藤晋二氏。独学でベンガル語を学び、苦労してこの本を完成させたという。いったい何が彼をそうさせたのか?
一冊の本との出会いから生まれた彼の物語を追ってみたい。



運命の本と出会う

 人生の中には、"運命の出会い"とでも呼ぶべきハプニングが時たま起こる。同じように繰り返されていた日常が、ある時がらりと姿を変える。ふとした出会いが、その後の一生の行方を変えてゆく。伊藤晋二氏の場合、それはたった一冊の本だった。インドの詩人タゴールの詩集『ギーターンジャリ』。人生に何度かやってくる暗闇の時期に、この本が彼の行く先を照らす光となった。

 もし、あなたが「死ぬかもしれない」という事実に直面したら、何を思うだろうか? 大学へ入学して間もない頃、伊藤氏は、頸部に親指大の腫瘍ができ、摘出手術をすることになった。実は同じ病気で親類が亡くなっている。さらに、この手術から一週間後、母親が脳卒中で倒れて世を去った。二つの死の影は、彼を暗闇の中に落とした。手術をしても再発を繰り返して死ぬかもしれないという恐怖が、彼の心を覆い尽くした。死んだらどうなるのか、あの世はあるのか。これから人生を切り拓こうとしていた青年にとって、「生の終わり」がもたらすイメージは強烈なものだった。

 ちょうどその頃、日本では、タゴールの生誕100年を前に、様々な催しが開かれていた。タゴールは、1913年にアジア人初のノーベル文学賞に輝いた詩聖である。インドの独立運動に思想面から多大な影響を与えたと言われている。平和思想家として、戦時中は日本を批判する立場をとっていたことから、日本人には忘れ去られた存在となっていた。しかし、生誕100年を機に、日本でも再びタゴールブームがわきかえる。四十数年ぶりに詩集も再刊された。

 伊藤氏は大学でヒンディー語を専攻していた。高校の世界史の授業でインドの独立運動に興味を持ったからだ。当然、タゴールという名も、ノーベル賞を受賞した『ギーターンジャリ』という詩集の存在も知ってはいた。この時期、タゴールの名前をよく目にするようになり、漠然とした興味から、初めてこの本を手に取った。本の中には、死の影に怯える彼にとって、珠玉の言葉が並んでいた。「タゴールは、生と死は双子の兄弟だと言うんですね。死というのは決して終わりではなくて、生が終わると次に死が始まる、そういうふうなことが書いてあるわけです。それまで死ぬのが恐かったんですけれど、それを読んだら心身に深い安心感を覚えたんです。」と伊藤氏は言う。それまで、死の影を追い払うために聖書研究会に入ったり、教会に通ったこともあったのだが、キリスト教の神に対してはどうしても親近感が湧かなかった。タゴールが語る神は、もっと母性的で、自然そのものをさしている。その宇宙観から紡ぎ出された生と死を見つめるタゴールの視点は、彼の心を揺さぶった。こうして伊藤氏と『ギーターンジャリ』は、個人的な内面のつながりによって結ばれた。しかし、最初に手に取った詩集は英語からの翻訳。数々の詩編に魅せられた彼は、原語であるベンガル語で読めないかと思うようになった。ヒンディー語を専攻していたものの、ヒンディー語とベンガル語では、英語とフランス語ぐらいの違いがある。なんとかベンガル語版『ギーターンジャリ』とベンガル語・英語辞書は入手したものの、そこからは孤独な探求とならざるを得なかった。ここで追記すると、日本で読むことのできる『ギーターンジャリ』は、基本的に英訳をさらに日本語訳したものである。タゴール自身が英語に堪能であったところから、自身の詩を英訳、その原稿を読んだイギリスの大詩人イェーツが深く感動したことで、世界に広く知られるようになったのだ。しかし、ベンガル語版と英語版では、詩の雰囲気が大きく異なる。若かった伊藤氏はその差にとまどい、次第に興味が薄れていった。


ギーターンジャリとの再会

 病の影も去り、壮年となった伊藤氏は、英語の高校教師として充実した日々を送っていた。教えることも楽しいし、英語を教えるためには英語を勉強しなくてはならない。30代は一番元気な時期で、旺盛な教員活動を行っていた。38歳の頃に、県内の社会科教師達が世界のいろいろなところに研究に行くという活動の一環で、インドとネパールを訪れる事を知った。伊藤氏もそのグループに加えてもらい、初めてインドに行くことができた。昔、勉強したのとは違った意味で、大きな刺激を受けたという。しかし、普通の高校教師として仕事に追われる毎日を送ることに変わりはなかった。その生活が一変したのは、またしても病気という現実がやってきたからである。

 40歳の頃、今度は、すい臓炎という病に犯された。この時も、少し前に母方の親類が同じ病気で亡くなったばかり。再び、死ぬということが頭から離れなくなった。精神的に落ち込んだ彼が思い出したのは、『ギーターンジャリ』だ。読み返すと、若い頃、違和感を覚えた原詩が、なぜか心に響く。学生時代からの本はずっと持っていた。貴重な本を汚したくないので、これをコピーして、余白に書き込みをしながら、少しずつ読み進んだ。仕事が忙しくて入院はできず、食餌療法を続けながら、毎日朝5時に起きて7時まで、辞書を片手に1編を読み解いては出勤するという日々が続いた。ベンガル語を一から学び直すことから始めて、半年かけて157編全てを読了した。趣味というよりも、もっと切実な、心をなぐさめるための作業だった。しかし、病が去り健康が回復すると、また日常の雑事に心はとらわれてゆく。校長という立場になった伊藤氏は、責任ある職務に忙殺され、またしても『ギーターンジャリ』から遠ざかっていった。


人生の証となる仕事

 「定年後の生活にはバラ色の想いがあったんですが、いざ退職してみますと、誰もがそういうふうに感じるらしいですが、自己喪失というか、今までの自分でなくなるわけです。校長をやっていたとか、英語の教師であるとか、そういう立場が無くなって、ただの自分しかない。そうなると、もう一回、自分を再構築しなければならないような、そんな気持ちになった。そしたら周りの先生方が、60歳すぎてからどんどん亡くなるんですね。校長は長生きしないよ、とよく言われていたし、自分はもうあと10年生きられるのかどうか、とまた心配になってきた。じゃあどうするのか。そんなところもあって、もう一度『ギーターンジャリ』に向き合うことにした。それならいっそこれを訳して、何か一つ形見みたいなものを残したいという気持ちもあった。」

 伊藤氏にとって、『ギーターンジャリ』が、新たな意味を持ちだした。死の影に怯えるたびに、浮上してくる『ギーターンジャリ』という運命の本。これを原語から訳して本にしよう、それが自分の人生の証となる、と思い立った。大学の非常勤講師として働き始めた彼の環境には、不思議なことに、『ギーターンジャリ』の訳本を作るための種がいくつか存在していた。

 日本でベンガル語を専門にしている人は非常に少ない。独学で和訳するには限界があり、大学教員の仲間に、ベンガル語を母国語とするバングラディシュの留学生を紹介してもらうことができた。国から奨学金を受けていた彼は忙しかったので、往復はがきに質問を書き、英語で返信してもらった。時間はかかったが、貴重な学習となった。また、コンピュータとの出会いもあった。60歳を過ぎるまで、コンピュータなど触ったこともなかった伊藤氏だったが、新しい職場に偶然かつての教え子がいて、コンピュータに詳しかった。頼み込んで、いろいろ教えてもらった。コンピュータを使った基本的な文章のレイアウトの仕方はもちろんのこと、予想外の新しい発見がいくつもあった。ベンガル語のフォントをダウンロードすれば使えること、インターネットでインドの新聞がリアルタイムで読めること、インドのwebサイトではインドの歌やタゴールの詩が、いつでも音声で聞けること。

 「わからないものを探したり手に入れたりするのは、年を取ると遠ざかるものなんですが、なんとかならないかなと手をつくして追いつめていくと、おもしろいことがそこにある。『ギーターンジャリ』を知ったおかげで、年をとってからも思いもよらないことができる。」と伊藤氏は語る。

 およそ2年を費やして、手作りによる対訳詩集が完成した。ベンガル語による原詩と英語訳の詩を両方掲載し、それぞれに日本語訳をつけた。韻を踏む音楽的なベンガル語の雰囲気を出すためには文語体で、散文で書かれた英文はそのまま散文で、日本語の訳文をつけた。読んでみるとわかるが、ベンガル語と英語では、その質が確かに変わる。インドでは、タゴールの詩にメロディをつけた「タゴールソング」が、とてもポピュラーだと言う。伊藤氏は、2回めの病気の後、これが最後になるかもしれないと、無理に訪れたインドのカルカッタで、放送局から流れるベンガル語の美しい響きを聞いた。その響きをもった原詩を忠実に訳したいと思った。そう語る伊藤氏は、その旅行で手に入れた、タゴール自身が詩を朗読している貴重なレコードをかけながら、楽しそうに笑う。その和やかな顔に、死を怖れる暗い影はない。この私家版の出版は、新しい人との出会いをもたらした。そして今やインターネットという、尽きることのない情報源も目の前にある。一冊の本との出会いがなければ起こらなかった、数々の出来事。この本は、死と向き合うという極限的なプロセスを経て、彼を生の喜びへ、そして未知の世界へといざなってくれたのかもしれない。



ギーターンジャリ 上・下巻セット

タゴール/伊藤晋二訳
2500円

「ギーターンジャリ」はベンガル語で「歌の捧げもの」という意味。神へ供物を捧げるかわりに、詩人として歌を捧げるという気持ちを込めて付けられたという。詩集に一貫するテーマは、神への信仰、賛美、神との対話である。タゴールの宇宙観、神についての認識、人間の生と死についての思索など、彼の透徹した知性は、他に類することができない。深い宗教的悟りを底流とした叙情性豊かな文学作品として、1913年、ノーベル文学賞に輝いた。本書は、ベンガル語の原文、タゴール自身による英語訳、それぞれに対する日本語訳からなっている。私家版のため、一般の書店では取り扱っていない。

取扱い専門書店:ブッククラブ回 TEL:03-3403-6177



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