細密画で温かな独自の世界を表現する、画家の矢萩多聞さん。彼は十代半ばから、日本とインドに生活の拠点を置き「インドが僕の学校であり、先生だった」と語る。絵を描くことで、自意識の壁の向こうにある感動の連鎖、新しいコミュニケーションのあり方を提示しようとする彼。その思いに至った背景には何があるのか。インドの日常とコミュニケーション、制作の原動力について聞いた。

____中学を1年でやめた後、「インドは僕の学校で、出会う人みんなが先生なんだ」という気持ちで行ったんです。
それ以来、インドと日本を往復しながら絵を描いて、個展をするという生活が続いています。

インドと日本

____インドでの日常の生活を教えてください。

やはぎたもん/TAMON YAHAGI

1980年、横浜生まれ。9歳で初めてネパールを訪れてから、毎年インド、ネパールを旅するようになる。中学1年で学校へ行くことをやめ、1994年頃からペンによる細密画を描きはじめる。インドと日本を半年ごとに往復し、銀座、横浜などで毎年個展を開催。2000年、日印ポータルサイト「Indo.to」をオープン。2002年には、SII社のウォッチブランド「appetime(アピタイム)」SPICEシリーズにヴィジュアル・イメージとフォントを提供。あわせてスパイラルホールにてSPICE+矢萩多聞展を開催。現在、南インドと横浜に暮しながら、細密画制作のほか、ブックデザインなども手がけている。

 「何をやっているのか」とよく聞かれるんですけど、何もやっていない(笑)。朝起きて、ごはん食べて、お風呂入って、買物行って、映画を観て、散歩をして…生活すること自体が楽しいんです。日本とは時間の流れ方が違う。だから、何かするぞと意気込まなくても、濃密な時間が過ごせるんです。何も起こらない日はないし、面白い人に出会うことも多い。アクシデントも多いです。たとえば電話局のおじさんが賄賂欲しさに電話線を切ったりする。そうすると仕事も中断せざるを得ないので最初はイライラしてたけど、そのうちこれはこれでいいかなという感じになっちゃう。こっちがいくら焦っても意味がない。日本なら、クレームをつければ早急に対応してくれるけど、インドではクレームに対する深刻さが違って「そんなのたいした問題じゃないじゃん」という感じなんです(笑)。

____14、15歳からインドと日本の往復をされているそうですが?

 もともと学校が肌に合わなかったんですが、小学校の高学年でいい先生に出会えて、学ぶことが面白くなった。でも、中学に上がると「何故?」と思うことはいけないことで、まる暗記させるような授業ばかり。僕にとって、まったく意味のない虚しい時間だったんです。そこで「絵を描いていてこれだけ楽しいんだから、毎日絵を描いていてもいいんじゃないか」と思って学校へ行くのをやめました。その後、インドに長く滞在するようになり、「インドが僕の学校で、出会う人みんなが先生なんだ」という気持ちになったんです。それ以来、インドと日本を往復しながら絵を描いて、帰ってきた時に個展をするという生活が続いています。

____インドのどこが好きなのですか?

 ありすぎて一言では答えようがないです。空間、人、アート、食、映画、音楽…。それぞれ奥が深いから飽きない。もちろん、いいところばかりではないけど、楽しいところ、嫌なところを全部ひっくるめてインドが好きなんです。チャイ屋や食堂にぽっと入って、今日初めて会った人と話ができる、そんな気軽で親密な空気が好きですね。彼らとの会話は、予想できない答えが返ってくるところが面白い。色んな言葉や文化が溢れる国だから、「ぼくときみは違う」というところからコミュニケーションがスタートする。話していて楽だし、みんなちゃんと話を聞こうとする。言葉を超えたところで、「この人は何を言いたいのか」ということを感じようとしているんです。


「個人がインターネットとつきあうなかでは、できるだけ変なこだわりや格好をつけることはなくていいんじゃないかな。インドのチャイ屋で見ず知らずのおじさんがおごってくれる感じでいい。」

____インドでも近代化が進んでいるそうですが。

 僕の住んでいる南インドのバンガロールは、インドのシリコンバレーと言われている街。インターネットカフェやATMは日本よりも多いかも。カードで買物できる店も増えてきている。でも、「カード? 何じゃそりゃ?」という感じで昔ながらの生活をしている人もいる。変わっていくものと変わらないものが共存しているんです。それぞれの生き方があるから面白い。古いものを断ち切って新しいものがあるんじゃなくて、自分たちの芯を崩さず、地に足をつけて新しいものを取り入れている。日本はそこのあたりが空回りしている気がする。インドを知れば知るほど日本が気になってくる。今の日本では心地よく暮らせないけど、本当は日本で暮したい。そのためのヒントがインドにあると思うんです。


絵を描くことも
コミュニケーションのひとつ

____絵を描く原動力は?

 いちばんは楽しいから。それがないと、どんなに理想があってもダメですよね。描いていて楽しい。それがあるから描ける。観てくれる人がいれば、なお楽しい。ぼくの絵も突然こういうスタイルになったわけではなくて、少しずつ変わっていったんです。よく誰かに習ったのかと聞かれるんですが、独学です。インドにも細密画はあるけど、ぼくのはまったくのオリジナル。民族とか言葉を超えたところで描きたいんです。

 インドではインプットの日々。そのなかで楽しかったもの、気持ちよかったものを僕なりに表現する。感動が吸収されるというより、身体のなかを通り抜けていく感じ。すばらしい音楽に感動しても、その感動を自分のところで終わりにしないで、周りの人に渡したい。僕は絵を描くこともひとつのコミュニケーションだと思っています。絵を見た人は感想を言っても言わなくてもいい。何も言わなくても、その人なりに感じてくれればいいわけだから。絵を見て、何かを感じてくれた人が、その人の日常のなか、仕事や生き方のなかで、次の人に感動を渡してくれるんじゃないかと思ってる。それが巡り巡って僕のところに還ってくるといいなと思って。そういう循環が、ほんとうのインタラクティブなんだと思います。そのつながりがなければ、生きていてもあんまり意味がないかな。

____コンセプトのようなものはありますか?

 自意識がないとアートじゃないみたいな言い方もありますが、僕の場合は自分を自分で決めつけないことがコンセプトです。「俺が、俺が」とはなりたくない。「自意識」なんていっても、他人を通してでないと自分のほんとうの姿はわからないでしょ。絵を見て「このタイトルはどういう意味なんですか?」と聞いてくる人がいるけど意味はないんです。出来上がったときにパッと思い浮かんだ言葉をつけているだけ。ちょっとインドっぽくて、すごい意味が込められていると思うらしいけど、「僕にもわからないから教えてください」と答える(笑)。絵も飾っていて飽きたら、傾けるとか、横の絵でも縦にした方がよければそうしてもらってかまわない。ぼくも気づかない絵の魅力を見つけてもらえるのが楽しい。絵を見た人の反応を通して、ぼく自身も、ぼくという人間とその世界を知ることができるんです。


インターネットは
生の出会いのきっかけ

____インターネットのサイトを運営されていますが?

 インターネットって、見ず知らずの人とすぐ話ができるインドのチャイ屋のような仕組みではあるけど、生身の人間の体温を感じられないことが多いので、あまり信頼はしていません。ただ、生のコミュニケーションをむすぶきっかけにはなりますよね。面白い展開をした出会いもあります。

 数年前から自分のサイトでフォントを配布しているんですよ。一口にフリーフォントといっても、「使う場合は必ず連絡ください」「商業ベースで使うときはお金をいただきます」と、実は自由じゃないのがいっぱいある。でも、ぼくのフォントは個人・商用問わず自由に使える。そうしたら去年、SII社の「appetime(アピタイム)」という時計ブランドのデザイナーの方から「ロゴに使いたい」という問い合わせがきたんです。メールをやりとりするうちにお互い盛り上がってきて、リーフレットに絵を提供し、時計の発表イベントに絵を飾って、製品のテーマである「SPICE」の世界を演出することになったんです。

 僕はタイポグラフィーの教育を受けたわけじゃない。ただ、フォントを作るのが楽しくて、自分の文字がコンピュータに出るのが嬉しい、というだけ。それを気に入って使ってくれる人がいれば、なお嬉しい。個人がインターネットとつきあうなかでは、変なこだわりや格好をつけることはなくていいんじゃないかな。インドのチャイ屋で見ず知らずのおじさんがおごってくれる感じでいい。ただ、おごるときに何をおごるかが問題ですよね。自分が美味しいと思うチャイでなければごちそうできない。個人のやっているホームページのなかにはネガティブなもの、自分が楽しんでいるのかいないのか不透明なものもある。ぼくが美味しいと思うもの、楽しんでいるものだからこそ、はじめて人にもごちそうできると思うんです。だからインドの充電期間が必要なんですよね。インドでは、美味しいものを探し求めて、つくる方じゃなくて食べる方に専念しているのかもしれません。また誰かにごちそうするために。

____今日はどうもありがとうございました。



 自意識を取りはらった芸術は、観る人の深いところまで降りてくる。そしてゆっくりと効いていく。「感動を伝えるコミュニケーション」それは芸術の理想的なあり方であると同時にまた、前衛でもある。心地よい意識の流れが連鎖し増殖していくさまは、今もっとも求められていることのひとつに違いない。

Text by : 管 眞理子



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