「面白い」と感じる力

生命科学には、「地球は丸かった」的な大発見がまだ2つくらい残っていると思ってます。

今、文化や芸術、国や料理、そして学問といった様々な分野で、従来の垣根を超えた融合が起こり、新たなジャンルが生まれている。生物学と情報科学が融合した最先端科学、バイオインフォマティクスもその一つだ。この分野で世界の先端を走る冨田教授は、いかにして従来の垣根を超え、新しい分野へ到達したのか。境界を超えていく力はどこにあるのか。そしてその先には何が見えているのだろうか。

冨田勝 Masaru Tomita
慶應義塾大学先端生命科学研究所 所長


1981年 慶應義塾大学工学部数理工学科卒業後、渡米。カーネギー・メロン大学コンピュータ科学部大学院修士課程および博士課程修了後、カーネギー・メロン大学助手、助教授、準教授、同大学自動翻訳研究所副所長歴任。1988年には米国立科学財団大統領奨励賞受賞。工学博士、医学博士の学位を取得し、1990年より慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス環境情報学部助教授を経て現在、同学部教授兼担。


慶應義塾大学先端生命科学研究所
2001年4月、慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス内に開設。コンピュータを用いて代謝プロセスを定量的にモデリングし、その動的な振る舞いを解析・最適化することによって、安全で有用な微生物を"デザインする"「IT主導型バイオサイエンス」を目指している。(撮影:アイ.ピー.ピー)


インベーダーゲームからコンピュータサイエンス

僕は大学の工学部だったのですが、実はコンピュータはあまり好きではなかったんですね。コンピュータに興味を持ったきっかけというのは、今や懐かしのインベーダーゲームでした。「こんな面白いゲームの中身はどうなっているのか」ということに興味を持ちまして、そのゲームを動かしているのはマイクロコンピュータだ、ということで、自分でゲームを作ってみるようになったんです。アップル2というマシンでした。アップル漢字システムというのも作って、とりあえず教育漢字の1千字、僕が全部自分でフォントも作りました。当時はマイコンではカタカナしか出なかったので、漢字が画面に出ることには感動して貰いましたね。本当に幼稚な漢字変換システムでしたけれど。

 そのうち、僕は将棋も好きだったので、人間と対戦する将棋ゲームを作ろう、と思い立ちました。今では将棋ゲームは当たり前のようにありますが、当時、実際作ろうと思うと難しかった。将棋の局面というのは先を読まないといけないんですが、通常、一手打つ局面に、30通りくらい指す手があります。三手先を読むとなると、30の三乗の手を考えなくてはいけない。1級くらいの中級者でも17手、プロになれば40手くらいは読みます。要するに30の20〜30乗くらいの計算が出来なければアマチュアにすら勝てない。でも、実際に自分が打つ時のことを考えてみると、30手先を読んでいたとしても、他の手をすべて同等に考えているのではなくて、「この手で行こう」というような、一つの道筋みたいなものが見えている。こういうことをコンピュータにもやらせなくてはいけない。そこで、それをどうすればいいのかをゼミの先生に相談すると「冨田君、それは人工知能の分野だよ」と言われました。そこで僕は大学院に進んで人工知能をやろう、と決めたんです。大学3年の時のことでした。当時、日本では人工知能の分野の研究はあまり進んでいなかったので、アメリカに行くことを決意したんです。そしてカーネギー・メロン大学に留学し、自動翻訳の研究をしたわけですが、人工知能の分野は、実用化するにはどうすればいいのか、という方向に進みはじめてしまった。自動翻訳でいえば、「いかに巧く訳せるか」という、エンジニアリングの分野になってしまった。僕が知りたかったのは、「人間の思考をコンピュータで再現するにはどうすればいいか」ということだったので、次第に違和感を覚えるようになりました。僕の興味は「人の役に立つものを作る」ということではなくて「人間の知能の神秘」にあったんです。いつになったら、鉄腕アトムやスピルバーグの映画「A.I.」に出てくるロボットのような、人間のような思考回路や感情を持った人工知能が出てくるのだろうかと、よく若手の研究者同士で議論したのですが、その結論は「産業ロボットのようなものは作れても、人間のようなロボットは100年掛かっても作れないだろう」ということでした。



生物嫌いの筈がバイオの道へ

しかしよく考えてみると、今、この瞬間にも世界のいたるところで人間は生まれている。僕ら学者が100年掛かって出来ないような精緻なシステムでヒトが自然にできあがり、ものを考えて動いている。最初はたった一個の細胞が次第に分裂し、数十兆個かになっていき、やがて人として思考しはじめる。これはものすごいことです。でも、細胞がどういうシステムで分裂し、人という形を形成し思考していくに至るのか、詳しいことは誰もわかっていない。そのシステムのアルゴリズムがどこにあるのかというと、最初の受精卵にあるゲノム、DNAの中に書き込まれている。そして、その情報量はどれだけ膨大なのかといえば、たいしたことはない、アルファベットに書き換えればATGCの4文字の組み合わせでほんの30億文字分、データ容量で言えばたったの1ギガバイトです。僕の持っている小さなパソコンのハードディスクが30ギガバイトですから、それのたった30分の1です。そこに、僕らが100年掛かっても絶対に出来ないと思われる、めちゃくちゃ複雑、かつ良くできたシステムが書いてある筈なんです。この現実にある大自然の仕組みに目をつむって、独自にシステムを作り上げていこう、というのはなんだか違うんじゃないかと感じました。

 そんな時、ヒトゲノム計画の話を聞きました。人のDNAを20年掛けて解読していこうという試みです。1989年から20年ですから、2010年には解読が終わるだろう、と言われていました。今までは生物の設計図なんてものは見ることができず、手探りで研究していたわけですが、読みとられたものが公表されれば、これからは設計図を見て研究できるようになる。そうすれば生物学の世界は大きく変わるだろうと思いました。バイオサイエンスの世界は大きく変わる時代が来る、と確信したんです。その頃、アメリカでコンピュータの学科を教えていて、隣に生物学科があったので、教職員学習支援制度を利用して試しに生物学入門科目を履修してみたら、それが意外に面白かった。生物は一見とても複雑に見えるが、その根底は非常にシンプルなんだということ、DNAは、人間のものも大腸菌も昆虫も、みな同じ、共通しているものなんだ、ということを教わってとても感動しました。

 それで、94年に慶應義塾大学に戻って、こちらで医学部の生物学の講座を受けたい、と申し出た。アメリカでは、教授が別の学部の科目を履修する制度があるのですが、日本では「前例がないしそんな制度はない」と言われてしまった。そこで結局、入学金や授業料をちゃんと払って、入試もしっかり受けて4年間大学院に通いました。それで医学博士にもなりまして、学生たちと酒を酌み交わしながら「近い将来、生物の設計図が公表されて、誰でもインターネットを介して手に入れられるようになる。その設計図をコンピュータで再構築することは可能か」という話になり、面白いからやってみようじゃないかということで始めたのが「E-CELLプロジェクト」でした。多分、当時は非常にばかげていると思っていた人が99パーセントで、生物学会で発表しても相手にされませんでした。でも僕は「いずれコンピュータが主役になるような新しいバイオサイエンスの時代が来るに決まっている」と、全く疑う余地なく信じていました。やがてアメリカの「サイエンス」誌で僕らの研究が発表されてから、日本国内でも理解されるようになって今に至っています。


「慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス内、致道ライブラリー。生命科学を中心とした自然科学系の資料を所蔵し、慶應義塾、鶴岡市、東北公益文科大学が共同運営しており、教員や学生だけでなく市民も利用できる」
(撮影:アイ.ピー.ピー)

キャンパスの周辺は、鶴岡城の百間濠を再現する修景池に囲まれており、夕刻はガラス張りの建物から漏れる光が水面に反射し、美しい。
(撮影:アイ.ピー.ピー)

留学生の受け入れも盛んに行われている。この日も真摯にコンピュータに向かう姿が見られた。

山形にある鶴岡タウンキャンパスと、慶應義塾の他のキャンパス等を結ぶ遠隔テレビ会議システム。教員や学生同士が自由にこのシステムを用いミーティングを行なっている。

手探りの中の手応え

研究は手探りで続けていましたが、全く新しい分野だから、教科書もなければ先生もいない。でも、だから面白い。自分たちがやっていることがいずれ必ず重要になる、という信念を持ち、他にこれを誰もやっていないと実感することはとても興奮することです。そういう気持ちを学生たちと共有してやって来ました。最先端の研究には、学生のパワーとアイデアは不可欠です。学生なくして最先端の研究はなりたたないし、本当の教育は最先端の研究を通してでなければ駄目だと思うんです。

 僕は学生時代、勉強が嫌いで、本当に最低ラインの勉強しかしてきませんでした。でも、ひとたび興味を持ったことに関しては、自ら学費を払ってでも学びたいと思った。このギャップは何かといえば「これは面白い」と思うか否か、ということなんです。つまり教育で一番大切なことは、モチベーション、すなわちそれが面白いと思うかどうか、につきると思います。人は、自分の好きなことをやる時は、嫌なものをやる時の10分の1の労力で出来てしまうんじゃないかと思います。人生において、自分の好きなものを見つけてその方向に進んでいくということはすばらしく効率がいい。そういう意味で僕はとても得をしたんだな、と思っています(笑)。


好奇心という原動力

最終的な到達地点、というものは特に設けていないんですが、僕自身の原動力は、好奇心だと思います。基本的に、生物は一貫して巧くできすぎていると思っています。こんなものが自然に出来ているのかな、という不思議です。生物の生命科学には、まだ、ものすごい大発見が2つくらい残っているんじゃないかと思ってます。例えば、地球が丸いということがわからなかった時は、なぜ太陽が昇って沈のか、惑星は不思議な動きをするのか、そういうことはとても不思議で説明できないことだった。それが、「地球が丸かった」ということがわかった途端、すべて説明できてしまった。生物にもそんな大発見が残っているんじゃないかと思うんです。「実は生物はこういうことなんですよ」という何かがあって、「ああ、だからこうなっていたのか!」と全部説明できるような、そんなことです。そういうことをいつも学生と酒を飲みながら語り合っています。サイエンスは、大自然の謎をひとつでもふたつでも解明し、その知的興奮をほかの人にも伝えるために論文を書く。そういうことだと思うんです。これからも自分の面白いと感じたことを貫いて研究し、それをみんなに伝えていく、そんなスタイルを続けていきたいと思っています。



ホームページ

慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス
【TTCK】HP
http://www.ttck.keio.ac.jp/


Back to home.