人の真似だけしてても味は出まへん、 他のことにも言えるんでしょうが、 自分でどう良くしていけばいいか 考えることが技術、熟練に繋がって いくんやないどすか。

「能装束」は、「面」と共に日本の伝統的舞台芸能「能楽」を華やかに彩る、もう一つの主役だ。古いものでは300年を超す能装束を復元、そして新たな視点で創作することに心血を注ぐ西陣織職人、山口安次郎さんに、現代に織る能装束の技術の粋について、そしてそのご子息で絹糸と染色について造詣の深い山口豊さんに、絹糸の染色技術の現在について伺った。
左:山口安次郎さん
明治37年(1904)10月1日生まれ、99歳。
小学校を卒業した日から80年以上にわたって機を織り続け、今日に至る。西陣織の中でも特に高い技術と熟練を必要とされる「唐織」と呼ばれる技法を用い、能装束づくりに従事し、昭和57年(1982)に「現代の名工」に選ばれた。また、昭和58年(1983)には長年の功績を評価され、勲六等瑞宝章を授与されている。観世流、金剛流宗家の能装束を含み、これまでに約200領を制作している。

右:山口豊さん
昭和15年(1940)10月16日生まれ、63歳。
高校卒業後、2年間、実地に経営を学んだ後に山口織物株式会社に入社、安次郎さんと共に草木染めの研究を行い、絹糸、養蚕の国内外の事情にも精通している。


能装束を織るということ

「西陣織の織物は全て絹糸を使っています。糸の太さは柄によって様々ですが、能装束にはある程度決まった『型』があります。経糸(たていと)は『二十一中(なか)の二本双(諸)』、緯糸(よこいと)は『二十一中(なか)1の4本合わせ』と言いますのや。」

経糸は織り地の基本になるもので、細い絹糸を約五千本用いている。絵で言えばこれがキャンバスにあたると考えていい。そして絵の具の役割を果たし柄を描いていくのが緯糸だ。中国伝来の技法を基にしていることから「唐織」と呼ばれる色彩豊かで重厚、かつ精緻な柄の入ったその織物は、一見すると一面に豪華に刺繍を施した生地のように見える。

「刺緤しているように見えればそれがええのですわ。本当に刺繍をしていたら高うつきますし、目方も重うなりますさけに。能装束も、ごく初期は刺繍やったと思いますけど、次第に織る方に変わっていったんだと思います。織る方が見た目も綺麗で軽いので舞いやすいんですわ。」

古いものでは300年前に作られたものも現役で使われている能装束だが、長い年月の末、損傷も激しく色も褪せ、また、現代の舞い手は、当時と比べ体格が良くなっているために当時のものでは着丈が足りず、こうした様々な理由から作り直す必要性に迫られているのだ。だが、甲羅を経た装束を現代に復元するには、ただ、見たままを再現するのではなく、様々な分析に基づいた上で制作を行う必要がある。

「昔、装束を織っていた頃の舞台は、今みたいな明るい照明機器はありまへんやろ、恐らく、能役者は蝋燭の炎みたいな薄暗い照明の中で舞ってたんやと思います。ですから、そんな光の中でも華やかに見えるよう、当時の装束の色彩はかなり派手やったんです。今は照明がよくなっておりますやろ、当時のまま再現したんでは明るすぎます。」

古い能装束は、表面上は、退色が進んでいるために渋い色合いになっているが、裏の織り地を見てみると、退色の度合いは比較的浅く、その色味はかなり鮮やかなのだという。その色味をそのまま再現してしまっては、現代の強い照明の下では華美になりすぎる。面と舞い手と装束の調和が重要な能にあって、装束だけが浮き上がってしまうことがあってはならない。そこで、現代の舞台で舞うことを計算し、色味を調整して制作を進めていく。その為には、織り手自身も能の舞台に精通している必要がある。

「月に3日は舞台を観にいきますな、観る時は朝から晩まで、一日中ぶっ通しですわ。疲れたりはしませんなあ、能を観るのが好きですから。けど、能装束を織るようになってからは、商売柄、装束がその舞台や曲と合っているかどうかが気になって、もっとこうしたらええのになぁ、と思いながら観るようになりました。復元でのうて、私オリジナルの装束のデザインを考えるきっかけにもなってます。」

300年前に織られた歴史あるもの、それを自分で再現したもの、更には全くの自分のオリジナルの装束を纏い、演者が舞台の上で舞う姿を、客として客観的に見ることになる。歴史を経たものと自分の作品を比べてみての感想を聞いてみた。

「昔のものもよろしいですけどな、自分の創ったものが一番、曲に合うてますなぁ。昔のものを超えてると思うてます。」

機を織り続けて80年を越す現役職人は、胸を張って自信たっぷりにそう答えた。


現代技術と伝統技術、
取捨選択の上に
成り立つ美

安次郎さんの織る能装束は、軽くて張りがあると評判だ。その秘密は何なのだろうか。

「織り方なんてものは、簡単なものですから、習えば誰でもすぐ織れるようにはなります。けれど、研究心を持って長う織っているうちに、だんだん味が出てくるようになるんですわ。それが技術いうんやろと思います。人の真似だけしてても味は出まへん、他のことにも言えるんでしょうが、自分でどう良くしていけばいいか考えることが技術、熟練に繋がっていくんやないどすか。」

分業制が発達している西陣織の業界では、織り職人は「機を織る」ことに専念し、織るための糸を選んだり染めたりすることは専門の職人に任せるのが通例だ。しかし、織物の技術を極めるための研究心に富む安次郎さんは、ご子息の豊さんと共に絹糸の染色について深く研究を重ねてきた。特に、能装束の復元に際しては、当時の草木染め技術を知ることは必要不可欠である。一般に草木染めと聞けば、普通の人は褪せた渋い色合いのものを思い浮かべるものだが、豊さんが作った、昔に染められた技術を再現した絹糸の色見本帳を見て、驚くほど鮮やかな色の洪水に目を奪われた。

「綺麗な色を出すためには素材の良さもありますが、温度や糸を入れるタイミングも重要です、しっかりした技術で染められた糸は簡単には退色するもんやありません。」

安次郎さんと共に草木染めを研究して30年、その長所も短所も知り尽くした豊さんはそう語る。草木などの自然素材で染めた糸には独特の質感が伴うのだという。また、染めに用いる素材自体が、着る者にもたらす効果もある。例えば鮮やかな黄の染めに用いる「うこん」は、今、健康食品としても人気が高い。これで染めた糸を用いた織物を身につけると、「うこん」の持つ有効成分を肌からも得ることが出来るのである。赤ん坊の産着の裏に黄色い生地をつけるのも、赤ん坊が口に含んでも、身体に良い染料で染めていれば安心だというのが理由だという。こうした効用は、化学染料には成し得ない技といえるだろう。

しかし、自然素材で染めたものを商品として取り扱うには、困難も付きまとう。まず、美しい発色のためには大量の原料素材を用いねばならないが、漢方薬などにも使われる高価なものであることが多く、安定調達を維持するには多大な資金が必要となる。また、季節や気候状況によって素材の状態が変化するため、一定レベルの発色を常に期待するのは難しい。さらに、染める工程も複雑で時間が掛かるのだ。つまり、計算通りの色に染まった糸を用いて同じ織物を作ろうとすれば、化学染料で染めたものに比べ、コスト面で大きな差が生じてしまうのである。

能装束は、舞台で舞う為の舞台衣装、いわば「道具」だ。いわゆる高級訪問着や帯のように、生地の風合いや高級感を重視するものとは一線を画す。総合的に判断した結果、退色の度合いが抑えられること、安価に早く仕上がることから、現在の安次郎さんの能装束は化学染料で染められた糸を採用することが多い。しかしながら、それは草木染めに精通し、日本の伝統的な染め技術を再現することで培われた本来の色味の美しさを知った上での判断であり、その色と品質を知るからこそ、化学染料で染められた色を用いることに自信を持つことが出来るのだろう。こうした技術の深耕は染め技術だけにはとどまらない。糸の縒り方にも安次郎さんならではの工夫がある。

「例えば水衣(みずごろも)と呼ばれる羽織るための薄い生地の透けた装束は、普通、織り糸の断面は丸いんですけど、私は平たく糸を縒って使うてます。その方が、織った時に見た目に味が出るんどす。」

こうした発想も、日々、機を織りながら常により良く織り上げるためにはどうしたらよいのかと考え続けていればこそなのだろう。安次郎さんの織る生地は、裏地が驚く程すっきりとしている。複雑な柄の織物であれば、裏地には柄から柄へと多数の糸が張り渡されているものだが、安次郎さんの織り地は、柄のひとつひとつで糸を留め丁寧に処理しているため、そうした見苦しさがないのだ。軽さの秘密はここにある。

蝋燭の炎から電気照明へ、草木染めから化学染料へ。そして、貴族や特権階級の人々だけの楽しみであったものが大衆のものに。伝統技術の上に現代の技術が融合し、関わる人々の創意工夫が積み重なっていくこうした時の流れの中にこそ、能楽舞台の美しい調和があるのかもしれない。


※この能装束二点は、草木染めの糸を用いて織られている。


世紀を超えるということ

「今、デンマーク、スウェーデンに1領ずつ、イギリス、フランスに2領ずつ、能装束を寄進して置いてあるんどす。今はまだそれだけですけど、出来たら世界中に1点ずつ、能装束を置きたいと思うてるんですわ。それぞれの気候風土で200年先、300年先、どんな風に変化していくのか、それが見てみたい、思うてます。」

現在の西陣の織物技術は世界一で、能装束には西陣の技術の全てが凝縮されている。その日本の技術の粋を世界の人に見て貰いたいと、安次郎さんは言う。

今までに安次郎さんが織られた能装束は軽く200領を超える。

豪華で華やかな「唐織」の能装束を織るには、3ヶ月を要する。こつこつと地道に進めなくてはならない、根気のいる作業の筈だが、昔ながらの織り機に座る安次郎さんは、実に嬉しそうに機を操る。何十色もの鮮やかな糸を操るその指先には迷いがなく、自然光の薄く差し込む織り場には、パタパタと小気味よく乾いた機音が響く。

「機を織っている時が何より一番楽しゅうおすな。能を観てる時よりなにより一番ですわ。」

安次郎さんは笑顔でそう言い切った。

「兄貴の創った絵巻物は2千年保つでしょう、私の創ったものは実際に身につけて舞いますさきに、まぁ、300年は保つと思います。」

それは、自らの技術を研ぎ澄まし作品を織り上げることに1世紀を費やし生き抜いた人だからこそ、リアリズムを伴う言葉なのだろう。



【山口豊さんに伺う、絹糸と染色の世界】

現在、日本国内の養蚕製糸工場は、僅か数軒しかない。しかも、使っている繭は殆どが中国産のものに頼っているのが現状。国産の繭は12月と1月頃に僅かに生産されるものだけだ。国産の繭は糸が細く、西陣織に適しているが、近年では中国やブラジルで生産される繭も品質に大きな差は無くなってきている。その中で依然、辛うじて日本が世界トップクラスの品質の優位を保っていられるのは、450以上の蚕の品種の『タネ(蚕の卵)』を保持し、種の掛け合わせの技術を持っているからだ。蚕には『一化性(一年に一度のサイクルで卵から孵り、繭を紡いで卵を産む)』『二化性(年二回)』『多化性(年三回以上)』などの種類があり、熱帯性の地域では多化性の品種が多い。また、繭の大小も品種によって様々なため、サイクルや繭の大きさ、糸の太さ、強度など、生産のニーズにあわせたものを交配で創り出すのだ。安次郎さんの織る能装束に使われる糸も様々な試行錯誤の末に培われた絹糸の知識を用い、最も適しているものを世界中から選び出されたものだ。

日本の古来種として有名なものは「小石丸」と呼ばれる、ごく小さな繭を作る種で、皇居・紅葉山御養蚕所で歴代皇后に受け継がれ現在も飼育されている。豊さんの目標は、こうした日本の古来種を交配し、純粋の国産種の蚕の繭を用いた絹糸を創り出すことだという。

絹糸の染色については、化学染料の台頭によって衰退してしまった、従来の自然素材による染色技術を蘇らせるため、現存する資料をもとに昭和40年から研究開発を重ねた。その成果は200色の現物見本帳(『能装束の色』昭和56年出版)として出版され、古来の「茜」「蘇芳」などと呼ばれる色がどんなものであったのかを、実際に染色を施した糸で再現し、草木染めが華やかな原色の世界であることを示した。

西陣織の歴史は、単なる伝統維持の歴史ではない。科学技術の変遷の中、衰退していく技術を見直し、取捨選択を繰り返しながら、より高度な技術へと引き上げていく。その、絶えず繰り返される研鑽こそが西陣織の美しさを織り上げているのかもしれない。



●前後編でご紹介した、山口伊太郎さん・山口安次郎さんご兄弟の美しい作品をまとめた図説を、おふたりのサイン入りでプレゼント致します。詳しくはこちらをご覧ください。




Back to home.