「アメリカは、イラクへの攻撃を“正義のため”のものだという。
しかし、その正義は、イラクの人びとにとっても、同じ正義といえるのだろうか」――。
昨年12月に出版されて以来、重版を重ねる児童書『ぼくの見た戦争 2003年イラク』(ポプラ社)。
そのパワフルな写真とストレートな言葉は
「戦争はテレビの中の話で自分に関係ない」という子どもたちに衝撃を与えた。
著者であるボストン在住のフォトジャーナリスト、高橋邦典さんを、
リンククラブ編集部に迎えてお話をうかがった。

フォトジャーナリスト / 高橋邦典さん
KUNINORI TAKAHASHI
1966年宮城県生まれ。1989年渡米。1996年度、および2003年度ボストン報道写真家協会フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー賞受賞。1999年度、2000年度ニュース部門第一位受賞。2003年度AP通信メンバー、フォト・オブ・ザ・イヤー受賞。ボストン在住。

Power of photography

バグダッドのまちにはいったアメリカ兵たちは、ひとつひとつの建物をチェックしていった。
兵士たちが門をけやぶろうとしていると、ひとりの老人が扉をあけた。
涙をながしながら、老人はさけんでいた。
「もうこりごりだ。ここにはなにもない。かんべんしてくれ!」

『ぼくの見た戦争
2003年イラク』より


出発の朝、テントのなかで黙って銃の手入れをする兵士たち。
彼らのわきにおかれたヘルメットのなかには、妻と、幼い息子の写真がはりつけられていた。

『ぼくの見た戦争
2003年イラク』より

ハイチでの取材を終えて、日本に6カ月ぶりで一週間だけ戻ったという高橋さんは、日焼けした精悍な面立ちで現れた。「取材で現地に数週間行ってやせて、ボストンに戻って体重が戻るのがパターン」だという。はじめての著書『ぼくの見た戦争 2003年イラク』は、「第9回日本絵本大賞(2004年)」を受賞、最近では学校で読み聞かせなどにも使われるなど、全国から反響がやまない。

「編集者から、どうせ出すなら子どもにも見てもらえるようなものにしようと提案があって。文章は子どもからお年よりまでという気持ちで書きました」と高橋さん。子どもたちからは「なんでアメリカ兵の人も戦いたくないのに戦わされて、イラクの人も殺されたくないのに殺されなきゃいけないの?」という疑問が寄せられた。太平洋戦争を経験した人からは「実際の戦場はこの写真よりも悲惨だと、私は知っている」という手紙が届いた。

ニュース番組で生中継される戦争の映像は、映画やドラマで見る映像との差異が見えず、どこか現実感を欠いている。「テレビに映るのは、ミサイルがポンポン打ち上げられるとかそんな場面で、着弾現場がどうなってるかまでは、想像が及ばないでしょう。あまりに大量の情報が流れるんで、麻痺しちゃうし記憶に残らないんですね。写真はこまかいところまでじっくり見られるから、“こんなことが起こってるんだ”ということを感じてもらえる」高橋さんの言葉どおり、この戦争の報道をきっかけにあらためて写真の持つ力を発見した人が、世界中にいる。

Iraqi War and American Families

高橋さんは2月1日から中東に入り、開戦から4月19日までイラクにいた。この本はその時系列で、高橋さんの見た戦争を物語る。「本音を言えば軍隊は嫌いだったし、はじめからバグダッドで取材したかった。戦争を伝えるという意味で、本当に撮りたかったものは撮りきれてないです。だからこの本では政治的なことは抜きにして、戦争や殺し合いとはどんなことなのかを感じてもらいたかった」。

銃の手入れをする20代前半のアメリカ兵。彼の指には結婚指輪がはめられている。街で見かける普通の若者と変わらない彼らが、ひとたび戦地に赴けば「仕事だから」と人を殺す。あるいは、鍵をこじあけガラスを割って、武器の捜索を続けるアメリカ兵に家を追われるイラク市民。着のみ着のままの女性や子どもの目は、深い悲しみを湛えている。この本はすでに英訳してあるそうだが、アメリカで出版したらどんな反応があるだろう。「基本的には中立の立場で書いていますから、内容に反論する人はそういないでしょう。ただアメリカの子どもは、例えば実際にお兄さんが出征しているなど、戦争が日本の子どもよりも身近です。従軍取材した海兵隊には、母親が反戦運動をしているという兵士もいました。母親のほうも彼のほうも、おたがいに心を開いて話すのが難しかったようです」

アメリカ国内でも、まれに見る規模の反戦デモが各地で行われた戦争だ。親兄弟が反戦の立場をとるなか出征するなど、複雑な経験をする家族も少なくなかった。ベトナム戦争の反省から、戦争には反対でも、過酷な戦いに臨む兵士はサポートすべきという意見も多かった。ダブルスタンダードといわれようと多様なものの見方を学ぶ必要があること、矛盾や疑問と向き合ったうえで自分の立場を決めるのは容易でないことを、多くの人が感じているようだ。

Combat Photographer

『ぼくの見た戦争 2003年イラク』
高橋邦典 写真・文
ポプラ社 1365円(税込)

Kuni Takahashi website
http://www.kuniphoto.com
これまでの作品を公開。

kuni journal
http://jmag.com/kuni.html

ボストン・東海岸エリアの日本語フリーペーパーに寄稿されている、高橋さん最新のジャーナルが読める。

イラクでは兵士達とともに地面に穴を掘って身を隠し、すべての機材をラップで巻いて砂から守り、銃弾が飛び交う中を駆け抜けながら撮影した。毎年何人ものジャーナリストが、戦地で命を落としている。高橋さんに、恐怖はないのだろうか。「誤解を恐れずに言えば、ある種の高揚感があって、強烈に生きている感じがするんです。その中で自分の実力を出しきれると、すごく充実する。それからフセイン像が倒れた時もそうですが、大きな歴史の節目の現場に立ち会っているという感じ。あれを一度味わうと、病みつきになるというか…。僕はそういう状況において自分が何を感じるか、興味があったんですね。もう嫌だ、なのか、やっぱりこれだ、なのか。イラクに行って本当にやりたいことがわかったのは、すごく大きな経験でした」。

敬愛する報道カメラマン、故・沢田教一氏に一歩近づけたという意味で、この取材では中間地点ではあるが、あるゴールに到達できたという。「大学中退後、絵をやりたかったのですが、今さらデッサンから勉強するのも大変でしょう。そんな時に沢田教一さんの本を読んだんです。青森での生活にフラストレーションを感じた彼が、野心をもってベトナムに行き、米兵も驚くほどの勇敢さで写真を撮ってピューリッツァー賞も受賞して、若いうちに散ってしまう。そんな生き方がかっこよく見えたし、写真ならとっつきやすかった。かっこよく生きるには、何をやるかも重要でしょう。報道写真は社会的に意味のある、一生やっていける恥ずかしくない仕事だとも思った」23歳だった高橋さんは「どうせなら全くしがらみのないところでゼロからスタートしよう。アメリカに行っちゃえ」とボストンの学校を選び、写真の世界に入った。

A Photo Which Tells a Story

高橋さんにはボストン・ヘラルド紙のフォトジャーナリストとして、長いキャリアがある。しかし、日本ではフォトジャーナリズムという分野がどういう仕事や作品をさすのか、ピンとこない人も多いのではないか。「日本では商業写真やファッションの分野には、才能ある人がいるし、ジャーナリストも優れた人が多い。でも本当の意味でのフォトジャーナリストというのは少ないと思う。雑誌の記事など見ても、この人は単にカメラを持った記者なんじゃないかなって思うことが多い」という高橋さんは、自分の中のフォトジャーナリズムをこう定義する。「極端な話、言葉がなくても一枚の写真だけですべてをわからせてしまう、一枚の絵のような作品。本来であればいかに記事を少なくして、写真だけで人をうならせられるかが勝負です。だけど日本では、写真は記事の補足説明的な扱いに甘んじているし、新聞には写真を撮った人の名前が載っていない。ということは、誰が撮っても同じ程度ってことなんですよ。新聞社は通信社とは異なり自身のスタンスがあっていいのだから、客観的報道にとらわれすぎず、記名にすべきと思います」欧米では写真も記事も記名で、個人の視点や責任の所在がはっきりしている。しかし、日本ではそういうことを理解できている編集者が不足しているため、発表する媒体や場がない。また、コンテストのような評価の舞台もない。「そういう場があれば、いい作品を撮らなくてはと思うじゃないですか」と高橋さんの言うように、欧米にはフォトジャーナリストたちの登竜門となる写真コンテストが確立されている。

Can We Stop It?

「高2です。この本を読んだんですが、私には何ができるんでしょう」高橋さんのもとによく届くそんなメールには、「まず社会のなかのいろんなことに興味を持って、自分の意見をもつようにして下さい」と返事をするという。私達は戦争を止めることが、できるのだろうか。「正直に言えば、人間のDNAの中には戦う本能があるんじゃないかと戦地で感じた。動物だから戦うことはなくならない。でも起こらないで済む戦争は多いはずです。本を出してみて驚いたのは、一般の人は現実をこんなに知らない、知る機会がないし、知ろうとしないということ。特に日本では、知らなくても日々の生活に困るわけじゃない。まずそういう姿勢を変えていくことが大切で、それは発信していく人間としての責任だと思います。メディアはこうしたことを取り上げて子ども達に現実をきちんと伝え、子ども達に自分なりの意見をもつ機会を作る。それが、大人の責任でしょう。自分で考え、意見を持ち、そして行動に結びつけられる子どもが、ひとりでも二人でも、百人でも千人でも増えていくことによって、十年後の世界は今よりよくなっているんじゃないか。僕が反戦のためにすべきことは、長い目で見てそういうことだと考えます。そしてそれは誰にでもできることなんです」。『ぼくの見た戦争』を読んだ感動も、来年になれば薄らぐ。だから今の気持ちをもち続けてもらうために、努力し続ける。高橋さんからは、そんな情熱が伝わってくる。「僕は使命感をもってというより、内側からわいてくる興味に従って写真を撮り続けるだけ。でもその結果として、僕の出会う人たちと、写真を見てくれる人たちとの掛け橋になっていければと思います」。

Text:JUNCO


戦闘の激しさが増し、反政府軍によって毎日のようにロケット弾が市内にうちこまれてきた。
犠牲となった男の子の亡骸のまえで、父親は悲しみに泣き崩れた。

(リベリア)


陽が傾きかけたころタウンシップを歩いていたら、縄跳びをして遊ぶ数人の女の子達に出会った。
元気なかけ声をあげながらジャンプするその姿は、まるで未来に向かって羽ばたいているようにも見えた。

(南アフリカ)



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