人々の心に 種をまいた ドキュメンタリー

この人のことを もっと知りたい。 笑顔が見たい。 そして多くの人に 伝えたいと思った。


新宿の路上で20年以上に及ぶ野宿生活を続けてきた「あしがらさん」と呼ばれる老人。
そんな彼を1998年からカメラで撮り続けた飯田基晴さん。
自主上映会でしか公開していなかった映像が今春、単館系劇場で公開された。
映画『あしがらさん』は人から人へと伝えられ、いま静かな話題となっている。
映画の舞台となった新宿の街を飯田さんと一緒に歩きながら、
『あしがらさん』を撮り始めた動機や広がるネットワークについて伺った。

飯田 基晴
1973年生まれ。1995年、原一男監督の「CINEMA」塾に参加。その後、96年より新宿でボランティアとして野宿の人々と関わる。98年よりビデオ、テレビ等で野宿者の状況を発表。現在はフリーで映像制作を行なう。自主制作での長編ドキュメンタリー映画は『あしがらさん』が1本目。

映画『あしがらさん』

新宿新宿の路上で野宿生活を続ける、通称「あしがらさん」と呼ばれる老人の生活を撮影したドキュメンタリー映画。団体生活を拒むあしがらさんは3年間の間に、入院、施設入所、再び路上に戻るなど様々な出来事を経て、次第に周囲の人に心を開いていく。

2002年制作/ビデオ/73分
監督/制作/撮影/編集:飯田基晴
音楽:梅津和時ほか
配給:あしがらさん』上映ネットワーク
大阪では第七藝術劇場(TEL:06-6302-2073)にて7月31日(土)から公開。
※今後の上映予定、ビデオ販売の情報はこちらのサイトをご覧ください。

http://www5f.biglobe.ne.jp/ ~ashigara/news.html





__映画の中の飯田さんは、空気のように存在している。カメラを構え、ファインダーを覗いているはずなのに、それを感じさせない。同時に撮られていることを意識していない被写体のあしがらさんも不思議な人だ。それでは、飯田さんがあしがらさんと出会った頃の話から聞いてみよう。

1996年、新宿。その頃、僕はボランティアとして、野宿している人にゆで玉子を作って配るという活動をしていました。そこで出会った一人があしがらさんです。

僕は子供の頃から正義感が強いとか、ボランティア精神が強いといったことはありませんでした。もともとボランティアをしようと思って、野宿の人にかかわっていったわけではないんです。とにかく野宿している人に実際に出会ってみたい、どういう状況で暮らしているのか、どういう気持ちなのかを知りたい、という思いから新宿に来るようになったんです。そしてボランティアがあることを知り、「じゃあ、いろんな人に会える機会があるんだ」と思って参加したんです。

駅周辺だけでも600人もの路上生活者がいる新宿。あしがらさんは、その中でも特に厳しい生活状態でした。厳しいのは暮らしぶりだけではありません。こちらから話しかけても言葉が通じているのかわからない。反対に向こうが何か言っても、何をしゃべっているのかわからないくらい、当初はコミュニケーションが取れない人でした。

その印象が変わったのが、映画の冒頭に登場する1996年の大晦日。駅周辺でとん汁を配った時でした。「あの人(あしがらさん)にも食べさせてあげたいな」と思って、器によそってとん汁を届けました。あしがらさんは一気にたいらげて、「うまかったなー」と言って、いい笑顔を見せてくれたんです。僕たちの気持ちが伝わり、本人が喜んでいることも伝わってきた。それは僕にとって、言葉は通じなくても気持ちが通じあえたと思えた瞬間だった。嬉しかった。それまで「この人とはコミュニケーションできない」と思っていたことが、自分の思い込みだったとわかったんです。明らかに僕の偏見ですよね。その頃から、この人のことを知りたいな、と。そして違う機会に笑顔が見られたらいいな、と思うようになったのです。

__映画は、この頃のあしがらさんの映像からスタートする。飯田さんはあしがらさんのあるがままを撮り始める。もう少し飯田さんの気持ちの奥にカメラを向けてみよう。あしがらさんのことが、どうしてそんなにも気になったのか?

あしがらさんは新宿のど真ん中に24時間いる人でした。

生活状態は見るからに厳しいのに、何万人もの通行人がいるのに、ほとんどの人が彼の前を通り過ぎていく。

振り向く人すら数人しかいない。僕もかつてはそのうちの一人だったと思います。

とても気になり始めたんです。あしがらさんが繁華街のど真ん中にいることも何かのメッセージのように感じられて。言葉にはしないけれど、あしがらさんは、自分の状況の大変さを訴えているような、そんな背中からにおい立つようなものを根底に持っていたんです。だから、もっと深くかかわって、本人のことを知りたいと思った。気持ちが通じあえたら、嬉しいとも思った。同時に、ここに一人の人が苦しみながらも頑張って暮らしているということを、多くの人に知らせたいという思いがわいてきたんです。

撮影したいと申し出た時、あしがらさんは基本的に「お構いなし」で臨んでくれました。どこまで本人が自分の言葉で語ることができるのか、というラインだけ見せてもらえばよかった。もちろん、過去を知りたいという気持ちはあったが、過去を聞き出すのは目的ではなかった。本人がギリギリのところまで言語化しているという様子を伝えられたらいいなという思いでした。

__映画には時間の経過とともに、あしがらさんが飯田さんを信頼していく過程が静かに映し出されている。長い年月、共同生活を拒んで生きてきたあしがらさんが、どうして飯田さんには「あんただけは信じるよ」と心を開いたのか? そして飯田さんは撮影をしている途中から、そういう流れになると感じていたのか?

いちばん印象的だったのは、最初の入院の時でした。最初に見舞いに行った時は痛々しかったけども、2回目に訪れた時、あしがらさんの体調は安定し、余裕がありました。「体調はどう?」と聞いたら、「よくなってきたよ」と。カメラを構えている僕のほうが「よかった」とつぶやいていました。環境が変われば違う人間性、鎧を取っ払ったような本人の姿が見えてくるんだと感じました。

あしがらさんが心を開いてくれた理由は、僕がよく会いに行ったからでしょう。あとはお見舞いの際に、ミカンを差し入れしたからでしょう(笑)。路上にいる時も差し入れはしましたが、ただ単に撮影をするだけというのも、自分の中ですっきりしなかった。それで、お見舞いの気持ちを何かに託していきたいと思っていたんです。

最初はどのように展開するのかわからずに撮影を始めました。撮影を続けているうちに、本人の様子が変わってきたのが、作品の決め手です。率直に言えば、そう願っていたし、それで映画になった。あくまでも映画は僕の主観で現実を切り取ったパズルだと思います。僕の眼にはこう見えたということです。

2000年のクリスマスイブの夜、衰弱していたあしがらさんは新宿のガード下で僕に「助けてや」と言いました。一緒に新宿区役所まで行って、公の手続きを経て、あしがらさんを入院させるまではできる。でも、その後、どうすればいいのかと考えました。本人だけでどうなることでもないし、施設に入っても、また路上に戻ってくることはわかっていました。でも、また路上に戻ることは本人にとっても嬉しいことではないし、作品としても繰り返しになるので、違う方向に行くのがいいとは思っていました。すでに僕との間に信頼関係が生まれていたので、ソーシャルワーカーで友人の後藤さんが、あしがらさんを受け入れてくれるのであれば、これまでと違う展開になるかもしれない。僕自身が双方の間に入ることができるかもしれない。そう思って後藤さんに相談をしてみたんです。これはあしがらさんの現状を変えるために自分で加担したことのひとつです。

__現実を撮ったドキュメンタリーだが、途中からドラマが動き出す。それは撮るだけの人であった飯田さんがあしがらさんの状況を変える方向に足を踏み出し、同時に撮られるだけの人であったあしがらさんが「住まいに暮らしたい」という意志を見せ始めたからだ。

本人は好きで路上にいるわけではなく、路上の生活から抜け出したいと考えていることは、あしがらさんが自分の言葉で語っていた。まずは落ち着く場所が必要だと思った。僕は本人を変えようとは思いませんでした。まず受け入れてくれる施設に行ったらいいと思ったんです。

よく「ホームレス問題」といわれますが、個人が抱えている問題は様々です。共通しているのは、住居がないということ。仕事、お金、家族、病気やけがなどの問題がいくつか重なった時に居場所を失い、路上に来る。それが野宿の人たちです。本人が抱えている問題は本来、個別の場で解決していくことだと思います。それが十分にできていないから問題になっている。大事なのは、路上から抜け出したいという思いをどこで応えるか。それぞれが抱えている人生も個性も様々なように、様々な支援が必要だと思います。それを用意できない社会の側の問題をひとまとめにしたら、ホームレス問題になるのだと思います。

「希望はない」と言っている人もいるけれど、どの人を見ても生きることに執着している。「生きること」は、まだ捨てていない。あるホームレスの人は、「死に切れなかったから、ここ(路上)に来たんだよ」と言いました。「生きるか・死ぬか」というせめぎあいを感じながらも、路上に来ることを選んだ人は少なくないでしょう。さらに路上で暮らすことが、本人の自尊心を傷つけていると想像します。それでも、人は生きていくということに、僕は何かを教えられたような気がします。

__映画『あしがらさん』の特徴のひとつは、映画の外にある。映画を観た人たちが自ら動き始め、個人で映画の紹介や宣伝を始めたことだ。映画が人々を動かしたのである。

配給会社もなければ、プロデューサーもいない。劇場公開という初めての局面で右往左往しながらやってきました。逆にそれが功を奏したようです。友人から始まった広がりが波及し、いろんな方がいろんな形で宣伝してくれたり、チケットを売ってくれたりしています。気づいたらそういうネットワークができていた。ネットワークができればいいとは思っていましたが、組織化する余裕がなくてできなかった。それをみんなが支えてくれて、さらに広がっている。生みの親は、確かに僕です。プロデューサーがいないので、ひとり親ですけど…。作品は子供と言いますが、確かに子供に相当する愛着を持っています。こうしてネットワークが広がり続けていることが、作品の成長です。それは僕だけの力でなく、むしろ周りの人が、育ての親のようになってくれているんだなと思っています。


映画の後半、あしがらさんと飯田さんが一緒にいる場面。二人は友人のような空気をまとっていた。それが現実の中で動き始めたドラマだ。あしがらさんは、屈託のない笑顔を見せていた。

最後に、「これからの監督としてのシナリオは?」と質問した。すると、飯田さんは次のように答えた。「こうありたいというものは、基本的にまったくないんです。やっていけるかはわかりませんが、今後、映像の世界で生きていこうと思っています」。


全国のホームレスの数

「25,296人」

生活基盤の安定性を欠く人や、病気・けがなど個人的問題を抱えている人などが、社会経済環境の変化に対応できず、不況による失業を契機に路上生活に至るケースが多くなっている。厚生労働省が2003年に行なった実態調査によると、全国のホームレスの数は25,296人。大半が単身男性で、50〜64歳の中高年齢層が6割以上と中心を占めている。彼らは食事の確保の困難さ、通行人とのトラブル、健康状態の悪化など、厳しい生活環境におかれている。




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