■ 建築を学んでいた新さんが、写真を撮り始めたのはいつ頃ですか?
撮り始めたのは学生時代で、最初は友達の顔でした。優秀な学生は卒業設計で学外に作品を発表します。その際にパンフレットが必要になるので、友達に頼まれて顔写真を撮ったのがきっかけです。それまで写真を撮るのも撮られるのも嫌いでした。でも、友達を撮っていたら写真がおもしろくなったんです。仕上がりを友達や先輩に見せると、いろんな意見が返ってきました。僕はそれまで学んできた建築では評価を得られず、悩んでいました。何が良い設計で、何が良くないのか、わからなかったんです。それが写真を撮り始めて、「他人の評価はどうでもいい、各自がきちんとした価値観を持っていればそれでいい」と思えるようになったんです。他人が僕と違う見方をすることもまた正解なんだ、と。 やがて先輩たちから「模型の写真を撮ってくれ」と頼まれるようになりました。写真を撮っていると、建築家が何を言いたかったのかがわかってきました。ますます写真がおもしろくなった僕は、自己満足に終わりたくなくて、カメラ雑誌へ投稿を始めましたが、1年間続けてから「素人腕自慢みたいなことはやめよう」と思い、やめました。そして真面目に写真をやろうと思っている時に縁があって建築写真家のアシスタントになりました。
■では、建築写真家の卵が地下世界を撮るきっかけは?
「首都圏外郭放水路」の一般公開イベントがあり、雑誌の取材で出向いたことがきっかけです。渋滞に巻き込まれ、残念ながら当日の取材は間に合いませんでしたが、せっかくだからぜひ見たいと思い、後日、改めて見学に行きました。地下に入った途端、「凄い世界がある」と感じ、夢中で撮りました。編集者を通して国土交通省の方にその写真を見てもらった時、「こういう写真を撮りたかったら、いつでも来ていいよ」と言われたんです。当時、レギュラーの仕事がなかったので、「ライフワークとして撮らせてください」と応え、発表するアテもなく、本当に2カ月に1度くらいのペースで工区の完成に伴って撮影を続けました。 ひとつのトンネルの中では1.5キロ先で何かを落としたり、動かしたりした際の音が反響します。ゴーン、ズズズーという音は、『スターウォーズ』の宇宙船の登場の音のように聞こえ、音と映像があいまって、SF的な世界、映画やマンガの空間が現実に拡がっているように感じました。地下世界は、まるで大友克洋の『AKIRA』のような世界だったんです。 その後、建築論文雑誌がサイトを立ち上げることになった時に、編集者から「一企画として地下をテーマにした連載をしてみないか」と誘われ、発表の場をもらいました。それでさらに意欲的に地下構造物を撮り始め、どんどん作品が増えていきました。地下の物件は自分で探しました。インターネットで検索し、どこにどんな構造物があるのかを調べ、管理者にあたり、撮影許可を申請する。これを全部一人で進めました。インターネットで物件を調べている最中、何度も“Not Found”の表示が出たんです。今では撮影に入れない場所も多いので、最初の写真集は『Not Found』というタイトルにしました。 ■ 地下構造物は地上の建築物と何がどう違うのですか?
地上に現れている建築物は、基本的に人間の目を気にして造られています。使いやすさにしろ、美観にしろ、人間の尺度が基本です。しかし、地下構造物は人間が日常的に使うことを想定されていません。流れる水量やトンネルの径の大きさにしても、「人間が」という視点が抜けています。人間の目を気にしないから粗雑かと言えば、そうではなくて逆に精度はとても高い。トンネルなどは1本造るたびに技術が上がり、今では赤外線を用いて1ミリ以内の誤差を修正しながら建設している。「これはなんという世界だ」と感心しました。 次に「どういう目的で造られたのか?」と考えました。「首都圏外郭放水路」に関しては洪水対策です。利根川や江戸川などの流域は江戸時代、毎年のように川の流れは異なっていましたが、近代になって 整備され、川の流れを固めました。整備した土地は水田に利用していましたが、やがて水田をなくしてマンションや住宅を建て始めたんです。それで雨水を蓄える場所がなくなり、少し強く雨が降ると洪水になるので、仕方ないから地下を掘って雨水を流す施設を造ろうという計画が生まれたわけですが、「果たしてそれは根本的な答えになっているのか?」と疑問を抱きました。対処療法にしか見えなくて、地下にこんな巨大な物を造らせた人間社会に対する憎しみ、漠然とした怒りが生まれました。結果として200万世帯もの人が洪水から救われることは否定しません。でも、何か納得しない自分がいて、しかし何もできない。諦観に似た思いを抱きながら、アンビバレンスな思いでシャッターを切り続けました。 ■ 地下世界にふれ、価値観や社会の見方が変わったわけですね?ええ。もうひとつ劇的な変化をもたらしたのが「スーパーカミオカンデ」(岐阜県吉城郡神岡町)です。山頂から1000メートルの地底にあるこの施設の撮影もいろんなハードルをクリアして撮影にこぎつけました。ここにあるのは宇宙素粒子観測装置で、ここでの価値観は「現実の世界」から「ニュートリノの 世界」に移行します。ここで出会った研究者の考え方は、建築や土木というスケールではなく、「宇宙とは何か?」「質量とは、物質とは?」という次元でした。「スーパーカミオカンデ」は巨大な施設ですが、宇宙から見たら小さな施設で、そこにニュートリノがいかに入るかというせめぎあいを行なっています。素粒子に向けて遠くからダーツを放って刺さるかどうかという途方もないレベルの話です。「宇宙をさまようニュートリノがいろんなものを突き抜けて行った宇宙の、その先はどうなっているのか?」と質問すると、「そもそも宇宙には端はなくて、空間はゆがんでいる」と聞かされる。僕は建築写真で水平垂直を一生懸命に合わせて撮っていたことが、馬鹿らしく思えて、これまでの価値観が崩れました。すべてがどうでもいいような気がしたし、もっとこだわらなくてはいけないような気もした。この経験を経て、僕の中の感覚が変わり、街を歩いていてもすべてが舞台に見えたり、自分が異次元にいるような感覚を覚えたりするようになっていったのです。 ■ その感覚がその後の作品につながるのですね?不意に現実が嘘っぽく見え、フェイクのように感じるようになったんです。それで最近はテーマを設け、ひとつの現実の場を舞台と見立てて定点的に撮ってみたり、水族館を撮ったりしています。水族館ではガラス越しに生物がいますが、あれも舞台に見え、向こうから見たらこちらの世界も舞台であるような気になりました。壁ひとつ隔てて世界が違う、その感覚がおもしろいんです。地下世界を体験し、価値観をくつがえされたその目線で地上を見てまわると、地上の世界もまたおもしろいんです。一度地下を体験したからこそ見えてくるおもしろさがあるんです。これからは、くすっと笑えるような、4コママンガ的な作品を撮っていきたいと思っています。 私たちは自分の足元に「もうひとつ別の世界」が拡がっていることを知らない。地上からは見えないが、それは確かに地下世界にある。視点を変えれば異なった世界が見えてくるということを、写真家は作品で証明してくれているようだ。
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