一個人としての人間の強さとは、何をさすのだろう。体力、知力、精神力、生命力、そして運命と対峙する力…。今年9月、102歳という天寿を全うしたレニ・リーフェンシュタールは、その全てを持っていた。彼女の原動力とは、「究極の美」。ダンサー・女優・映画監督・写真家・ダイバーという経歴を駆け抜けながら、自分の持てる力を最後まで燃焼しつくした彼女の一生は、人間という存在が持つ、「可能性」を証明するものではなかっただろうか。彼女の人生の軌跡は、私達に、人間はここまでできるという真実を伝えくれる。20世紀最強の女性、レニ・リーフェンシュタール。その102年の歴史を、追悼の念を持ってご紹介したい。


『Africa』
英語版, 345x500mm, 564p
発行:Taschen
定価:200,000円+税
レニ生誕100年を記念して出版されたアフリカの写真集が、最上の印刷クオリティによって限定発売された。世界中で、たった2500部のみ発行という稀少価値。レニが出会ったヌバの人々の美しさに驚嘆する。


『FIVE LIVES』
英語版, 264x328mm, 336p
著者:Ines Walk
発行:Taschen
定価:4,900円
ダンサー・女優・映画監督・写真家・ダイバーという5つの人生を生きたレニの一生を追うバイオグラフィー写真集。20世紀を丸ごと生きた彼女の歴史と仕事についても、詳細に紹介している。


『Leni Riefenstahl』
英語版, 111x159mm, 32p
発行:Taschen
定価:500円
レニの作品の中から30点を厳選し、ポストカードブックに仕上げた写真集。一枚ずつはずして使うことができる。美しく印象的なポストカードに、あなたならどんなメッセージを付けて送る?
『レニ・リーフェンシュタール
ART&LIFE 1902〜2003 DVD-BOX』
監督:レニ・リーフェンシュタール
出演:レニ・リーフェンシュタール、ホルスト・ケットナー
発売:エスピーオー
定価:5,800円
監督最新作にして遺作となった『ワンダー・アンダー・ウォーター/原色の海』に加え、彼女が愛したアフリカを描いたドキュメンタリー、『アフリカへの想い』以上2作品を収録した豪華BOX仕様。 ダンサー・女優・映画監督・写真家・ダイバーという5つの人生を生きたレニの一生を追うバイオグラフィー写真集。20世紀を丸ごと生きた彼女の歴史と仕事についても、詳細に紹介している。




『レニ』
監督:レイ・ミュラー
出演:レニ・リーフェンシュタール
発売:パイオニアLDC
定価:5,700円
ダンサー、女優、映画監督、写真家と様々な活動をしたレニー・リーフェンシュタールの人生の軌跡を辿るドキュメンタリー。『オリンピア』のメイキングや『意志の勝利』などの貴重な映像がある。

20世紀最強の女性

2003年9月8日。レニ・リーフェン シュタールは、その一世紀にわたる生涯を終えた。享年102歳。ダンサー・女優・映画監督・写真家・ダイバーというプロフィールを持つ彼女は、20世紀をまるごと生きた女性だ。そして、彼女こそ、20世紀最強の女性だった、と思わずにいられない、いくつかの理由がある。ヒットラー政権下で監督したナチ党大会の記録映画『意志の勝利』と、革新的な映像美を追求したオリンピック記録『オリンピア』2部作が、ヴェネチア映画祭金獅子賞を連続受賞。美しく斬新な映像で、世界をあっと言わせた。しかし、第二次世界大戦が終わると、ナチスのプロパガンダを押し進めたという理由で、一転、社会的な制裁を受ける。それに屈せず、レニは、60歳を過ぎて、アフリカの奥地を探検。『NUBA ヌバ』という写真集で、再び世界に衝撃を与える。体中に化粧をして踊る、ヌバの男と女達。そこには原始的な「美」の究極があった。さらに、71歳にして、ダイビングのライセンスを取得。40歳年下のパートナーと共に、90歳を過ぎても現役ダイバーとして海に潜り続け、100歳の時、映画『ワンダー・アンダー・ウォーター』を完成。類稀な感性と創造力に加えて、体力・知力・精神力・生命力、そして運命と対峙する力を、彼女はたしかに持っていた。いったい、レニ・リーフェンシュタールとは、何者だったのか。


映画監督になるまで

レニ・リーフェンシュタールは、1902年、ベルリンの裕福な家庭に生まれた。生来の美貌、体力、感性を持った彼女は、まずダンサーとして世に出ることになる。女優としてのデビューは、22歳の時。初主演で抜擢された『聖山』は、山岳映画だった。彼女の生涯を編集したドキュメンタリー映画『レニ』の中には、切り立った断崖絶壁の岩を、命綱もつけずに手と足だけを使って、彼女が軽々と登っていく様子が映し出されている。その体力、肝っ玉の大きさ、何者をも恐れない意志の力、その後の彼女の一生を暗示するような姿が、ここに見て取れる。『聖山』は大ヒットを記録し、レニは人気女優として認知された。  その後も何本かの山岳映画に主演するが、巨匠アーノルト・ファンク監督の技法を現場で吸収したレニの中に、自分自身の映画を作りたいという欲求が生まれてくる。当時、女性が映画監督をするなど考えられない時代だったが、レニの情熱は社会的通念などものともしなかった。そして初の監督・主演作品『青の光』を製作。光と影を効果的に使った幻想的な映像、神秘的な伝説を織り込んだこの作品は、世界から拍手を持って迎えられ、ヴェネチア映画祭で銀賞を受賞。30歳のことだった。


美しすぎた、ナチスの記録映画

1933年、時代がレニの運命を大きく変える。この年、ヒトラーがドイツの首相に就任。国民は、社会に新しい風を吹き込むかのようなヒトラーの熱に反応し、大きなうねりが巻き起こっていた。『青の光』を見たヒトラーは、レニにナチ党大会の記録映画製作を依頼する。大衆操作に天才的な能力を発揮したヒトラーの目に狂いはなかった。レニは、歴史上、最も美しいと言われるプロパガンダ映画を完成させたからだ。この時、もしヒトラーがレニに、政党を宣伝するためのナレーションを導入させるなど、表現に制約を加えていたら、彼女は断ったかもしれない。しかし、勢いを増す社会的なパワー、ヒトラーのカリスマ性、豊潤な資金、外見も含めた優越思想などは、レニの目にも魅力的に映ったのではないだろうか。ヒトラーが総統になった翌年の1935年、レニの監督した『意志の勝利』は、ヴェネチア映画祭金獅子賞を獲得。映像作家として、彼女は頂点に立った。  翌年、ベルリン・オリンピック大会が開催され、IOCはレニに記録映画を依頼する。あたかもギリシャ彫刻のような肉体、躍動するトップ・アスリート達の美しさは、レニにとっても格好の素材だった。彼女は斬新な撮影方法を発案しながら、大量の資金と人材を投入してこの映画を製作。ベルリン・オリンピックは、ヒトラーが威信をかけて行ったものであり、ドイツの力を世界に知らしめるためにも、この映画の成功は必須だった。膨大な録画フィルムの編集に、レニは2年間を費やした。こうして生まれた『民族の祭典』『美の祭典』2部作による『オリンピア』は、見事、ヴェネチア映画祭金獅子賞を再び獲得したのだった。  美貌、才能、権力、名声、その全てを手に入れたかのように見えたレニ。しかし、この華々しい成功こそ、彼女を奈落の底に落とす運命の扉だったのだ。彼女にとっては、芸術性の探求が全ての行動の目的だったが、彼女の「美しい作品」は、結果的に、ヒトラーとナチ党の神格化に力を与えた。1945年、ヒトラー自殺。レニは、ナチ協力者として、アメリカ軍に逮捕される。彼女はその時が来るまで、ユダヤ人虐殺の事実などデマだと思っていたと後に語っている。


社会的制裁、そしてアフリカとの出会い

終戦後、レニは刑務所に収監される。彼女の政治責任を問う裁判は、長期に わたった。一時的にフランスの精神病院に収容されることさえあった。レニは一貫して無罪を主張。事実、レニは一度としてナチ党員になったことはないのだ。最終的に審査機関は、レニを「ナチの同調者ではあったが、政治責任はなかった」と判定。しかし、社会は、そう簡単にレニを許そうとはしなかった。その大きな要因は、彼女が決して謝罪しなかったことによるだろう。知識人も、ドイツ国民も、こぞってレニを非難した。社会の逆風に抗いながら、不屈の精神を持って製作した映画『低地』の興行的失敗。コクトーとの共同製作による映画も資金不足でお蔵入り。レニのまわりには、どちらを向いても高い壁が立ちふさがっていた。しかも、次の映画のロケハンのために訪れたアフリカで、自動車事故による瀕死の重傷を負ってしまう。それでも彼女の生命力の強さだったのだろうか、奇跡的な生還を遂げた彼女は、入院中のベッドの上で、アフリカの奥地、スーダンのヌバ族の写真を目にした。この出会いが、レニの次なる運命の扉を開く。その姿に魅せられた彼女は、6年後、ヌバ族に会うため未開の奥地を探訪。レニ60歳の時である。  彼らヌバ族は、美しく、そして優しかった。ヌバに魅了されたレニは、それからどんな苦難が起こっても、毎年彼らの村を訪ね、その姿をカメラに収めていった。そして1973年、レニにアーティストとしての復活の時が訪れる。写真集『The Last of the Nuba(最後のヌバ)』が、世界中にセンセーションを巻き起こしたのだ。野生そのままの姿で、なお美しい漆黒の男達の肉体。魅惑的に光り輝く少女達のダンス。顔や体にほどこされたアーティスティックなペインティング。レニの美の探求は、人間本来が持つ、原始の美しさに辿り着いたと言えるだろう。


海の中へ

70歳に手が届こうかというレニは、初めてのシュノーケリングで、海の中の世界を目にした。そして、71歳の時、パートナーでアシスタントでもある40歳年下の男性ホルストとともにケニアに向かった。目的は、ダイビングのライセンス取得。年齢を51歳と偽り、見事に合格した彼女は、念願の海の世界に飛び込んだ。アフリカで人間の原始的な美に出会ったレニが、最終的に生命が生まれた場所、「海」に辿り着いたのは、もっともなことなのかもしれない。そこには原色の生物たちの美しさに満ち満ちているのだから。そして彼女は、76歳で水中写真集『Coral Garden』、88歳で『Wonder Under Walter』を発表。前述のドキュメンタリー『レニ』の中では、90歳を過ぎてもなお現役でダイビングを続け、水中写真を撮り続けるレニの勇姿を見ることができる。彼女の情熱はけっして衰えることなく、ついには100歳で、48年ぶりの新作映画『Wonder Under Walter』を完成させたのだ。


究極の美を求めた人

レニの一生を俯瞰する時、私たちはそこから膨大なエネルギーを感受する。それがポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、彼女の存在は、多くの人をインスパイアせずにいられない。彼女の芸術性について、社会的な倫理観については、常に論争があった。レニが求める美しさ、それはあまりにも、極端だからだ。人間を退ける厳しい山頂も、恐ろしいほどに揃ったナチ党員の行進も、躍動するアスリートたちも、アフリカの生々しい裸体も、海の中の生物たちも、彼女のフィルターを通す時、美しさだけが抽出される。そこに、醜さ、不完全さは存在しない。作品を作る時、レニは完璧さを求めた。たとえば、『オリンピア』の映像の一部は、実際の競技以外で撮られた映像が挿入されている。なぜなら、その方が「完全な美しさ」を表現できるからだ。このような創作姿勢に対して、批判する声もある。だが、そもそも芸術とは何なのだろうか?  どのような分野でも、前人未踏の領域に踏み込む人々は、常にタブーを冒す危険の中にいる。今ある社会の中でバランスよく生きることより、自分の存在を賭けても、まだ見ぬ真理へ辿り着きたいという欲望を持ったフロンティア達。彼らのチャンネルは、社会的な通念に合っていない。タブーとは、社会的な集合意識から生まれたエッジである。そのエッジを超える行為は、一歩間違えば悪魔的な行為にもなりうる。しかし、多くの思想も、発明も、芸術も、そうして生まれたのではなかったか。彼らの存在は、振り子となって社会を掻き回し、次の着地点に辿り着くよう、人々を変容させる。  一つだけ確かなのは、レニという人が、自分独自のチャンネルを死ぬまで持ち続けたこと。どれほど運命に翻弄されようとも、けっしてそれを諦めなかったこと。究極の美を求めること、それが彼女の天命だったのではないだろうか。



http://www.leni-riefenstahl.de/
ドイツ語と英語によるレニの公式サイト。彼女自身の誕生から晩年までを追ったポートレイトや、写真作品を見ることができる。信じられないほど美しいヌバ族の姿は、必見だ。


http://www.cine-tre.com/leni/
『レニ・リーフェンシュタール ART & LIFE』の日本語サイト。『ワンダー・アンダー・ウォーター』『アフリカへの想い』などの情報の他、関連書籍なども掲載している。


Back to home.