「世界の名門レストランで働く」林 秀樹 はやしひでき | シェフキャヴィスト・ソムリエ

フランスワインは、飲むたびごとに新しい味の記憶へと変わっていくんです。


トゥールダルジャン・パリ本店――
美食の都パリで築いたトゥールダルジャン400年の歴史は、そのままフレンチ料理の歴史と同じとまで言われている。この店には、比類なき世界一のワインカーヴ(酒庫)とソムリエ・ドリームチームが存在する。その中でシェフキャヴィスト・ソムリエ(酒蔵主任)としての夢をつかんだ1人の日本人がいる。


トゥールダルジャン・パリ本店の
華やかなる歴史

トゥールダルジャン・パリ本店がここセーヌ・トゥールネル海岸沿いにオープンしたのは今を遡ること400年以上も前の1582年、アンリ3世の統治する時代のこと。以来、洗練された料理でフランス歴代皇帝をはじめ、各国の王室やセレブリティ御用達の比類なき高級レストランとしてフランス料理界に君臨し、その名声を確立させた。ブルボン王朝時代(1589〜1830年)には、香水や装飾の美眼センスの持ち主としても知られるポンパドール伯爵夫人、フランスの詩人作家でミュッセの恋人でもあるジョルジュ・サンドらが、雅な宴をこの店で楽しんだという。

19世紀後半には、フレデリック・デレールが手掛けた特製鴨料理と、料理に使う鴨全てに番号をつけるサービスが評判となり、以来今日までそのサービスが引き継がれている。鴨は、全てフランスのロワール地方で特別に飼育された最高級のものだけを料理する徹底ぶり。この歴史を誇るレストランのワインカーヴには、世界一と評される50万本のワインストックがあり、その管理とセレクトを任されているのが、シェフキャヴィスト・ソムリエ林秀樹氏と、ソムリエチームである。

総面積1000平方メートルのワインカーヴ

約50万本のワインが眠っているワインカーヴは、地下1階、2階部分に位置し、温度は常に10〜12℃に保たれている。ここには19世紀のワインが今なお豊富に保存されており、最も古いものはなんとフランス革命当時のコニャックだそうだ。カーヴ内にはポルト、マデーラ、シェリーなどを除き、1万1000種類ものフランス産ワインが眠っている。シェフキャヴィスト・ソムリエの林秀樹氏はそれらがどこに何本あるかまで、全て覚えているという。そんな世界一のカーヴを守る天才シェフキャヴィスト・ソムリエが日本人であることは余り知られていない。


1万1000種類のワインが何階のどこにあるか、今では体が憶えている。
注文票を見ると自然にワインのある場所へと歩いています。






1.2 トゥールジャルダン・レストランがあるセーヌ・トゥールネル河岸の風景。その河岸沿いに建つトゥールジャルダン・パリ本店はシャルル五世の城跡にもあたる絶景の場所

3. 1914年にトゥールダルジャンがカフェ・アングレと合併した際、カフェ・アングレから来たコレクション部屋。アルコール度数が高いコニャックは、コルクをだめにしないよう立てて保存している。18世紀、19世紀のコニャックだけで、60種類以上もあり、もっとも古いものはコニャック・クロ・デ・グリフィエ1788

4. ワインカーヴには中世時代からのワインにまつわる装飾などが壁に飾られ、まるでワイン美術館といったイメージ

5. 世界一と評されるワインカーヴ地下1・2階。約50万本のワインが貯蔵されている

林さんがソムリエの道を選んだのはどうしてですか?

「私が幼い頃、よく父の仕事仲間が我が家で宴会を開いていたんです。両親は教育者でした。宴会の日になると家の冷蔵庫は冷えたビールでいっぱいで、弟と2人で1本部屋に持ち込んでは晩酌してました。この頃からすでにソムリエになる種が植えられていたのかもしれませんね。その後、高校時代にワインに目覚め、スーパーでワインを買っては、近所の浜辺まで行き、そこでこっそりと飲んでいました。(笑)

実は以前からフランスへ渡りたい夢を持っていました。今思うとその夢が熟したのが大学3年の時だったのでしょうね。大学を休学し、当時ワインと同じくらい好きだった音楽を学びたくて、パリのエコール・ノルマ音楽院、ヴァイオリン科へ入学し1年をパリで過ごしたんです。その後帰国して復学、無事大学も卒業しました。その後、1982年に再びフランスへ渡って、日本語講師のアルバイトをはじめたんですが、その受講生の中にたまたまトゥールダルジャンのディレクターがいました。受講時間になると、ワインやレストランの話などで、会話がとにかくはずみました。そんなある日、彼からトゥールダルジャンに招待されたんです。食後に案内してもらったワインカーヴには、遥かなる時空を超えて眠り続ける数えきれないほどの名酒たちに歴史を彩るヴィンテージなどのロマン漂う多くの逸話が刻まれていて、とても感銘を受け、ここで働きたいと思いました。数ヶ月考え抜き、何事も挑戦してみなければわからないと思って、ディレクター宛にワインカーヴで見習いとして働かせていただけないかと手紙を送ったんです。まもなく返事がきました。そこには「よろしい。」という文字が書かれていたんです! こうして、彼との出会いがソムリエの道を歩むきっかけとなり、1986年からトゥールダルジャンでソムリエ・キャヴィストとしての見習いが始まりました。まずは、ワイン、製造家などの名前を全て覚えることからです。ここで扱う全てのワインは超最上級の名酒ばかり。特級・第一級と格付けされた畑の名前、ヴィンテージなども憶えなければなりませんでした。この当時で3500種類ものワインについて、専門書を読んだり、わからないことはシェフ・ソムリエに教えていただきながら、とにかく必死で覚えました。」

日本人がワインの国フランスでソムリエの仕事につくには苦労も多かったのではないですか?

「苦労はあったと思いますが、今思うとそんなに憶えてはいませんね。フランスは好きな国だし、この仕事も楽しい。ただ最大の難関だったといえば、私のような外国人がフランス国内で就職する際に必要な労働許可証の取得でした。1986年から見習いとして働きはじめ、翌年には正式採用の話を頂きました。早速、労働許可書の申請をしたのですが、はじめに申請した書類は、フランスの役所が紛失してしまって、再申請をしました。しかし、今度は過去に日本人がソムリエの仕事についた例がないという理由で許可が下りなかったんです。

トゥールダルジャンが何度も要望の手紙を役所へ出してくれた結果、半年ごとに申請をする条件付きでなんとか許可が下りました。このまま順調にいけば3年後に、労働許可証が取得できる予定でした。けれども、どういうわけか申請書類が裁判所に回っていたんです。ある日、私とトゥールダルジャンのディレクターが裁判所に呼び出されて、不許可を言い渡されました。納得がいかないディレクターがミッテラン大統領にまで嘆願書を送り、最高裁に上告。このとき、はじめての申請から実に6年の歳月が流れていました。こうしてやっと1992年にソムリエ・キャヴイストとしての正式な労働許可証が与えられたんです。」

晴れて正式に働くようになり、日本人ならではの強みはありましたか?

「最上階のレストランで働いていた時代もありました。店の方針で例え日本人のお客が来たとしても、フランス語で接待することが義務付けられていました。フランス語がだめなら次は英語。どうしても必要な場合だけ日本語を使っていいと。ですから、店の指示通り日本人のお客にも、フランス語か英語で接してきました。それが自分自身の中ではなじめませんでした。そんなある日、レストランとカーヴどっちがいい? と聞かれたんです。それで迷わずカーヴと答えました。それ以来、私はカーヴで仕事をしています。

日本人客は1日数組は訪れているようですが、日本とフランスの食文化やマナーの違いから時々ですが問題が生じる場合があります。例えば、日本人は食事中にも関わらず平気で他のテーブルへ行き、立ち話をしたりする。けれど、フランスではレストランライフをとても大切にする習慣があり、着ていくドレスを選択することから楽しみ、贅沢な食事とワイン、そして店で過ごす時間をパートナーとともに存分に味わおうとする。そんな中で日本人がウロウロと歩きまわっていたのでは、まわりの人たちも落ち着いて食事ができなくなってしまう。そこで、フランス人スタッフが説明や対応しきれない時に、私が調停役で呼び出されるんです。本来、日本人ならではの強みといえば日本語という言語だと思うのですが、強みになったかというと、こればっかりは時と場合によりますね。」

ワインカーヴでは実際にどのような仕事をしているのですか?

「カーヴでレストランから送られてきたワインの注文票に添って次々とワインを上げていくのが仕事です。約50万本、1万1000種類のワインが何階のどこにあるか、今では体が憶えている。注文票を見ると自然にワインのある場所へと歩いています。そして、1分間に4〜5本のワインをセレクトしてレストランへと上げて行くんです。同時に、ワインの在庫確認も昔ながらの帳簿とコンピューターでミスなく行っていきます。」


6. ジェロボアムのボトルを持つ林さん。通常サイズの約6本分,4.5リットル

7. 19世紀頃に使われていたカラフ。若い強いワインはカラフを使うことで味にまるみがでる

8. 歴史と伝統を守りながら、さらに美味への挑戦と完璧なサービスの追求を続けるトゥールダルジャン・パリ本店1F

9. 店内はまるでお城にまぎれこんだかのよう!テーブルにはつねに美しい花が飾られている

近年、料理のジャンルでは世界的にボーダーレス化が進み、店ならではの個性を維持するのは非常に難しくなってきていると思います。こうした食文化の大きな変化の中で、トゥールダルジャンとしてのアイデンティティを確立するために、何を柱に据えているのでしょう。また料理やワインの世界はこの先どのように進むと思いますか。

「近年コンピュータの導入や技術の進歩がワインの世界にも浸透し、生産工程も、どんどん変化してきている気がしますね。しかし、最新技術で造られたワインは、味が1本調子な気がします。それに本来一定の期間を寝かせなければ渋くて飲めないはずのワインが飲めたりもする。このようなワインが、はたしてしっかり30年50年と年をとることができるのだろうか? と疑問を持ちます。幸いなことにトゥールダルジャンには、このような最新技術で造られたワインに頼らなくても、フランスの土地で造られた本物のワインを数十年かけて最高の環境の中でゆっくりと眠らせ、お客に提供できるスペースも力もある。これも店のアイデンティティを守るひとつの柱になっていると思います。ワインにはある程度の時間が必要なんです。時の流れが素材の持ち味を生かし、より本質に近い魅力的なワインへと育てていく。時間をかけて大切に眠らせたフランスワインには妙味がある。飲むたびごとに新しい味の記憶へと変わっていくんです。このようにじっくりと時間をかけて楽しむのがワインの醍醐味です。そしてトゥールダルジャンは、その価値を味わう機会を提供する場でもあるわけです。」

なるほど、フランスワインの素晴らしさが少し理解できた気が致します。最後に林さんがご自宅で気軽に飲むお気に入りのワインやおすすめワインなどあれば教えてください。

「家にはいつも古いワインが80本くらいはありますよ(笑)。よく友人達とワインを楽しむので、毎月この80本はすぐになくなるねえ。この間飲んだのはブルゴーニュの1959年、昨日は、ボーヌヴーニュフランシュ62ルイラトゥール。おとといは、メルキュレイ59モーロワだったよ。」

ワインのほかにはバラ好きと語る林さん。その満ち足りた笑顔は、ワインが最高の環境で少しずつ成熟していくように、自分の力を引き出してくれる環境のもと、ひとつずつ経験を積み重ねることで得られるものなのかもしれない。



WEB

LA TOUR D'ARGENT

www.latourdargent.com
15-17, quai de la Tournelle 75005, Paris FRANCE Tel:33(0)1 40 46 71 11




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