気鋭の社会学者が放った一冊の書『希望格差社会』。そこに描かれているのは、リスク化と二極化が進み、希望の喪失によって生まれる殺伐とした社会の到来だ。

現実から目をそらすか、
自分は「勝ち組」だと安心するか、
あるいは絶望するか。

どれを選んでもリスクからは逃れられない。
著者はかつて『パラサイト・シングルの時代』で親に寄生する若者たちの生態を浮き彫りにした社会学者の山田昌弘さんだ。
日本の家族のあり方を見つめてきた彼は、
「このままでは近い未来、日本の社会秩序は脅かされる」と静かに語る。


希望と未来に広がる格差

山田昌弘
Masahiro yamada

1957年東京都生まれ。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京学芸大学教育学部教授。専門は家族社会学・感情社会学。内閣府国民生活審議会委員、東京都児童福祉審議会委員などを歴任。著書に『近代家族のゆくえ』『家族のリストラクチュアリング』『パラサイト・シングルの時代』など多数。

その時代の大人が、若者に対して「なせば成る」「夢は叶う」といった類の、未来に希望を抱かせるようなメッセージを発することは多い。

しかし、『希望格差社会』には、社会がリスク化し、二極化が明白になると、人々は不安をもつようになり、現在も不安定だが、将来の安定性も見込めず、このままだと「夢見る使い捨て労働者」で一生を終える可能性が出てくると記されている。

「若者が中高年になる20年後、30年後には、絶望的な格差が現実のものとなる」。山田さんは、そのように予想する。あまりにも残酷なその予見に対して、「身もフタもない」「救いがない」といった意見が、著者のもとにも届いているのではないだろうか。

「身もフタもないことを言うのが社会学者です。たぶん多くの人が思っていたことが、ちょうどこの本に書かれていたから話題になったのでしょうが、予想以上に反響が大きく、誤解も多くあります。でも、現実は現実として直視してもらいたい。逆に若い頃からずっと夢を見続けさせ、中高年になってから『あなたの夢は叶いませんでした。残念!』と言われることのほうが、よっぽど残酷。わかりやすく言えば、好きなことをしているフリーターに未来はない、いや、未来に格差が生まれるということです。私はそうなることが心配なのです」


『希望格差社会』


日本社会は、将来に希望がもてる人と将来に絶望している人に二極化していくプロセスに入っている。そのまま放置すれば、人々から希望が奪われ、社会秩序が危機に陥る――。著者はこれを「希望格差社会」と名づけ、あらゆる面で不安定化している日本社会を「リスク化」「二極化」という二つの流れで捉え、日本社会で進行している実態と、将来どうなっていくのかを予見する。現代社会のリアルな見取り図を浮かびあがらせた話題作。(筑摩書房刊 1900円+税)

『パラサイト・シングルの時代』


日本特有のこの現象である、成人しても親に寄生し、豊かな暮らしを送る未婚者に着目し、問題提起を試みた一冊。筆者は同書の中に『希望格差社会』の発芽を見ていたと語る。(ちくま新書 680円+税)

『パラサイト社会のゆくえ』


著者が「パラサイト・シングル」と呼び始めて7年経ち、事態は変容した。不良債権化したパラサイト・シングルが登場したのである。日本の家族のゆくえを分析した一冊。(ちくま新書 680円+税)

彼らの未来の格差が、社会を不安定にさせる。社会が不安定になれば、各々の格差はもはや修復できない。放置しておけば、犯罪の多発や自殺の増加など、終わりのない悪循環が始まる。

「希望をもたない若者が社会にあふれるようになれば、その社会はとても危険です。90年代まで犯罪が少なかったのは、中流社会でリスクがなく、『努力すれば将来必ず報われる』とみんなが信じていたからです。現在では、努力しても報われない立場に置かれる人が増えています。


 公的なセーフティーネットを設けなくてはいけない理由は、報われないと気づいた人たちによって、日本社会が被害をこうむるからです。社会が不安定化し、殺伐とします。彼らが徒党を組んでくれれば、逆に楽です。警察が取り締まることができますから。恐ろしいのは、今まで真面目に見えた人が未来への絶望感から、いきなり犯罪に走るケースです」

そんな社会が到来するのなら、希望格差が開く前に、つまり若い頃に、好きなことを見つけておくことが重要なのではないだろうか。

「確かに一方では『好きなことに挑めば、能力を発揮できる』とは言いますが、社会学的に見れば、好きな仕事が手に届くところに出現すること自体が少ないわけです。それでも、これまで好きなことを追求して生きてきたのだから、『人並みの生活ができなくても本望だ』と覚悟しているのならまったく構いません。夢を実現できなくても、結婚できなくても、クルマがなくても、パソコンがなくても平気だというのなら、いっこうに構わないわけです。でも、一度自由を謳歌し、いろんなものを手に入れているから、実際はなかなかそう思えないわけです。

 私が伝えたいのは、パラサイト・シングルとして豊かな生活をしているうえに、さらに何か好きなことがあり、それが『自分の仕事になるんじゃないか』と思っているのだとしたら、それは無理だということです。パラサイト・シングルは、夢が破綻することの先送りに過ぎないのです。とりあえず好きなことを趣味として続けていきたいのであれば、まず自分ができる仕事をする、もしくは社会から求められていることをすればよいのです」

しかし、実際にリスク化と二極化が進んでいることに、まったく気づかない人や直視したくない人は数多くいるはずだ。いや、人は知りたいものしか知りえない、気づきたくないものは気づく機会もないともいえる。

「それは日本の戦後の社会があまりにもリスクがなく、みんなが中流生活をしていたので、『今後もリスクがなく、中流生活が保証されるんだ』と思いたい人が多くいるということです。直視しないのは、現実を認めるとプライドが保てないからです」

問題をすりかえることなく、現実を直視することは、容易ではない。しかも、直視するにもそれなりのリスクがついてまわる。



本書を読む際のキーワード

  • リスク化

    これまで安全、安心だと思われていた日常生活が、リスクを伴ったものになる傾向のこと。本書では「人並みの生活ができなくなる危険性」という意味で使われ、かつてはリスクを避ける道があらゆる人に開かれていたが、現在ではリスクをあらかじめ避ける道が閉ざされ、リスクの普遍化、リスクの個人化が進んでいると指摘している。

  • 二極化

    戦後縮小に向かっていた様々な格差が、拡大に向かうことをいう。本書では数値で表わせる量的な格差だけでなく、仕事の能力のような「質的格差」と、家族をどれだけ利用できるかといった「利用可能性による格差」が発生し、格差の拡大は加速中さらに「希望の格差」が拡大しているとされている。

  • パラサイト・シングル

    学校卒業後もなお親と同居し、基本的生活条件を親に依存している未婚者のこと。息子や娘が親にパラサイト(寄生)することから、著者が1997年に命名。日本特有の現象で、日本社会を端的に表わす言葉として当時の流行語にもなった。


現実を直視したその先 

「リスクから逃れてきたので、厳しい現実に気づくのが遅いうえに、パラサイトで生きているので、親が教育費から生活費まで出し続ける。それで安心して中高年になってしまう。気づいた頃にはもう遅いわけです。

 フリーターと討論した時、『俺にふさわしい仕事を社会が用意しろ』と言われました。そんなものは、あるわけがない。でも、仕事も誰かが与えてくれるものになっている。それは親がずっといろんなものを与えてきたからです。

 『嫌なことはしなくてもいい』という風潮になっていますが、無理に苦労しなくてもよいという傾向は、苦労のしがいがないということが定着したうえに起こっている現象です。事実、苦労しても報いがすぐに現われるわけではありませんから。それが現実です」

では、希望に格差が開いている社会の現実を直視した人は、次にどういう行動をすればよいのだろうか。

「『社会に希望がなくても、個人に希望があればよい』という意見があるでしょう。そのためには、個人が何らかの美意識をもち、懸命に努力し、周りから認められるようにならなくてはいけません。それは容易にできないことです。

 ウチの学生には、『変な夢は見ずに、好きなことは趣味としてやり、正社員として就職しなさい』と言っています。フリーターなら、このままだと未来はないから、これまでとは違うことを始めなければなりません。『自分が何をしたいのかわからない』という人がいるが、そんなことはいくつになってもわからないもの。

 それより、『自分に何ができるのか』『何が求められているのか』という発想をしていけばよいのです」

個人が希望を見いだすためには、社会との確かな接点が必要だ。でも、それは孤独な闘いで、痛みが伴うように見える。リスクに耐える力のない者に、果たして未来はあるのだろうか。

「よく『個人で目標を設定し、努力すべきだ』と言われますが、それは自己完結で終わることではなく、仲間のあいだで行なわれることなのです。つまり、他人が自分の生き方を認めてくれないと、人は満足できないのです。それを奨励しなければいけないのです。希望をもって生きていくためには、たとえばオタク的な集団でもいいから、周りの人から努力を称賛される場所が必要です。それが全国的なものになり得ないのであれば、小集団でやっていくしかないでしょう。

 しかし、そういうふうな生活をするにしても、生活基盤がしっかりしていないと交遊活動もできない。また、引きこもりの人は、きっかけさえもないので、挽回するのが大変。つまり、個人の努力だけで解決を求めるのはもう無理なのです。だから、社会システムとして何かなければいけないのではないか、と提案しているのです。日本は先進国になったが、次世代のモデルがない。でも、だからこそ今が、知恵の出しどころなのです」

日本人は、こういう現実の中で、それぞれが“適応”しなければならない状況にある。現在加速している実態をすりかえることなく、現実を直視することからしか、新たな一歩は始まらないのかもしれない。




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