関係性の未来


「Crude Reflections」
―“水に浮いた原油”、“原油が(人や環境に)与えた影響”―
というタイトルの写真展が、アメリカ各地を巡回している。
エクアドルのアマゾン熱帯雨林の住民や、川の様子を写した写真の数々。
それは約20年にわたって石油開発が行なわれてきたこの地で、
何が起きているのかを物語っている。


WEB

Amazon Watch

http://amazonwatch.org/
Chevron Toxico

http://www.chevrontoxico.com/


エクアドルの石油開発、
その陰で


ラゴ・アグリオの町の近くで、石油パイプラインに立つ少年。ジャングルを貫く石油パイプラインや、放置された古いドラム缶は、アマゾンの風景の一部となった。その風景の中で、子どもたちは大きくなる。

ガラパゴス諸島、アンデスの高地、アマゾンの熱帯雨林など、地球の財宝ともいえる多様で豊かな自然を誇る国、エクアドル。人口は約1,265万人(2000年・見込)、内訳はメスティソ(スペイン人と先住民の混血)が60%、先住民が30%となっている。その経済を支えているのが、石油、鉱業、水産、森林といった産業で、エクアドル政府では海外からの投資を促進しようと、積極的な政策をとっている。中でも重要な外貨収入源となっているのが石油だ。1970年代初めまではバナナが主な輸出品だったが、石油が産出されるようになってからは、輸出の大半を石油が占めるようになった。その収入は国内総生産の4分の1にものぼるという。

しかしアマゾン流域の住民たちは、現在の石油開発のやり方に憤慨している。開発によって環境や先住民の文化が破壊され、健康にも害が出ているというのだ。そうした被害状況を人々に伝えるべくアメリカ各地を巡回しているのが、写真展「Crude Reflections」だ。汚染されていると知りながら、飲料水や入浴に利用しなければならなかった川の様子。こぼれた原油でどろどろになった道をサンダル履きで歩く人。ドラム缶やパイプラインで遊ぶ子供たち。そして皮膚病、ガン、先天性異常、流産といった病がひとりひとりの人生にもたらした悲しみや苦しみを、一枚一枚の写真が物語る。


ルミパンパの自宅の前に立つ9歳のジャイロ・ユンボ

先天性異常で手が不自由な息子
ミゲル・ユンボ(37歳)

TEXACO AUCA SUR OIL WELL #1 / RUMIPAMBA, ECUADOR

キチュア族のミゲル・ユンボといいます。3人の息子がいますが、真ん中が9歳のジャイロです。生まれつき、手が先天性異常です。1982年にアマゾンに来た時は、すでに家から1.5マイルの場所にテキサコの油井とハイウェイがありました。泥だめは約1マイル先で、覆いがありませんでした。

飲料水は、家から約90メートルのところにある川からとってきます。入浴もそこでします。冬の雨季には見えなくなりますが、夏になるといつも水の中に原油が見えます。原油をのけて、その下のきれいな水を使っています。ジャイロが生まれたとき、手が先天性異常になったのは石油のせいだと医者に言われました。原油で汚染された川の水を飲み、テキサコ社の車が、原油をこぼしながらいつも自宅前を通っていたからだと。

息子を石油会社の病院に連れていったら、石油は何の関係もない、それは子供をつくらないように処置をした結果だと言うのです。私たち夫婦はそんな処置をしたことはありませんが、何も言いませんでした。抗議しても石油会社の人たちは怒るだけで、息子を助ける気はないからです。息子は学校で、からかわれ、笑われています。長袖を着て、手を隠していることもあります。医者には6歳になったらまた診せるよう言われましたが、お金がないので連れていけないまま、9歳になってしまいました。何とか仕事をしてお金を貯めて、2年後には連れていきたいです。


Interview by : Joan Kruckewitt  November.23,2004

その展示の中に、住民たちがデモ行進する写真がある。彼ら(5千人の先住民を含む、住民3万人の代表である88人)は、アメリカとエクアドルの弁護士の協力を得て、2003年5月にアメリカのシェブロン・テキサコ社に対する訴訟を起こしている。訴状によれば、同社は1971〜1992年の約20年間、エクアドルの北アマゾン地域に681億リットルの有毒水を適切な処理をせずに廃棄し、600の泥だめを放置したという。また、6,300万リットルの原油を放出したが、これは1989年にエクソン社所有のタンカーがアラスカ湾に流出した40万リットルをしのぐ。石油がらみの環境災害としては最悪で、生態系への影響は多大だろう。クリーンアップには、60億ドルがかかると見積もられている。


シェブロン・テキサコへの抗議デモに出発する前、シュロの葉を持って祈るコファン族のリーダー、エステバン・ルシタンテ。ラゴ・アグリオで。

原油でできた川岸の黒い帯
コファン族前首長|トリビオ・アギンダ(37歳)

DURENO, ECUADOR

政府は私たちに法律の知識がなかったのをいいことに、私たちの土地を開拓者に与えてしまいました。開拓者たちはずかずか踏み込んできて居座り、私たちは知らないうちに土地を失っていたのです。政府はアマゾンのほとんどの地域を“空地”としていて、先住民がいたことを認めようとしません。開拓者を誘致して農場を作らせ、土地を活用するキャンペーンを行ないました。そしてテキサコと一緒に、開拓者たちがやってきたのです。先住民の文化を尊重する人は、ひとりもいませんでした。たとえばカエルなど絶滅の危機に瀕した生物を見つけると、政府は保護地域をつくって守りますが、先住民にはそんなことはしてくれません。この辺一帯はコファン族の領域でしたが、今では私たちは、川を渡ることすらできなくなりました。渡れば、開拓者の領域への不法侵入と見なされるのです。

この辺の人は、アグアリコ川の水は飲みません。原油で汚れているからです。飲料水は井戸から得ています。入浴にはまだ川を使っていますが、しょっちゅう皮膚病にかかります。近隣の2、3の油井までは、歩いて4時間ほどかかります。でも問題は、汚染が川の流れからアグアリコ川に入ってきてしまうことなのです。村の裏に小川がありますが、上流の油田から流れてきた原油で、川岸に黒い帯ができています。多くが、湿疹、炎症、腹痛、めまいを訴えます。ガンで死んだ人も、流産した女性も何人かいます。この地域には、480人のコファン・インディアンがいます。


Interview by : Kayana Szymczak March.2,2005

法的な戦いに挑む先住民たち


サン・カルロスの自宅で、娘のパエラ・ラミレスと。 目に先天的な障害をもって生まれたパエラ・ラミレス、9歳。サン・カルロスの自宅で家族と。一家はここに30年間住んでいるが、わずか20メートルのところに油井があった。

写真展のオープニングは、2005年4月、シェブロン・テキサコ社の本社がある北カリフォルニアのサン・ラモンで開かれた。同じ日にこの町で開催されていた、同社の年次株主総会にタイミングを合わせてのことだ。主催団体のAmazon Watchは、その名の通りアマゾンを守るべくウォッチ(監視)するアメリカのNPO。ディレクターのレイラ・サラザーさんは、「シェブロン・テキサコ社は“エクアドルの法律に従って開発し、クリーンアップも行なった”とコメントしている。でも企業の発言と、先住民の言い分には大きなギャップがある。特に株主たちに、同社がどんなことをしているか知ってほしい」と言う。

現実的には、第三世界で住民が多国籍企業を訴えようとしても、原告は訴訟費用を工面できず、きちんとした弁護を得ることができないことが多く、きわめて困難だ。この訴訟には約10年の歴史があり、アメリカ内で4度棄却されている。2002年8月、ニューヨークの裁判所は、裁判はエクアドルに管轄権があるが、原告が訴訟を阻まれたり、シェブロン・テキサコ社が判決に従わなかったりした場合は、アメリカの裁判所が介入できると裁定した。2006年中には、エクアドルで最終判決が下される予定だ。この裁判は、熱帯雨林の住民が、自国の裁判所で多国籍石油会社を訴えるという、歴史的な裁判として注目されている。多国籍企業が海外でとる行動と責任に、現地の住民たちがいかにプレッシャーをかけ、裁くことができるか。南米のみならず世界において、重要な先例を作ることになる。


シュシュフィンディの自宅で、末期ガンの夫アンジェル・トアラの頭を抱くルース・マリア・マリン。夫は翌日亡くなった。

胃がんで亡くなった夫
ルース・マリア・マリン(56歳)

TEXACO SHUSHUFINDI OIL FIELD / SHUSHUFINDI NORTE, ECUADOR

夫と私が、サント・ドミンゴの山間からアマゾンに来たのは23年前のことでした。ここでなら仕事が見つかると聞いたのです。うちには6人の子供がいます。夫は石油会社で5年働いてこの土地を買い、コーヒーやカカオ、米などの栽培を始めました。テキサコの油井は家から180メートルのところにあり、石油の汲み上げ施設も近くです。下流には、テキサコが捨てた原油がたまっている湖があります。動物には、絶対にこの水を飲ませたくありませんでした。だって魚が死んでいるのをよく見かけるし、その辺のコーヒーの木は、黄色くなって枯れてしまったんですよ。雨をためて飲み水に使いましたが、降らない時は川から汲みました。変な味がしたし、表面に浮いた油が見えることもありました。入浴も洗濯もそこでしました。他のどこにも水がないので、そうするしかなかったのです。石油会社は、水を汚していることは気にしてなかったでしょうね。私たちにあの水が体に毒だということを、教えるつもりもなかったでしょう。

3年ほど前から、夫の腹痛が始まりました。食事をすると痛むので、以前のように食べられなくなりました。体重が減って、体が痛むようになりました。いつも疲れていて、日光にも当たれなくなり、ずっとやってきた農作業をする力をなくしてしまいました。町の病院で、胃ガンだと診断されました。手遅れで治療しても無駄だって。この3カ月は何もできなくなって、ただハンモックで寝てるだけだったんですよ。


Interview by : Joan Kruckewitt November.30,2004


サン・パブロ村のアグアリコ川で入浴するセコヤ族の家族。川は飲料水と魚を供給してくれる場であり、入浴や洗濯の場。まさに住民のライフラインだ。水の汚染は、年月をかけてじわじわと人体を蝕む。

写真展を見に来た人たちは「自分の国ではやらないことを、他の国でするのはおかしい」「第三世界の人間は、生きる価値がないと思っているのか」「シェブロン・テキサコで働く人たちも、自分の会社が何をやっているか知るべき。被害を与えた責任感をもち、力を合わせて賠償してほしい」と口々に語っていた。エクアドル政府は、1日あたりの石油採掘量をまだまだ増やす意向で、日本を含む国々に投資を呼びかけている。第三世界に埋蔵される大量の天然資源を、先進国がいかに採掘し、活用していくか。その利益を、誰に対し、どんな風に還元していくか。人々は、世界に新たな規範を求めている。






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