モノクロ写真の中の少女と老女の役割は、いとも簡単に反転する。
少女特有の純粋性と無邪気さを、日常の中に取り込んでいく女性たち。
自分の中にある少女の部分をあますところなく見つめ続けるアーティストの
やなぎみわさんに少女性と表現、独自の世界観について伺った。


寓話シリーズが表わしているもの

【プロフィール】
アーティスト | やなぎみわ | MIWA YANAGI
神戸市生まれ。京都市立大学工芸科、同大学院美術研究科終了。現在、京都市在住。
93年からエレベーターガールをモチーフにした写真作品を制作し、国内外の展覧会に参加。受賞歴多数。若い女性が自らの未来像として老婆となった写真作品「マイ・グランドマザーズ」シリーズ、年配の女性が祖母の記憶を語るビデオ作品「グランドドーターズ」などを制作している。2004年より「寓話シリーズ」を制作。原美術館の個展のほか、大原美術館 有隣荘にて個展開催中。

「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」、寓話シリーズと題したモノクロ写真の作品群は、見る者に強いインパクトを与えずにはいられない。老女を演じる少女たちは仮面をかぶり、幼い手足を晒している。

寓話シリーズは、映画『エレンディラ』(※1)からインスパイアを受け、ガルシア=マルケス原作の短編集『エレンディラ』のに収められている「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」や数々の寓話から着想を得ている。学生の時に見た映画『エレンディラ』は、やなぎさんに強烈な印象を残した。

お婆さんに強要されてテントの中で春をひさぐエレンディラは、自分の境遇を受容するだけである。エレンディラを愛するユリシスはそこから救い出そうとするが、自由の身になったエレンディラはユリシスを顧みることなく去っていく。

 

「私の作品は近所の子どもや知り合いの娘さんがモデルなのですが、『エレンディラ』のビデオの一部を見せて説明したところ、“この少女はお婆ちゃんになるんでしょ”と言ったんです。鋭いですよね」

他者から他者への連続性、『エレンディラ』をはじめとする寓話の集大成、あるいは統合したイメージとして独自に作り上げたのが、テントをかぶった『砂女』(※2)である。テントをかぶった女の姿は少女と老女、荒野と密室を自在に行き来する。

「マイ・グランドマザーズシリーズは、闇の部分があったとしても50年以上先の未来に向けて解放されています。鬱屈していなくて、人間の欲望がクリアな形で表れている。作品はカラーでディテールも綿密に見えます。

けれど、寓話シリーズはモノクロですし、一つの部屋の中だけで撮影していて、その部屋から一歩も出てない室内劇で閉鎖感があります。自分の中の、見たくない小部屋ですね」

※1『エレンディラ』
コロンビア出身のノーベル文学賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケス原作の短編小説。映画『エレンディラ』(ルイ・グエッラ監督)は、パルコの配給で1984年に日本で公開された。
※2砂女
「無題T」のほかヴィデオインスターションにも登場する。

少女性に対する相反する感情


「白雪」(C)2004 Miwa Yanagi. All rights reserved.


「赤ずきん」(C)2004 Miwa Yanagi. All rights reserved.


「無題T」(C)2004 Miwa Yanagi. All rights reserved.


「マイ・グランドマザーズ AI」
(C)2004 Miwa Yanagi. All rights reserved.
子ども相手のいんちき占いと陰口を叩かれながら、後継者探しをしている老婆

やなぎさん曰く、「少女と老女は人生の両端で、まん中をすっ飛ばすわけですよね」。

人生の“まん中”とは、「女性である時期、社会性を持つ時期、家庭を持って外と関わろうとする時期」である。マイ・グランドマザーズシリーズ(※3)でやなぎさんがインタビューした若い女性たちには、「少女から老女へ一足飛びしたいという希望を持つ人が多かった」という。やなぎさん自身はどうなのか。

「私も未熟と老成に対する幻想はすごく強くあります。人生に一歩も踏み出さない状態を尊いとする考え方に疑問を持っています。しかし、少女と老女が共通することには憧れと疑いを持っている。女性の生殖能力のない時期をつなげていると簡単には考えたくない」

やなぎさんは少女と老女の中間、まさに人生の真ん中にいる。

「正直なところ、少女のほうにシンパシーを持つ自分がすごくいやなんです。自分の中の少女の部分をどんどん殺していく、諦めていくことを、いつもやらなければならないと思っています。作品の中の老女と少女は、私の中の二者の闘いと緊密を表しているのかもしれません」

※3「マイ・グランドマザーズ」シリーズ
モデルにインタビューして、未来の老女のポートレートを作り上げるシリーズ。ちなみにやなぎみわさん自身が思い描く未来の姿は、たくさんの子どもたちを引き取っているメーテルのようなお婆さんである。

顔と名前を出して表現し続ける

やなぎさんにとってもっとも苦しいのは、何も思いつかない時、決まらない時だ。そしてアイデアが決まった後も、頭の中の作品のイメージは実現化の時点で別のものに変容し得る。

「頭の中のアイデアがそのまま完璧に実現されたとしても、それがおもしろい作品とは限らないんですね。

できたものが今ひとつだと思っても人からいいと評価される、またその逆もあります。けれど、奇跡的に自分がすごくいいと思った時はね、他人の評価はあまり関係ないんですよ」

しかし、作品を発表することに関する考えは、はっきりしている。

「私自身は作品を見せるほうがいいと思っています。他人に見せるということは決して楽しいことばかりではありません。ズバリ“嫌い”とか“下らない”と言われることもあるし、逆に卓越した見方をしてくださって“そういう見方があったのか”と、こちらがおもしろく感じることもあります。他人というのは予測できないからおもしろい。それに、自分もいろいろなものを見て成長して、経験を積んだり、たくさんの人に会ってさまざまな恩恵を受けたのだから、自分の表現も惜しみなく見せたいと思いますね」

しかし、若手作家の中には、拒絶を恐れて自分の名前で展覧会を行なうのを躊躇する傾向もあるのだとか。そんな風潮に対してやなぎさんは「私は、自分の顔を、名前を出さない表現は表現じゃないと思う」と言い切る。



制作が中心の日々

経済的な理由から制作を断念する美術作家も多い。苦しい時期を経て、内外を問わず高い評価を得ているやなぎさんでさえ「作品を販売して生活したいと思っていましたから、それについてはラッキーだったと思います。私がいい作品を作り続けられれば、評価も上がって制作費も得られる。これからも1回1回が勝負ですね」という厳しい世界だ。制作しかできないというやなぎさんは「生活よりも制作のボリュームが大きい」という充実した日々を送っている。

それでもある種の危機感が、やなぎさんにつきまとう。

「教職に就いたことはありますが、社会的な組織に一度も入ったことがないということに今でもコンプレックスを持っているんですよ。社会や他者について自分がどこまでわかっているのかという不安感がある。ずっと隔絶しているのではないかと気がかりな部分があるんです」

そう語るやなぎさんから、過去、現在、未来の姿が重なり合っているように見えた。


WEB

Miwa YANAGI やなぎみわ
http://www.yanagimiwa.net/
原美術館
http://www.haramuseum.or.jp/

11月6日まで、やなぎみわ個展「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」を開催中。アンデルセンやグリムなどの寓話をベースに、少女と老女が登場するモノクロ写真を中心に構成している。

大原美術館
http://www.ohara.or.jp/

大原美術館 有隣荘にて10月30日までやなぎみわ個展「Madame Comet-マダム コメット」開催中。



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