「選手が引退を決めるのは、
その人のメンタリティーですね。
心の問題です。」

2006年のワールドカップの参加も決まり、華やいだ話題が続く日本サッカー界。
日本代表や、海外のリーグで活躍する選手がいる一方、表舞台から去っていく選手も多い。
Jリーガーの平均登録抹消年齢──25.5歳。
実力の世界とはいえ、この過酷な現実。
プロサッカー選手でなくなった人たちに残された、その後の人生。
そんな人たちをサポートする組織がある。Jリーグのキャリアサポートセンターだ。
その専任スタッフである、重野弘三郎さんは、元・Jリーガーであり、進路変更を余儀なくされた選手たちの「痛み」をいちばん理解している人だった─。

Jリーグキャリアサポートセンター

http://www.j-league.or.jp/csc/
2002年、Jリーグの事務局内に設立された、主にJリーグの選手たちのセカンドキャリアをサポートする機関。主な活動としては、Jリーグ全クラブの現役選手に対してのセカンドキャリアのガイダンスや、OBの講演会の開催。さらに、進路に悩む選手たちへの個別訪問や相談などを受け持つ。現在、専任スタッフは重野さんをふくめ3名、サテライトスタッフとして外部から5名の、合計8名で運営されている。

結局、自分の人生なのだから、
他人がどうこう言えるものではない

【プロフィール】


しげの・こうざぶろう。
1971年神奈川県出身。滝川第二高等学校、鹿屋体育大学を経て、94年、Jリーグのセレッソ大阪、96年富士通川崎(現・川崎フロンターレ)に所属。選手を引退後、鹿屋体育大学大学院で、プロサッカー選手のセカンドキャリアについて研究。98年、大学院在学中に単身渡米し、トライアウトを経て、インドアープロサッカーリーグで1シーズン過ごす。帰国後、2002年に設立された日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のキャリアサポートセンターの専任スタッフに就任。現在に至る。

長身。きびきびとした身のこなし。はっきりとした言葉遣い。屈託のない笑顔。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のキャリアサポートセンターの専任スタッフ、重野弘三郎さんは、まっすぐな視線をこちらに向けて話し始めた。

「Jリーグの選手は、みなさんほぼ1年契約で、毎年11月下旬に契約の更改が来るんです。その時期に契約を更新できない方が場合によってはJリーグを出ていくことになります。そうした方々と連絡を取って、今後の進路をサポートするのがキャリアサポートセンターの基本的な仕事です」

Jリーグの選手の平均引退年齢は25.5歳(002年時)。ほかのプロスポーツ選手と比べても、かなり短命である。

「単純にプロ野球と比較しても、4〜5歳は引退年齢が低いですね。高卒、あるいは大卒でJリーグに入ると2年ぐらいで選手としてのピークが来て、そのあとすぐ、進路変更を余儀なくされる人が多いのが現状です」

選手が引退を決意する理由。それは怪我などのフィジカル面での理由だけではなく、メンタルな部分が大きいという。

「25歳ぐらいだと、フィジカル面はそれほど崩れていないんです。選手の皆さんはそれなりに練習はしてますし、コンディションはそこそこ維持していけるんです。

僕が思うに、選手が引退を決めるのは、その人のメンタリティーですね。心の問題です。どこかで自分は駄目だと思ったり、もう自分の理想とするコンディションに持っていけないと感じたりして…。そういうメンタル的な判断を下した人が、結局はプロから離れていく。体はまだまだいけるのに」

体が丈夫なだけに、まだまだ自分はやれる、と思っている選手に、突きつけられるクラブからの戦力外通告。現役続行を希望する選手たちにとって、重野さんのサポートは、反発を買うこともあったようだ。

「その人の人生って、他人がどうこうできるものではないですよね。だから僕は、まずその人が何をしたいかを確認するんです。1回会っただけではわかりませんけど、何回も会って話をしていく間に、『この人、やっぱりサッカーがしたいんだな』と感じ取れるんですよ。その気持ちを無理矢理おさえて、サッカー以外の仕事を考えていこうか、といったところで、たぶん手につかないと思いますし。

結局、サッカーを続けたいという人には、そのまま続けてもらいます。世界中にサッカーのプロリーグがありますし、アマチュアリーグに行くことだって可能ですから。

ただし、生活できないくらい収入がなくて、ましてや結婚してお子さんがいる人の場合は別です。まず収入をちゃんと確保しないとサッカーどころではありませんから」

元・サッカー選手であることは
あまり説得力を持たない

重野さんは、かつてセレッソ大阪に所属していたJリーガーだった。選手時代は、決して恵まれた状況ではなかったと語る。

「選手としては成功しませんでした。ですから、引退したら大変だろうとは思っていましたね。

実際、引退したあとは、アルバイトもさんざんしました。たとえば1日1万円稼ぐのにどれだけ大変か。そして、それを毎日続けて生活していくことがどれだけしんどいか、というのは身に沁みてわかりました。サッカーで月に何十万ももらえる生活が当たり前ではないということは理解しているつもりです」

引退後の重野さんは、さまざまなアルバイトをしながら、大学院に籍を置き、アメリカのプロサッカーリーグに参加する。

「レギュラーでシーズンの半分以上の試合に出ていた年に戦力外通告を受けたので、相当ショックが強かったんです。それでなかなかサッカーを諦めきれないというのが、周りから見てもよくわかったみたいですね。アメリカのプロサッカーリーグに行ったのも、自分の中の気持ちの折り合いをつけたかったからです」

帰国したあと、重野さんは京都で活躍するASラランジャ京都(関西社会人リーグ)のコーチを引き受ける。その2年後、Jリーグにキャリアサポートセンターが設立され、その立ち上げ時に誘われる。

「大学院の修士論文で、プロサッカー選手のセカンドキャリアの到達プロセスについて書いていたので、それが目に留まったみたいです。果たして自分にできるのか疑問でした。でも、かつての僕と同じように、試合にも満足に出られなくて、残念ながら戦力外と言われた人に対しては、何かできるかもしれないと思って、この仕事を始めました」

BOOK

OFF THE PITCH
引退した選手の現在の仕事や、求人情報を掲載した冊子。2002年より、毎年1回、キャリアサポートセンターが発行している。

かつて選手だった重野さんの言葉は、引退を通告された選手たちに、かなりの説得力を持つと思われる。しかし、重野さんはそれをやんわりと否定する。

「確かに選手としての知識は生かしてます。僕にはそれしかないですから。でもなまじそれだけで相手に当たってしまうと、とんでもない間違いをおかすような気がします。

選手の人たちって、すごく個性が強いんですよ。みなさんそうなので、僕が体験したことを懸命に話しても、わかってもらえないことが多い。『それはあんたの価値観でしょ』と言われがちなんです。ですから、こちらの方が今の現役の選手よりは少し先を歩いている──まあ単に年を取っているだけなんですけど──ところから見えてくる部分がありますから、あくまでそうした部分を参考程度に話すだけにしています。

結局、選手のみなさんにとって、何かのきっかけになるようなことを提示できればいいと思っています。それによって、選択肢がひとつ増えたとか。そんな程度でいいのではないでしょうか。それに、選手のみなさんは、家族や友人など、他に相談できるところもありますし、そのうちのひとつとして、キャリアサポートセンターを利用していただけると嬉しいですね」

サッカーから受けた恩は
サッカーをする人々に返していきたい

順調ではなかった選手時代。引退後の道のりも平坦なものではなかった重野さん。そうした経験がキャリアサポートセンターでの仕事ぶりを支えていることは間違いないようだ。

「これは僕がサッカーから学んだことですが、常にいい準備ができているかどうかで、そのあとの状況がずいぶん変わってしまうんです。

つまり、大切なことが3つあるんです。まず、自分の状況を認めることです。いろんな状況が自分に起こりますよね。悪いこともあればいいこともある。自分の立ち位置もふくめ、まず全部それを認識する。次に、その認めたことが悪ければ悪いほど、そこから脱却できるように頭を切り替える。そして最後に、自分の理想とする状況に向けて準備する。この3つだと思うんです。これはサッカーに限らず、一般の方々にも通用する考え方かもしれません」

サッカーを通じて得たことが、今の仕事につながっている重野さん。サッカーへの感謝の気持ちが伝わってくる。

「今、僕がこの仕事をやっているのは、おそらく、サッカーへの『恩返し』なんです。選手のみなさんって、それぞれの出身地があって、そこのクラブのOBだったりするわけです。そういう人たちがいずれ出身地に帰っていって、そこでみんなのいい目標になっていくことが、サッカーの裾野を広げることになるのではないでしょうか。引退した人たちが、しっかり生きていくための受け皿や、機会を作っていくのが、我々の仕事だと思っています」

Jリーグの選手たちが安心して、プレーに打ち込めるための環境作りに余念がない重野さん。その前向きな態度に心打たれる選手も多いことだろう。





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