北に対する偏見と恐怖
それが次第に氷解していった
「北朝鮮のスパイ、と聞くだけで、私たちのような朝鮮半島の南(韓国)にいる人間たちは緊張して身構えてしまうんです。昔から私たちはずっと反北朝鮮、反共の教育を受けてきましたから」
そう語るのはキム・ドンウォン監督。おもに韓国社会に切り込むドキュメンタリーを作ってきた彼が出会ったのは、北朝鮮のスパイ容疑で韓国の警察に捕らえられ、長年刑務所で過ごし、出獄してきた老人たちだった。
「元・北朝鮮のスパイがいると聞かされたとき、やっぱり怖かったですよ。でも、そうした人たちと実際に言葉を交わしたり、一緒に過ごしたりしているうちに、彼らは特別な存在ではなく、平凡で普通な人たちなんだな、と思うようになりました」
彼らと生活を共にすることによって、監督は彼らを“スパイ”と呼ぶことに違和感を抱くようになる。
「彼らは“スパイ”じゃないんです。というのは、本来“スパイ”の定義とは、他の国の機密を奪うためにその国に入り、誰かを拉致したり、妨害工作を企てたりすることじゃないですか。ところが、北朝鮮と韓国は実は同じ国であって、分断されて休戦ラインが引かれているだけなんです。今でも北朝鮮では、韓国は北と同じ国という認識です。だから、私が撮った北の人たちも、『自分たちはスパイじゃない』って言ってるんです。統一のために南の人に会いに来ただけだ、と」
祖国統一のために南にやってきた人たちは、投獄され、拷問を受け、共産主義・主体思想からの転向を求められた。拷問に耐えきれず転向した人もいれば、あくまでも抵抗し、転向しなかった人もいた。どちらを選択するにしても、彼らにさまざまな悲劇がおとずれた。
「転向した人は、比較的早く釈放されましたが、転向したことを後悔するあまり、後の人生に暗い影を落としています。転向しなかった人には、さらに残酷な拷問が待っていました。そして30年から40年もの長いあいだ、獄中に閉じこめられてしまった」
拷問に耐え、転向しなかった人たち。彼らの強さはどこから湧き出てくるのだろう。
「人間って暴力が加えられると、すごく意固地になったりする場合があるじゃないですか。非転向者の人たちがずっと信念を曲げずにいられたのは、拷問を受けたことで、さらに反発しようとする力が湧いてきたのだと思います」
監督自身も、彼らの反発する力に共感するようになったという。
「映画でも語られていますが、私は北の元・スパイを許可無く撮っていたということで、当局の怒りに触れ、逮捕されたことがあったんです。投獄されたのはたったの3日間でしたけど、自分も彼らと同じように監獄にいた事実があることで、ようやく彼らと同じ地点に立てた気がしたんです」
逮捕されたことで、彼らとより親しくなり、映画を撮り続ける意欲も湧いてきたという。
「もう全てを捨ててしまった感じでしたから(笑)、怖いものはなかったですね。意志も強くなったし、私を心配してくれた周りの人たちからも力を得られたような気がします」
北に帰る人と南に残る人
別れて意識される他者への思い
本作『送還日記』の上映時間は2時間28分。監督は淡々と彼らの日常を撮り続ける。そこには声高な政治的発言や、イデオロギーのぶつかり合いなどはほとんど映し出されない。
「もっとドラマチックな場面を撮るべきだと思ったりもしました。でも私が彼らを撮る基準にしたのは、できるだけ政治的な姿を排除することでした。あくまでも入れたいと思ったのは、彼らの日常の姿、普段着の様子だったんです。
彼らと過ごすことによって、人間的に近づくことができましたからね。彼らが元・スパイだとは全然思えなくなりました。今では『大好きな隣の家のお爺ちゃん』という感じです。
よく考えたら当然ですよね。スパイだって人間だし、普通なんです。でもその当然の事実を忘れていたというか。だからこの映画作りはそれを確認していく作業だったような気がします」
2000年。南北の首脳による「6.15共同宣言」(※1)が発表された。それに伴い、彼らを北に送還する運動が活発化。いざ北に帰ることができると知らされた彼らの心境は、どのようなものだったのだろう。
「これは映画にもありますが、彼らのうちのひとりから『一日一日、毎日闘争して生きて、今、ようやく北に帰ることができる』という言葉を聞いたときはショックでした。私としては、彼らがなんとか南で平穏に過ごせるように配慮してきたつもりだったんです。でも彼らにとって南での生活は、毎日が闘争で、すごく窮屈な思いをしていたんだな、ということがわかりました。南は、彼らが常に警戒心を持っていなければならない場所だったんです。ただ、少なくとも私が一緒に過ごした人たちは、いい思い出を抱きながら北に帰ったと信じたい」
2000年9月2日。非転向者の63名が北に送還された。その中には、監督が親しくしていた老人たちの姿もあった。いちど北に帰ったら、もう二度と会えないかもしれない。映画は北も南も関係ない、生身の人間同士の触れ合い。そして、別れを映し出していく。
「私はドキュメンタリーを撮っている人間なのですが、現実は劇映画よりドラマチックなことが多いと思います。私はそうした現実のほんの一部を切り取ることしかできない存在にすぎません。特に朝鮮半島には劇的な事件が多かったですし、そのもの自体がドラマチックですから。あの別れのシーンが見る人を感動させるとしたら、現実の強さだと思います」
監督は逮捕歴があったため、北に渡航する許可が得られなかった。そのかわり監督は北を訪れる機会のあった後輩にビデオカメラを託す。その後輩は北に送還された彼らをビデオに収めることに成功。その姿が映し出されるのが本作のクライマックスだ。彼らの中で、特に監督と親しかった老人がカメラに向かって語りかける─君を息子のように思っていた─と。
「その言葉を聞いたときは、嬉しくて…。そして同時に恥ずかしかったんです。なぜかというと、私は彼のことを父親のようには思っていなかったものですから。確かに大好きな人でしたけど、彼が持っている理念を理解できない部分もありましたし、やっぱり距離があるな、と感じていました。私がそんな気持ちでいるのに、彼が自分のことを息子のように思ってくれたことが恥ずかしくて、そして申しわけないと思って」
南北分断における悲劇。そしてそれを乗り越えようとした人たち。本作『送還日記』を撮り終えた監督は、北を見る眼が変わったようだ。
「今の状況を見ていると、北をあまりにも敵対視している気がするんです。ひとつも矛盾のない国なんて存在しないじゃないですか。韓国にしても日本にしても、いろんな側面を持っているわけだから、当然、北もいろんな顔を持っているはずなんです。だから、ひとつの顔だけを見て判断するのではなく、いろいろな側面を見て判断してもらいたい。そのためにも、この『送還日記』が少しでも役に立てばという気がします」
監督が見た北の「側面」。それは、人間同士のシンプルな交流だった。もしかしたら、それは、分断の歴史やイデオロギーの障害を乗り越えるものになるかもしれない。『送還日記』の公開は、人間と国というものについて深く考えるためのよい機会になるだろう。
Text by:植田マサユキ
※1 6.15共同宣言
当時の韓国大統領、金大中と北朝鮮の金正日委員長が2000年6月に行った会議で発表された宣言。1984年に朝鮮半島が二分されて以来、初めて両国の首脳が介した。南北統一を見据えた交渉が進展し、離散家族の訪問、スポーツ行事の開催など、民間レベルでの交流が進んだ。それに併せて元・北のスパイたちを送還させる動きも活発化した。