報道写真クラスの生徒

2001年タリバン崩壊の直後、ムジャハディーン(聖戦士)の英雄、マスード将軍が結成した北部同盟軍と同じ戦車に乗り込み、首都カブール入りを果たした唯一の報道写真家がいた。「レイザ」というファーストネームで知られる写真家だ。「爆弾ではなく、報道の自由によってもたらされたデモクラシーを建設しなければならない」。そう考えた彼はアフガニスタンに「アイナ」と呼ばれる非政府団体を設立。ソ連軍侵入、タリバン支配など、20数年も戦闘が続いたアフガニスタンに、初めて「報道」という「民主主義の根」を植えつけた。崩壊した文化を建て直し、傷ついた魂を癒す。自ら背負った使命に勇敢に立ち向かうレイザさんにお会いし、お話を伺った。

レイザ

報道写真家であり、社会活動家であるレイザさん。「取材で人に会い、一緒に仕事をしていくということは、私の心の一部を彼らに託していくこと」

profile

レイザ|Reza

本名レイザ・ディガーティ。イラン生まれ。過去25年間フランスに亡命。イラン人人質事件でその場にいあわせた唯一の写真家で、『ニューズウィーク』のカバーとなった写真はあまりにも有名。その後20数年、世界各国の紛争地で取材を続け、多くの賞を受賞。ソ連軍侵入の80年代からアフガニスタンでの取材を始め、マスード将軍と交流を深める。復興事業にも深く係わり、国連との仕事も多い。長年にわたる彼の報道写真家、そして社会活動家としての功績を称え、2005年、フランス上院からフランス国家勲章(the medal of the French Order of Merit)を授与された。

アフガニスタン紛争とマスード将軍
79年、共産政権擁護の目的でアフガニスタンに侵攻したソ連軍に、マスードを指導者とするムジャハディーと呼ばれるイスラム教ゲリラが抗戦。88年ソ連軍撤退開始、92年共産政権の崩壊後、マスードを国防相とする暫定政権が確立するものの、各派間の主導権争いによる内戦が続く。暫定政府が民衆の支持を失うなか、イスラム原理主義の過激勢力であるタリバンが決起。96年、タリバンが首都カブールを占領し、独自の厳しいイスラム教見解で民衆を抑圧。マスードは救国統一戦線「北部同盟」を結成し、タリバンと抗戦。2001年9月9日、暗殺される。その2日後に起こったアメリカ同時多発テロの首謀者ウサーマ・ビンラディンとテロ組織アル・カーイダを庇護するタリバン政権に米・英が武力行使。同年12月、北部同盟軍がタリバン支配地域を奪還。現在はカルザイ政権のもと民主主義に向けて大きく前進している


写真撮影の授業

1983年、アフガニスタンの難民キャンプで写真撮影の授業をするレイザさん。写真を教えることは「不当な状況に対して戦う唯一の武器」。

君たちが言う残虐とは何なのか、世界に見せるんだ

■写真は教える、それは唯一の武器だった

「木の枝は実が多ければ多いほど、地面に向かって頭こうべを垂れます」

多忙ななか、取材の時間をとるために骨を折ってくださったレイザさんに彼の謙虚さに対してお礼を言うと、そんな言葉が返ってきた。多くのことを成し遂げるにはいっそうの謙虚さが必要だという彼の信念を表わしている。

彼の顔に浮かぶ穏やかな微笑。それは、長年の紛争地生活で身に付いた厳しさを癒すような優しさにあふれていた。

アフガニスタンとの係わりは、1983年にまでさかのぼる。巨大なタンクや戦闘機を持つソ連軍を相手に時代遅れの銃を背負って抵抗運動を続けるムジャハディーンの取材をした際、ソ連軍の残虐行為や500万人以上もの難民をだした悲惨な状況に唖然とした。

「穏やかな表情をしているのは死者だけでした。家族をすべてなくした幼い少女が年老いた顔で一日中じっと岩に座っているのを見て、子供達の苦しみの深さに愕然としました。この状況を世界にもっと伝えなければならないと思いましたが、私の他に西洋から来ている報道写真家はあまりいませんでした。

そこで、地元の若者達に写真の撮り方を教えたのです。カメラも買い与えました。『君たちが言う残虐行為とは何なのか、世界に見せるんだ』と。不当な状況に対して闘う私の唯一の武器、それが写真を教えることでした」

ロシア軍撤退後も内戦が続いた。その後、独自の厳しいイスラム戒律を強制するタリバン政権では写真、雑誌、テレビ、ラジオなど報道は一切禁止され、絵画の動物の顔さえ黒塗りされるほどの徹底ぶりだった。

「人の歴史の中でも最悪の出来事だった」とレイザさんが語るタリバン政権の崩壊後、彼が最初に取り組んだのが「民主主義を守るための道具」をもたらすことであった。それは、独立した新聞であり、ラジオであり、市民の声であり、「表現の自由の根」を植えつけることであった。

「ジャーナリストを育てたいと50人を応募したら、翌日500人集まりました。その翌日も別の500人が集まりました。皆、『新しいアフガニスタンの一部になりたい』とやってくる。彼らは乾いたスポンジのごとく何でも吸収しようと必死でした」

最初の問題は教師となるジャーナリストや写真家がいなかったことだ。

タリバン政権下、許可されていたのは証明写真を撮る箱型カメラ屋だけでした。そこで、最初の授業は道端の箱型カメラ屋を招き、時代遅れの箱型カメラで基礎勉強を行いました」

その後アイナの呼びかけに応じ、様々な国からメディア関係者が教師としてボランティアに参加した。本拠となるメディアセンターの建物は、建築士としても資格を持つレイザさんが自ら設計し、建築に携わった。

パバース

『パバース』の表紙。科学、スポーツ、自然、音楽、テクノロジー、漫画などバラエティーに富むトピックが満載。「世界に目を向けてほしい」とレイザさん。

箱型カメラ

タリバン政権下唯一許可されていた箱型カメラを使い、写真の勉強をする。

ムジャハディーンの英雄として多くの尊敬を受けた偉大なる指導者、アハマッド・シャー・マスード。レイザさんとの親交は80年代前半から20年近く続いた。

アハマッド・シャー・マスード
Mehria Azizi

アイナ映画製作部門の女性監督、Mehria Azizi。彼女の作品「Afghanistan Univeiled」はアフガン女性監督による始めてのアフガン女性のドキュメンタリー。

大切なのは文化や心のアイデンティティの構築です。

■16歳で学んだ表現の自由の大切さ

アイナは8つの新聞・雑誌の発行を助けている。「20年先を考えた子供の教育、将来の投資が必要だ」と語るレイザさんが特に思いを入れているのが、アフガニスタンで唯一の児童雑誌『パバース(Parvas)』の発行だ。

これには少しいわれがある。彼がまだイランに住んでいた16歳の時、市場で魚を売るおばさんから「売り上げがあっても警官がやってきてお金を要求するので大変なんだよ」と聞かされた。これは問題だと思ったレイザ少年は、おばさんの話を載せた雑誌を自分で発行することにした。

雑誌の名前は『パバース』。学校内では評判がよく、先生もいい出来だとほめてくれた。数日後、黒いスーツ姿の男達が現れ、この雑誌を作ったのかと少年に聞く。そうだ、と得意げに答えると、黒い車に乗せられ、ある場所へ連れて行かれた。男達は30冊ほども『パバース』を持っている。よほど気に入ってくれたんだなと思っていると、いきなり、「誰の許可があってこんなことをやってるんだ。我々の国ではこんなことはやってはいけないんだ」と怒鳴られた。雑誌は破られ、その雑誌で体中を叩かれた。

「人の人生を変える決定的な瞬間があるとしたら、16歳の時の経験はその一つでした。叩かれた時の痛さは何でもありません。それよりも私がそれまで住んでいたすべてが、理想的で美しい世界が粉々に壊されたのです。この国は私が思っていた美しい国でなかった。目の前にいるのは立派なスーツを身にまとってはいるがモンスターなのだということが突然理解できたのです」

この経験がどのように後の人生に影響を与えたのか。

「本ではなく雑誌を出版しようと決めたことでしょうか。分厚い本で叩かれたら痛いですからね」とレイザさんは冗談で笑い飛ばしたが、表現の自由の大切さは、16歳の時に彼が身をもって学んだことだったのだ。

それだけに、34年後の『パバース』の発行にはいっそうの思い入れがある。

「パバースとは舞い上がるという意味です。子供達に心を開き、想像を飛び立たせてほしいという願いがこもっています。ある村で、1冊の『パバース』を村中の子供達が分け合って読んでいる光景に出会いました。子供達は本の内容を暗記しているんです。とても嬉しかった」

タリバン政権下、働くことも一切許されず、その存在を失ったかのような女性のことも気になった。

「この国のあとの半分はどうしたのかと考えました。彼女達はどんな生活をしていたのか、難民としてどんな苦労があったのか、声を聞きたいと思いました」

アイナは積極的に女性をリクルートし、ジャーナリストとして訓練をする。また、アフガニスタン初の女性誌の発行や、ラジオ番組の制作を通じて、女性の権利や社会的役割についての知識を広めている。

AINA WEB AINA PHOTO

2001年8月にレイザさんによって設立。雑、新聞誌の発行、ビデオ・映画制作、ラジオ番組制作、ジャーナリストやメディア、報道技術者の育成などを通じ、アフガニスタンに報道の根を植え、表現の自由を支えていく。アイナがサポートする雑誌・新聞は40万人に読まれ、ラジオの視聴者数は300万人に達する。また、現在までに0人以上のメデ100ィア関係者を養成。首都カブールだけではなく、主要8都市にもメディアセンターを設立し、地方都市にも表現の自由を広めている。

上映会

「映画館がないのならこちらから映画を持って行こう」。そう考えたレイザさんは移動映画館を設立。選挙の手引き、健康管理、地雷防止、子供のためのコメディなどを上映。右写真はタリバンによって破壊されたバミヤンの仏像の前での上映会。

■目指すのは21世紀の新しい形の慈善事業

アイナの目標はメディアの自立・独立化だ。

「最新のテクノロジーにも精通した世界に通じるメディア、コミュニケーションのプロを育て、経済的、政治的に完全独立化させていきたい。今年の目標はすべてのプロジェクトをアフガンの手に渡していくということです」

建物の再築や食糧供給だけではなく、ツールを与え、教育し、自立するまでサポートしていく。あくまでもアフガン人によるアフガン人のための機関作りを目指している。そこが、他の慈善事業団体と違うところだとレイザさんは言う。

「他の慈善団体を見て、何でこんなことをやっているんだと、不思議がる地元の人によく出会います。その点、アイナの活動は地元の人々に大きく理解され、地元との繋がりも深い。政府はもとより、学識者から地方部族まで幅広いレベルで、尊敬され、感謝されています」

一方、残念ながら資金不足のために一時停止となっている雑誌やプロジェクトもある。「アイナが目指しているのは、21世紀の新しい形の慈善事業です。建物などの復興事業だけではなく、大切なのは文化や心のアイデンティティを再築していくことです。戦争で傷つくのは肉体だけではありません。文化や魂が目に見えない形で傷ついているのです。それを癒していかないことには、きれいな病院や学校を造っても、また破壊が始まってしまうでしょう。

しかし、どうして雑誌や新聞の発行が学校などの建設よりも大切なのか、寄付者にはなかなか理解してもらえません。国際寄付国の間でも、寄付をしたらその後で、写真に残せるような寄付の仕方を望んでいます。学校は建てたら写真が撮れる。しかし、子供の態度は写真にはならないんです」

レイザさんは写真や本の売り上げや個人的な貯蓄をつぎ込み、現在アイナの存続を可能にしている。タリバン政権崩壊から5年、アフガニスタンはどう変わったのだろうか。

「写真家の視点で見ると、人々の顔は全然違っていることが視覚的にはっきりとわかります。まったく希望を失った刑務所の囚人の顔から、自由で将来の希望をもった顔に変わっています。街角の雑誌は政府をオープンに批判できますし、デモクラシーは確実に育っていると感じます」

アイナは今年1月にスリランカで子供のための雑誌『パバース』を発刊した。16歳の時に壊れたレイザ少年の世界は、アフガニスタンで蘇り、今大きく世界に飛び立っている。

雑誌を売る孤児

カブールの街角で「パバース」を売る孤児。ユニセフによるとアフガニスタンには160万人もの孤児がいるという。

「パバース」を読む子供たち

アフガニスタン初の児童誌「パバース」を読むバミヤン地方の子供達。隔月2万5千部がアフガニスタン各地に無料で配布される。

 青いブルカの女性

青いブルカをまとった女性が初の女性月刊誌「Malalai」を読む。

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