マック人と人をでつなぐ〜知識に繋ぐ〜

デジタル的な知識との付き合い方

データ同士が複雑に交差方向性も多次元的

 デジタル的な知識の基本がデータベースであることは分かった。ではデータベースとはいったい何なのか?「データが集まったもの」という答えでは正解にならない。

 まずデータベースの構造を知る必要がある。簡単に説明すると、データベースは「レコード」と呼ばれるメンバーで構成され、それぞれのレコードが「フィールド」というメニューを持っている。例えば、ユーザーのデータベースには、メンバーのレコードがあり、Aさんのレコードを見ると、名前、性別、住所といったフィールドが記載されている。
 実はこの各情報が部品化しているという点が、デジタルデータの最大の特徴でもありメリットでもある。部品は容易に共有することができ、横断的な(リンクした)知識を作り上げるのにも役立つ。つまり、ここでは知識が3次元的な姿を持っていると言えるだろう。

 この3次元的知識の中には、無限のストーリーが包括されている。あるベクトルを投げかけると、散らばっていたデータが、ある条件の元に関連性を持ち、ひとつのストーリーとして浮かび上がる。それはまさにリアルタイム−その瞬間だけに存在するストーリーである。
 そのことが今までと違うのは、人間が自分の範囲で想定した情報とは、まったく違う分野の情報まで拾われてくる可能性が高いことだ。例えば、ワールドカップサッカーの結果を知ろうと新聞社のWebページにアクセスしたら、サッカーゲームが売れているという記事を発見。そのページを開くと、サッカーファンの女性のページへとリンクが張られており、その女性がある俳優の娘だということを知る。さらにその俳優のいとこの孫が骨髄症でドナーを探しているという情報にたどり着く。他にも似たような例はたくさんあるが、サッカーと骨髄症というまったく関係のない2つの情報が、Webページのリンクによってつながっている。

 一生知ることのないと思われる知識を、偶然や直感によって得られるというのは魅力的なことだ。司法試験を受ける人が六法全書をまる暗記した場合、その人が得られる知識は六法全書に書かれた法律だけである。もしこれをWebで勉強したらどうなるか? 法律のページを見ていたら、経済、政治、あるいはまったく関係のない情報にたどり着くかもしれない。
 これは、デジタルな世界が、人間に新しい感覚器官を与えたようなものではないだろうか。もちろんかつてのアナログ的な世界でも、偶然や直感は知性に輝きを与える最も重要な要素であった。しかし、そこに到達するのはどうしてもある種の能力のある人に限られていた。知識から知識へワープするためには、それだけの知力、直感力、固定観念にとらわれない自由な精神が必要だったからだ。だからこそ知識人は尊ばれ、ある種のステイタスを与えられていた。

 デジタルな世界では、全ての人に、何の苦労もないまま(最近ではWebTVみたいなものも出てきたことだし)、この能力が与えらている。膨大な知識を持っているということの価値は、今後、瞬く間に失われてゆくだろう。

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