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サイバースペースはどうあるべきか?

アナログ的な人間がサバイバルする方法

 デジタルの知識で満ちあふれた世界は、サイバースペースと呼ばれている。インターネットだけではない。CD-ROMタイトル、電子手帳、衛星デジタル放送など、デジタルと名の付くものすべてを包括した巨大な空間だ。中は、先に述べた知識のネットワークが縦横無尽に張り巡らされている。

 われわれがこのサイバースペースに求めるものは何か? それ以前に、サイバースペースの定義とはいったい何なのか? パソコン世代の子供達は、幼少のころからエデュティンメントソフトに親しみ、メモを取るときは電子手帳を使う。彼らなら戸惑うこともなく、ごく自然にサイバースペースの中を動き回れるのかもしれない。
しかし、今までアナログ的な価値観の中に生きてきた人間にとっては、サイバースペースがどういう世界なのか、定義を確認してからでなければ前に進めないという抵抗があるように思う。

 サイバースペースはインターネット同様、国境も法律も存在しない。そこにある知識が正しいかどうかは、最終的には自分で「これが正しい」と選択するしかない。その答に責任を取ってくれる人は誰もいない。アナログ的な世界では、ひとつの物語を追っていくことで、自分の人生をある確信を抱きつつ生きていくことができた。しかし、瞬間ごとに無限に生まれるストーリーの、どれを選択してもあなたの自由だと言われる世界に、はたして人間が耐えられるのか? どうもそこらへんに、アナログ的な人間が潜在的に感じている「恐怖感」、それで言葉が強すぎるのなら「抵抗感」というものがあるのではないだろうか。デジタルの軽さ、しがらみのなさ、あまりの自由さが、さらにアナログ人間の不安を助長しているいるかもしれない。
 とは言っても人間は、かなりたくましい動物である。そうなったらなったで、きっと生き延びるための本能が育ってくるのではないか。アナログ的な人間が、膨大なデジタルデータの洪水に洗われて、自分オリジナルの物語を作れるだけの創造性を築き上げるとか、あるいは、自分が自分がと思っていたその自分が揺らいできて、そもそもの「私」という認識が変わってしまうとか。

 21世紀はさらにデジタル化が進むと予想される。その時代の中で生きる限り、サイバースペースに身を深く投じなければならない日は必ずやってくる。それほど構えなくても、実は、すでにあなたはサイバースペースの中に片足を踏み入れているはずだ。かつて魚が陸に上がった時も、ある日突然海を脱出したのではなく、浅瀬の中で満ち潮と引き潮を交互に体験しながら、水陸両方の生態を生存しつつ進化していったように。

デジタルの世界が、新しい人間の知の世界を創造していくことは間違いないだろう。しかしそれは、今、この時点で既存の知覚器官を使って推察することこそ難しい。かつてある科学者が、「ネットワークは脳の神経細胞のような働きをし始めている。この先、地球全体がひとつの脳のように思考を始める時が来るだろう。」と予言した。人間の中に新しい感覚器官 が育った時、その知覚を通して世界がどのように見えるのか、きっと誰にも想像できない。

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