デジタル文化未来論
「生体情報そのものを直接的に音響生成に利用することで生身の人間の感情を表現したいんです。」
世界中のほとんどの民族には民族特有の楽器や音楽があるという。音を楽しむことは、生物で唯一「人」にのみ与えられた能力といっても良いだろう。さて今世紀中頃、人間は新しい音楽のジャンル、「コンピュータ音楽」を生み出した。コンピュータ音楽とは一般にコンピュータで合成した音を使ったり、あるいは作曲などの過程でコンピュータを用いた音楽などを指すが、技術の著しい進歩でコンピュータ音楽の可能性は無限に拡張し続けている。
そして現在、生体情報を利用したリアルタイム・コンピュータ音響生成の研究をもとにした新しいコンピュータ音楽の世界が生み出された。そこには私達がかつて音楽として認識していなかった音が、いきいきとしたひとつの音楽として表現されている。生体に着目した新しい音の世界の魅力を作曲家として活躍中の慶応義塾大学の岩竹徹教授に語って頂いた。
先生の研究されているコンピュータ音楽とは、どのようなものなのですか。
一般的にコンピュータ音楽というと、MIDIとかシンセサイザーを使うものと思われるでしょうが、私の研究はコンピュータそのものを楽器として使う、つまりコンピュータに周波数や波形などを計算させて、音そのものを作るというアプローチです。MIDIは「今までの文化」をコンピュータの中に持ってくることで音を作りますよね。でも私はどうせコンピュータを使うのなら、コンピュータにしかできないことをしたいと思ったんです。それがそもそもの研究の発端ですね。
私は10数年前までは現代音楽のオーケストラの曲などを作っていたんですよ。でもいかにオーケストラを使ってもオーケストラの音しかでないわけです。当たり前のことなんですが。特にオーケストラなどで使われるのは特定の安定した周波数の音が中心ですし音の種類も限られてくるんですよね。
でも音というのは本来はいろいろな種類があるんです。私は特に音の素材そのものに対しての興味がありますが、人の声だとか自然の音だとか、音というのは何も「ドレミファ」音階で表せるものばかりではないんです。ところが従来の音楽は音の素材そのものが限定されてしまっており、そういったものに私自身飽きてしまったわけです。もっと、ありとあらゆる音を素材として使いながら、さらに従来の音楽では決してできなかった「生身の人間の感情」そのものを表現しよう。これが私の研究のひとつのテーマになっているんです。その研究の道具としてコンピュータを使うことで、あらゆる音へのアクセスが可能となりました。そういう意味で私にとってコンピュータは探究の方法であり、あらゆる素材を音として変換するためのテクノロジーであり、表現するためのメディアだといえるでしょう。
「生身の人間の感情」の表現とは具体的にどのようなことなのですか。
近代の音楽は小難しい理屈と、ある一定のシステムにのっとってでき上がっているという面がありますよね。それに対して私は人間の身体まるごとをマルチメディアにして人間のなかにあるものを引っ張り出した音、つまり人間の深層心理に迫る音を表現したいんです。今、流行しているヒーリングミュージックは、聞いている分には心地いいのですが、人間の感情の底の部分を本当の意味でえぐり出していないという点で、私はその効果について疑問を持っています。現代人はどこか意識の表層で生きているというか、通常の人間同士のつながりもそういった表層だけのもので成り立っていますよね。
でも人間はそんなうわべだけで生きているのではないでしょう。例えば今、中高生などの暴力が問題になっていますが、ああいったものも突き詰めていけば心の奥底で何かが起こっているんです。そういった人間の奥にあるものを音にして暴いていこうと私は考えています。もちろん、音でどれだけのことができるのかは今のところ未知数です。でも音という直接的な物理的振動を皮膚や鼓膜に与えることは、感情の表現には多いに効果があると思います。
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