デジタル文化未来論

香山さん  子供たちにとって、現実の世界は矛盾だらけなので、明確な答を出してくれるコンピュータにはほっとするところがあるのでしょうか。

 へんな意味の理不尽さが無いですよね。例えば学校だったら、同じようにふるまってもいじめられてしまったり、わけのわからないしくみで動いていたりすることがあるけれども、コンピュータだったらある行動を起こすとそれに対するリアクションは非常に明確に返ってきます。だから現実に対して恐れを持っている子供でも、すごく安心して入ってゆけると思います。逆にコン ピュータに慣れていない大人にとっては、むしろコンピュータ不安症みたいな感じで恐いものなんでしょうね。それこそMacじゃないけど、コンピュータは本当はフレンドリーだって子供はわかっているから、敷居が低い。現実だったらそれなりに準備を整えて、自分も元気な状態で、さてっていかないとなかなか踏み出せないけれど、コンピュータだったら自分が少し調子が悪い時でも、電源を入れればいつも同じ世界がそこに待っている。むしろすごく優しい、自分を受け入れてくれる、受容してくれるような空間だというのを、子供とか若い人は知っているんじゃないでしょうか。

 パソコン通信が出た時ぐらいから、ハンドルネームを使って自分とは別の人格になることが可能になってきましたね。

 そうですね。パソコン通信の中で、本当は男なのに女として振る舞っていて失恋しちゃった時に何も感じないかというとそうじゃなくて、女としての痛みを感じるかもしれない(笑)。この変な第三の感情もおもしろいと思うんです。別の自分になれるというのも一つの良さですよね。せっかく好きな自分になって、その中では自由に振る舞うことができるのに、このメールのやりとりは診療行為なんだからと言って、「なるべく演技はしないであなたが本当に感じていることだけを書いてください」なんて限定されると、逆にメールの良さが無くなっちゃいます。だから私は、患者さんとメールのやりとりをしても、そっちを現実の中に流用しないようにしてい ます。私も返事を書きますけれど、それはメールの空間の中のやりとりにしておいて、むしろその行為自体に価値を見ています。向こうも生身の私に対して書いているというよりは、もしかしたらアニメかなんかに出てくるお姉さんをイメージしているかもしれない。でもそれはそれで、嘘だからダメだとは思わないんです。

 カウンセリングの時に、「正しい」とか「間違い」という答はあるんですか?

 ないです。もちろん患者さんが「これから人を殺しに行きます」なんて言ったら止めに入りますけれど(笑)。カウンセリングをしていて、患者さんが「私はいろいろ考えたけどやはり離婚したい」と言った時に、「それはよくない」なんて絶対言いません。ものすごい妄想を持った人に対しては、「私にはそれは本当とは思えないけれど、あなたがそれを感じているとしたら、それは恐いですね。」とかそんな風に答えます。 もちろん現実との間に通路というか接点は必要なわけで、その接点をどこに置くか、現実と仮想現実の関係性はどんなものかというのが一番難しいところだと思います。どうしてかというと、患者さんとの関係で、メールではどんどん話が進んで、相手が「そうか、わかってきたよ。こういう風に考えればいいんだね。」なんて言ってくるという進歩が見られることがありますが、その進歩と現実の中の進歩はパラレルではないことが多いんです。もちろん逆もあります。メールの中では「何もわかってくれないんだね」とか繰り返しているのに、現実の中では逆に少しずつ進歩が見られて外に出られるようになっていくこともあるんですね。そういうふうに、どうも現実と仮想現実の関係というのは簡単に解明できないところがある。だから、テレビゲームの中で殺人を犯しているから、現実でも暴力や殺人を犯す人間になるかというと、そんなことも言えないと思います。


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