人間と芸術


COLDFEETはお二人の全く違った個性によって作品を生みだしているわけですが、どのようにコラ ボレーションをするのでしょうか?

ワトゥシ:だいたいの場合は、まずローリーが詩もつけた曲をデモテープのような状態にして持ってくることが多いけれど。

ローリー:いろいろな場合があるの。「Pussyfoot」の時には、初めにラフな楽器によるバックトラックができていたのね。私はそれを自分のアパートの部屋に持ち帰って、様々なスキャットをバックに合わせて試してみたわ。そうして出来上がったあらゆる種類のスキャットをワトゥシに返すと、彼はそれを材料にして、今度はプログラムを構築していったの。自分の好きな形になるように。 だいたいの輪郭ができあがったところで、また二人で話し合いながら、詩の意味を考えたり、メロディの流れを決めたりして、いろいろなアレンジを最終的にスタジオで決定していったという感じね。私がワトゥシと仕事をしたいと思うのは、全体を構築していくときの感覚のユニークさにあるの。

ワトゥシ:ローリーが作った素材となるデモテープがある場合、この曲をやってみようかという作業は、なるべく1日1曲でやりたいなと思っているんですよ。

一日ですか!?

ワトゥシ:もちろん僕らの音楽はストリートミュージックではないんだけれど、ストリートミュージック が持っているような「タフ&スピーディ」をテーマにしてやろうというところがある。すぐにイメージが固まらない曲は、今の僕らには、出会う力も含めてまだ何かが足りないんだなという認識かな。 とにかく1日でまず匂いを探す。その作業というのは、たとえば映画を見たり音楽を聴いてみたりしながら、イメージに似合うサンプルを見つけるということかもしれない。そこで見つけた匂いを作品の中で出してやろうという時もあるし、逆にこういう方向とまったく違うやり方で作るとおもしろいなって浮かぶ時もある。「それ」が降りてきたら、わーっとやっちゃうというのが多いんですよ。それは本当に匂い探しですね。

テクノロジーが進化した結果、バーチャルリアリティなど今までにない世界が広がりだしていますが、それはある種の「夢」とも言えると思うのです。近未来の夢はどんなものだとお考えですか?

コールドフィート2 ワトゥシ:おもしろいのはいつの時代でも、未来というものに対して人間はものすごい妄想を広げるじゃないですか。たとえば15年ぐらい前のSF映画で宇宙ステーションを舞台にしていたりしても、その時代が1999年であるという設定だったりね。クリエイティブというものは形がないんですね。だから物を売っていたとしても、実際にはその物によって喚起されるわくわくする期待値というか、そういうものを人は買っているところもあると思う。音楽とか映画というソフト文化というのは、まさにそういう物を提供しているわけで、そういう意味では人間が豊かになることをしたいなとは思いますね。ただ、機械の能力の限界がなくなっていけばいくほど、自分のリミットも無くなってきているという感じはする。機械を使っていても初期の頃は、ある時点で限界が見えてしまう。自分が思いつくのはここまでだ、自分が考えるのはここまででそれしかできないや、というのが見えちゃうから、すごく厳しい。ところがテクノロジーが進んで、僕はあんまりギターがうまくないんだけれど、それをがんがん弾いておもしろい所だけいい編集をして、いろいろなハードウェア、ソフトウェアを好き勝手にコラージュの様に使ってみる。つまりMacintoshを相手に自分がセッションしている感じになれる。それは非常に豊かなことだな。アナログの作業でやっているとどうしても順番にやっていくしかないところを、機械が相手だから、最後まで自分のエゴと向き合える。僕らの音楽にしてもそういうところが近未来的かなという感じがしないでもない。とは言っても、コールドフィートの最大のリアリティというのは、やはりローリーという人間と作るということができる。歌が入った時に初めて「ムン」とくる。夢のムードを作るものは、人であるローリーの声であったり、僕のひくベースであったりするんですよね。

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