特集:マルチコミュニケーション時代を生きる!
〜デジタルとアナログが交差する世界〜

文字によるコミュニケーションが選択され始めた理由
 今からちょうど1年前、本誌’98年5月号で「マックで人と人をつなぐ」というコミュニケーションツールとしての電子メールの特徴についての特集記事を覚えている人もいるだろう。電子メールは時間と場所を選ばず相手に情報を伝達でき、またデジタルであるがゆえのデータの複製/応用/再利用ができる点が新しい可能性を持っているという内容だった。
 「文字も送れる携帯電話」という言葉を使ったのもそのときが初めてだったかもしれない。電話はおしゃべりをするための機械で、文字情報の送受信はパソコンやPDA(電子手帳)に任せておけばよいという風習が一般の間に広がっていた中、携帯話メーカーは「電子メール対応」という新しいコンセプトに注目し始めていた。あれから1年が経過、今ではそのうたい文句はすっかりマジックワードと化し、メール機能を持たない普通の携帯電話は魅力のない製品と見なされるほどだ。もちろん携帯電話を主におしゃべりの道具として利用している人が大多数を占めているとは思うが、メールが送れるという機能が単なるオマケではないというのも事実である。
 人々はなぜ、これほどまでに文字の交換によるコミュニケーションを好むようになったのか?社会の関係性を体系的かつ合理的なものにするために、デジタルな手法を意識して使い始めたからだと考える専門家もいる。文字とは「記号」の一種である。ある意味でデジタル的な性質を持っている。メールを送れば2〜3行で済んでしまうような内容も、電話だと長々と話し込んでしまうことがよくある。合理的というか効率的なものを得るには、デジタルな手法や考え方、つまり文字による表現が力を 発揮するというわけだ。 デジタル世代は「ロジカル」か「ファジー」か?
 デジタルとアナログを比較する際によく引き合いに出される表現として、「正確さ」と「曖昧さ」がある。しかし、デジタルだから正確で、アナログだから曖昧だとは限らない。たしかに、書類などの情報を伝えるためには、デジタルの正確さが非常に役に立つ。しかしパーソナルなコミュニケーションにおいて、本当に2〜3行の文字から相手の真意をくみとることができるだろうか?顔を見ながら話している時の方が、よほど正確に相手の意をつかむことができる場合も多い。もちろん、口から発せられる言葉は、頭に描いているものをリアルタイムに表現するという特性を持つが、相手と直接、関わりながら話すから、関係のあり方や自分の性格などが影響して、思っていたとおりの発言ができないこともよくある。一般的に言って、社会の構造や人間関係が複雑になってくると、コミュニケーションを円滑に行うためには、客観的に伝えることの可能な、文字によるコミュニケーションが選択される機会が多くなっているのかもしれない。
 言葉は、人間にとって単に意志を伝えるだけのものではない。一つの言葉が、実は多様な意味を持つことを、人は誰でも知っている。「記号」としての言葉の意味を共有する、文化的な背景や価値観があるからこそ、ある一定の意味をお互いに認識できているにすぎない。デジタルコミュニケーションもそういった、「記号」の扱い方のひとつの現れと言えるだろう。それを共有する人々が増えれば増えるほど、社会全体が少しずつ変わってくるはずだ。それは良い悪いというような基準にあてはまるものではないが、ただ、人の思考法、世界観、関係性の持ち方などに関係していくことは確かだと言えるだろう。デジタルとアナログが交差する世界で、私たちの意識はどのような変化を遂げようとしているのだろうか。



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