予告編制作は「若手の登竜門」の時代からプロの専門ディレクターが手がける時代! ガル・エンタープライズは地下鉄有楽町線新富町駅から徒歩5分ほどのところにある。 板垣さんはとても親しみやすい雰囲気で、温かく隊員を迎えてくださった。うかがいたい話はたくさんあるが、まずは会社の概要から教えて頂いた。 ガル・エンタープライズは1976年に設立。現在15人ほどのスタッフが働いているが、そのうち板垣さんのように予告編を制作するディレクターは8人。「仕事の内容としてはディレクターというよりもむしろ編集に近いですね。ナレーターなど音に関しては演出的な要素もありますが、でき上がってきた本編の映像をどう使うか、どう組み合わせるかといった編集的な面が大きい仕事ですね」。 日本を代表する予告編制作ディレクターの板垣さんだが、この仕事を始めたきっかけは 実にユニーク。「実はこの仕事に就く前は塾の先生だったんです。映画は年に数回見る程度で、特別に映画に興味があるわけではなかった。ところが ’78年に角川映画の『野性の証明』を生徒たちと見に行ったとき、生徒たちに『先生も映画の仕事をすれば?』とか言われましてね。もちろん自分には何の関係もないジャンルだったので深く考えなかったんですが、しばらくして新聞にこの会社の求人広告が出たんです。それまでは予告編を作る会社があることも知らなかったんですが、面白そうだと思って入社 試験を受けたことがこの道に入ったきっかけですね。映画は入社してから毎日見に行って勉強しました」。 「以前は予告編の制作は若手監督の登竜門だったんですよ。今でも予告編はチーフ助監督と編集のチーフ助手が作るというスタイルを守っている監督もいますが、実は今ではこれはかなり少数派。現場で予告編を作ると、このシーンは撮影が大変だったとか、このセリフはストーリーの上で大切だから使おうっていう思い入れが強く入ってしまいがち。こういったシステムを崩して、予告編は本編とは別のもので、本編の短縮版ではないという考え方を採用したのが角川春樹さん。それで角川映画の予告編が変わり、やがて他の会社も今のままではまずい、ということで専門のディレクターが作る現在のスタイルができ上ったんです。 昨年『ドリームメーカー』本編の編集を手がけたときは予告を他の人に任せました。音楽の レコードにしてもそれまではプロモーション ビデオなんてなかったけれど、映画界の変化を受けて作られ始めたんですよ」。映画の予告編制作の変化が日本の他ジャンルの映像にも大きな影響を与えたことを知り、隊員たちもびっくり。
|