「自分以外のキャラクターと争うことで、1人遊びでは決して味わうことのできない駆け引きを楽しむことができる」。それが
ネットワークゲームの基本であると考えるが、「ゲーム」の誕生以来、「ゲーム」とプレイヤーとの関係性の基本、そしてそこで生まれるコミュニケーションの質は、ゲームを遊ぶ相手、そしてその数に支配されてきたと言っていい。そのパターンのいくつかを簡単に追って、その内容を検証してみよう。
歴史上、何をもって「コンピュータゲーム」の誕生とするかは議論の分かれるところであると思うが(58年のヒギンボーサムによる『テニスゲーム』、または60年代初頭のMIT(Massachusetts Institute of Technology)における『スペースウォー』など)、少なくとも日本において強い影響力を発揮したのは、78年の『スペース
インベーダー』(タイトー)、そして『ゲーム&ウォッチ』(任天堂)を始めとしたLSIゲームではないであろうか。
しかしこれら草創期の「ゲーム」に共通する
のは、「人」対「コンピュータ」、そして1対1という
ゲームシステムである。プレイヤーはルーティン化されたプログラム(つまりその動きを憶えてしまうことができた)そのものと戦うという、まさに文字通りコンピュータによって作り出されたゲームを
遊ぶことしかできなかった(だがもちろん当時は
それでも十分におもしろかった)。またそれは誰か他の人間とそのゲーム体験を同時に共有する
ことはできなかったことでもあった。
その流れがいくらか変わってきたのは、コン
ピュータの思考力が増してきた頃である。
毎周、同じライン取りをする車ばかりだったレースゲームが、プレイ
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ヤーの走行ラインによってその
動きを変えた
り、『パックマン』(ナムコ)のような
鬼ごっこのシステムを採り入れたゲームでも、
プレイヤーの動きに応じて追いかけてくる敵の
動きも変わり、それまでのように動きを記憶したらあとは簡単という遊び方ができなくなってきた。そしてついに
将棋やオセロ、麻雀といったその時々の
戦略性が非常に高い既存のゲームにおいても、(その思考時間はまだまだ
遅いものではあったが)リアルタイムで対戦することができるようになった。
だが、まだここでも「人」対「コンピュータ」、そして1対1という構図に変更はなく、「ゲーム」とはひとりで
遊ぶもので、誰かが遊んでいる時、他の人は後ろでその画面を覗き込み声をかけることでしかその「ゲーム」に
参加することはできなかった。
上記のようなゲームへの参加方法を強いられ続けると、やはり「人」
対「人」、生身の人間同士で遊びたいという想いをプレイヤーが募らせる
のは正しい欲求であり、その想いが
ついに実るようになった。
人間同士で「ゲーム」を遊ぶというのにはいくつかパターンがあった。まずひとつは、今までコンピュータが担ってきた役割を人間が行うことで遊ぶことができるようになったもの。『テニス
ゲーム』のようなCPUプレイヤーを
相手にしていたゲームが主で、つまり
人間が完全に「敵」を演じる役割を
担う、文字通り「対戦」と呼ぶべき
遊び方である。
もうひとつは『マリオブラザーズ』(任天堂)のように、元々は1人で遊ぶように作られていたゲームを2人でも遊ぶことができるようにしたもの。相手を助けるために敵を倒してあげたり、
出現したアイテムを自分では取らずに相手に
譲ってやったり…。つまりここで初めて、ゲームを
進行しやすくするためにお互い
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