 | ロビーにも、廊下にも、アーケードゲームがそこここに置かれたセガのビル |
東京湾岸といえば、今や注目のスポットが立ち並ぶ場所といったイメージがあるけれど、東急羽田線大鳥居駅周辺、いわゆる旧羽田村一帯は、そんなベイエリアの賑わいがウソのような、どこにでもある小さな町のように見える。東京の中心部からは遠く離れて、何だか、見知らぬ土地に流れてきたかのような気分にもなる。そして、セガのビルも、この土地に建っている。
ロビーに入ると、いきなりゲームセンターでお馴染の体感ゲームが何台も並んでいる。しかし、それ以外は、実に普通の会社を
思わせる内装。エレベーターを降りると、目の前の廊下にも、ゲーム機が数台置いてある。その置かれ方が、あまりにも素っ気無くて、うっかりすると見過ごしそうになる。
ピンボールの台が並ぶオフィスで、探検隊一同を迎えてくれたのは、元株式会社
セガ・エンタープライズ第三ソフト研究開発部部長、現株式会社ヒットメーカー
社長の小口久雄さん。セガでは、全部で九つある研究開発部を全て子会社として
独立させた。その一つが、このヒットメーカーなのだ。そのあたりの詳しいお話は、後でお聞きするとして、まず、セガという会社について教えてもらう。
「セガは、今はコンピュータを使って、色々な遊びを世の中に提供しているというイメージがあるじゃないですか。でも、
一番最初、当時は、アメリカ資本の会社
だったんですが、進駐軍相手にアメリカのスロットマシーンとかピンボールとかを
輸入して、それをコピーして、セガオリンピアみたいなブランドにして売るという
商売をやってたんですよ。」
名前の由来も、サービスのSE、ゲームのGAで、サービスゲームスを略したものだという。また、海沿いにあるのも、そういう
輸出入を主に行っていたからだそうだ。
それが、現在のようなゲームメーカーへと発展したきっかけは、あのスペースイン
ベーダーのブームだった。遊びやゲームをテーマにしているセガは、このブームを
見逃さず、インベーダーゲームのコピーを作ったのだ。
 ヒットメーカー代表取締役社長 小口さん |
 テーブルを囲んでお話を伺う |
 プロモーションディレクター 笹原さん |
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