「その時にまだ私は学生やってて、セガのインベーダーは偽物だって思ってました。ナゴヤ打ちとかできないんですよ(笑)。それでもセガは儲かったんですよね。それで、徐々にセガはビデオゲームを中心にする事業形態になっていったんです」
その後、セガは、任天堂のファミリーコンピュータと同じころ、「SG1000」などの家庭用ゲーム機を発売。そして、現在の親会社でもあるCSKが資本投下をして、セガは日本の会社になる。
「そこから、独自にビデオゲームの道を歩んできたと。他のメーカーさんと違う
のは、もともとスロットマシーンとかジュークボックスやっていた関係で、いわゆる業務用と呼ばれるやつがどちらかと
いうと事業の中ではメインになっていることですね。最初は、いわゆる、体感ゲーム。といっても、単純にバイクの上にまたがるとか、そんな、仕掛けモノですね。そんな、装置的なものを、ビデオゲームという映像と組み合わせて、その時にセガはガーっと伸びたんですよね。もともとサービスゲームという社名の由来通り、一番根底に流れるのは、遊びの提案なんですよ。」
 | 第三ソフト研究開発部から株式会社ヒットメーカーへ。九つの開発部が全て分社して、シノギを削る |
小口さん率いる旧第三ソフト研究開発部は、これまでにも、話題の「ダービーオーナーズクラブ」や、ポリゴンロボット格闘ゲーム「バーチャロン」、タクシーで爆走する
「クレイジータクシー」など、数多くのヒット作を手がけてきた。「僕の一年先輩の鈴木
裕さん(バーチャファイター、シェンムーなどで有名)は、体感ゲームやって目立ってましたね。僕は、どちらかというと、既に商売として確立していて利益が上がって
いたメダルゲームとか、ビンゴの機械だとか、そんなのやってたの。もともと好きだったからね。それから、30何人引き連れて、
第三開発部の部長になって、でも、パワー不足というのもあって、4、5年、変なものばっかりやってたね。今までの流れの一つのジャンルにくくられたようなものを作りたくないという意思が凄くあったから。
本当にヒットがでてきて、おまえよくやってるなって言われるようになったのが、ここ3年くらいですよ。スタッフが良いから。
ここのところは自分でも、これはいいなと思うものをいっぱい出してる。」
分社して良かったのは、面白そうな企画があれば、すぐに動ける機動力を得たことだという。元々、九つの開発部は、それぞれライバルとして競う仲だし、分社したからといって、これまでと関係が変わるということは無いらしい。お互いに競争しな
がら、ツールや動きのデータなどは、
お互いでやり取りするといった協力関係も続いていく。「お互いに無い物を、
見せ合ったり、もらいあったりして、
刺激を受けるっていうことは、すごい
重要です。もちろん自信があってやってるんですけど、俺らが一番って感じで
やったら、そのうちに周りが見えなく
なってしまう。周りでは、きっと、自分らが考えていないようなことを考えていたり、新しい技術をやってたりとかしますから。ああ、あいつあんなの出した
から俺もやんなきゃとか、そういうのは常にありましたよね。それがなかったら続かないと思う。それと、新しいものが出てこない。自分で飽きちゃう。」
 電脳戦機バーチャロン |
 パワースマッシュ |
 ここからさまざまなゲームが 生まれる |
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