インターネット上には、実にさまざまな情報が流れていて、インターネットの発展とともに、その数は日増しに増えていく。こうした状況を、“新しいメディアの勃興”と見た場合、我々はこの新しいメディアをどう“読む”べきなのか。インターネット上で集めた膨大な情報を元に国際情勢を解説するジャーナリストとして活躍する田中 宇氏へのインタビューを軸に しつつ、インターネットという“メディア”の読み方について、考えてみたい。

田中 宇 (たなか・さかい)氏 / ジャーナリスト 1961年生まれ。東京育ち。

東北大学経済学部卒業後、繊維メーカー勤務を経て、共同通信社に入社。
英文記事を翻訳する部署に配属された折り、日本のメディアによる報道では触れることのできない英文メディアの奥の深さを知り、個人のホームページとして、インターネットでの情報収集も活かした「田中宇の国際ニュース解説:世界はどう動いているか」を開設。これがインターネットによる報道機関を作ろうとしていたマイクロソフト・ネットワーク(MSN)の目に止まり、1997年4月、マイクロソフトに拠点を移し、同年8月「MSNジャーナル」を立ち上げる。このメールマガジンは、2年後の1999年8月、購読者が15万人を突破した。 1999年12月にマイクロソフトを退社し、以後フリーで世界の時事問題を分析し、新聞やTVニュースではわからないニュースの背景を解説する、先述した個人サイトを発展させたメールマガジン「田中宇の国際ニュース解説」の発行を開始。購読者数15万人を超える支持を集める。また今年8月下旬より米国ボストンに移住し、現地での取材も同メールマガジンの執筆に活かしている。今後の抱負は、「読者との交流を増やして、有意義な情報交換を行い、それを記事に活かす」こととの由。


著書に「マンガンぱらだいす」(風媒社)、「神々の崩壊」(風雲舎)がある。
なお「田中宇の国際ニュース解説」の購読申し込みは、http://tanakanews.com/を参照。



インターネット上にはマスメディアが報じるものから、個人が気ままに発信するものまで、玉石混交ともいえる情報が渦を巻いて いる。受け手側として、そうした情報の渦の中からなにを拾い、 何を捨てるべきなのかについて、田中氏の意見を伺ってみよう。


マスメディアと個人メディアの違いとは?

 インターネット上には、いろんなWebサイトやメールマガジンがあって、種々雑多な情報が日々流れているわけです。その中には、放送局や大新聞が流している情報もあれば、私が発行しているメールマガジンのように、個人がひとりで取材して記事を書いているものもある。
 でも、基本的には、マスコミも個人も、同じようなプロセスを経て、情報を流していると思うんですね。むろん個々の発信元を比べれば、取材力の違い、情報ソースの多寡、集めた情報からテーマに沿ったストーリーを紡ぎ出す力の差というのはあるわけですが、だからといって発信元がマスコミだから正しい、個人だから片寄った見解で情報量の欠如を勝手な想像力で補っていて信用できない、という「絶対的な判断基準」は成り立たないはずです。


日本の情報発信、欧米の情報発信

 とはいえ、事情は日本の場合と、英語圏の場合とでは異なります。
 というのは、日本だと、たとえばいわゆる大新聞といわれるメディアの記事は、どれを読んでもほとんど同じわけです。朝日新聞だと誰が書いても「朝日人」の記事だし、他のメディアの報道を見ても、その記事を書いた記者個人の見解はほとんど感じられない。
 一方英語圏だと、その記事が載ったメディアがメジャーなものであっても、その記事を書いた記者が取材を通じて感じ考えた個人の視点が 活かされていることが多い。仮にひとつのテーマについて、30人の記者が記事を書いていたとすると、そこには30通りの視点がある。従って、 その内の誰かが著しく片寄った記事を書いていたり、あるいは何かを隠匿しようとしたと しても、30本の記事を比較しながら目を 通せば、そのテーマの背後にある状況って いうのはかなり透けて見えて来るんです。



インターネット上の情報の山は確かに玉石混淆だが、大事なのはその玉と石の山から唯一の答を掘り出すことではなく、多くの玉と石を眺め渡して自分なりの 答を考えることだ。そうしてこそ、さまざまな情報が流れるインターネットという存在の意義が、生きてくる。

インターネットは種々雑多な情報の山

 先月号の特集「ユーザの“心”を反映し、変容するインターネット」では、インターネットという情報流通/コミュニケーションのためのツールが、それを使う無数のユーザの“心”のあり様を 反映し、変容、発達して行くという話が述べられていた。インターネットは、決して限られた技術者、スペシャリスト達だけの手によって作り上げられて行くものではなく、それを利用する個々のユーザの発言、表現によって、その姿を変えて行くというわけだ。
 そして、そこには確固たるルールのようなものはない。むろん、我々が暮らす社会と同じく、インターネットにも法律は適用されるし、また暗黙の裡に守られる慣習もありはするが、それは往々にして破られ、あるいは無視される。というか、沿うべきガイドラインの柔弱さは、インターネットの世界は我々が暮らす社会に比べ、より大きい。喧嘩に なったからといって切られて血を流すこともない、匿名性が確保されやすいなどといった点は、 インターネットのひとつの特性として前号の特集でも述べられていたが、こうしたインターネットの特性は、不用意な情報発信、無神経な発言を、 面と向かって話す、あるいは発言元が明らかである場合と比べて、実に促しやすい。またあるいは、マスコミなど多くの情報とそれを的確に発信するノウハウを持つ者も多くインターネットに参画しているが、既に持つメディア(紙媒体だったり放送媒体だったりするわけだが)の利益を守るためだろうが、インターネットの他の特性、たとえば双方向性や即時性、共時性、検索性などを最大限に活かした情報提供を行っているとはいい難い。
 ただ一方では、気軽に発行できるメディアというインターネットのもうひとつの特性を活かして、世の中に有用な情報を提供する動きも、むろん決してないわけではない。また主に欧米の話にはなってしまうが、報道機関や研究機関の中には、既存メディアで報じた記事の全文をインターネットで流したり、種々の研究成果をインターネットで発表したりといったケースも、少なくはないのだ。



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