『2001年宇宙の旅』
スタンリー・キューブリック&アーサー・C・クラーク、MGM



『2001年』は誰が作ったのか?

 「2001年を作ったのは?」――そんなの愚問だ。キューブリックに決まってる。天才で偏屈で超がつくほど完璧主義の監督あってこそ、あの大作は実現したんだ。
 ちょっと待ってくれ、アーサー・C・クラークがいなくちゃ始まらない。SFの大家で科学者でビジョナリスト。彼のおかげで、科学的考証のしっかりした(つまりギョロ目のエイリアンやグラマー美人が出てくる宇宙西部劇ではない)本物のSF映画が生まれたんだ。
 どちらの意見もごもっとも。実際『2001年』はキューブリックとクラークの共同作業から生まれた。しかしあの映像世界を構築したプロダクション・デザイナーは誰か、と問われると即座に答えは出てこないだろう。『エイリアン』には、信じられないほど醜悪な異星人を創造したギーガーがいる。『ブレードランナー』の退廃美あふれる未来都市をデザインしたのはシド・ミードだ。じゃあ『2001年』の宇宙ステーションに置かれたグラマラスなソファをデザインしたのは?
スチュワーデスの制服は?テレビ電話や数々のコンソール、そして宇宙船そのものは誰がデザインしたの?
 恐らくこうした問いに答えにくいのは『2001年』が特定の“個性あふれるアーティスト”によって視覚化された作品ではないからだろう。むしろ“匿名的なエンジニア集団の夢見た未来像”に近い。
 制作が始まって間もない1965年1月、構想を温めていたクラークは航空宇宙学会に出席するためNYに来ていた二人の宇宙産業コンサルタントに出会う。結局『2001年』の宇宙船建造に引っぱり込まれることになるこの二人――ハリー・ラングとフレデリック・オルドウェイは、もともと“本物の宇宙船”の専門家だった。その後大量動員されたデザイナーや製図家、技術者でふくれ上がった美術部門をとりまとめ自らも腕をふるったのはトニー・マスターズ。伝説となった特撮部隊の長はダグラス・トランブル(インダストリアル・ライト・アンド・マジック社は、彼の弟子たちによって運営されている)。そして優雅に回転する宇宙ステーションを提案したのは“ロケット工学の父”ヴェルナー・フォン・ブラウン!
『2001年』をより一層もっともらしく見せているのは、実在する企業のロゴマークだろう。パンナム、ベル電話会社、ヒルトン、IBM……いくつかの企業は20世紀中に倒産したり分割されて形が変わってしまったが。NASAはもちろんのこと、ボーイング、ジェネラル・エレクトリック、グラマンなどの巨大企業、そして名の知れた大学が膨大な資料を提供している。たかが映画1本に産学共同の巨大プロジェクトが立ち上がった。これでは、ほとんどNASAと変わらない。折しもアポロ計画真っ只中の1960年代半ば。『2001年』制作チームは、もう一つの(仮想世界の)NASAだったのだ。

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