だから、手本が全くなくなったわけではなくて、手本のバラエティが増えたと考えるべきではないかと思いますね。

 また、人間は手本を真似るとき、手本の示す行動を丸ごと真似るのではなくて、実はその背後にある原理原則を真似ているんです。これは、アルバート・バンデューラという学者が見つけたことなんだけど、英語圏の子供が言葉を覚えるときに、『eat』という不規則動詞の活用に規則動詞の活用を当てはめて、『I eated it.』ということがあるというんですね。これなどは非常にいい例だと思うんですが、とにかく人間は、中には形だけ真似るということもあるかもしれないけど、少なくとも原理原則を学ぶことが可能であるとはいえる。

 新しい時代に対応する、ということでいえば、時代の変化というのは何も現在のIT革命だけじゃないわけですからね。過去にも大きな時代の変化というのはあって、そこで成功した人達がどんな考え方を持ってその変化を乗り切ったかは、書物だけでも無数あるわけだから、そこから原理原則学ぶことができるわけです。しかも、広い視線で眺めてみれば、今いる会社の上司だけじゃなくて、手本のバリエー ションも無数にある。それこそシェークスピアなどの古典もあれば、あるいはいとうせいこうさんのようなコンテンポラリーの、情報の問題に詳しい人の著作もあるわけで。複数の手本、モデルがあるということに意識的に なって、さらにそこから原理原則を 学ぶ。そしてそれを自分なりの方法でブレンドして、生き方、仕事の仕方などを考えて行けば、もっと自分の人生に対して手応えを感じられるようになるのではないかと思いますね」

キーワードは“自分探し”

 とはいえ、では具体的に、自分はどんな仕事を、どのような方法でして行ったらいいのかと考えた場合、現在は選択肢の幅が多過ぎて、途方に暮れるということもあるのではないか。そもそも仕事とは、第一義的には“収入を得る”手段ではあるけれども、他方“自己実現”のための手段でもある。

 というか、“自己実現”という側面を考えて行かないと、なかなかひとつの仕事を長期的に(人生の大半の時間を費やして)続けることは難しい。夢を持って仕事に就いても、5年10年と続けるうちに最初の夢を見失って、次第に収入を得るためだけに惰性で働くようになったり、ほかに面白そうな仕事があって、今の仕事から移りたいとは思うが今ひとつ踏ん切りがつかず、もやもやとした日々を送っているということもあるだろう。特に、会社に入るだけが道ではなく、自分の力で起業したり、あるいはコンピュータやネットワークインフラの発達に伴い個人や小さな組織でもケースバイケースで協力して、大組織に負けない大きな仕事ができる可能性も増えてきた時代にあっては、これから“仕事”とどうやって関わって行ったらいいかを 悩む、30代、40代も少なくないのではなかろうか。

 その辺の話は、実は金井氏の「ニューウェーブ・マネジメント」「中年力マネジメント」という著作に詳しいのだが、改めてお話を伺ってみたい。



「まず“自己実現”ということに関していえば、これは“自分探し”ということと密接に関わっている。自分が何者であるかを知らなければ、何をどう実現したらいいかわからないわけですから。

 そこで“自分を知る”というと、今度はなにか、ものすごい哲学的な話のように思ってしまうかもしれない。でも、たとえばデカルトの有名な『我思う、故に我あり』という言葉があるけれども、これはラテン語の『Cogito, ergo sum』を昔の日本人が訳しただけであって、英語の教科書を見れば『I think, therfore I am.』っていう、実に当たり前な言葉で書いてある。要するに『わたしは考える。だからわたしは存在する』という、実に素直な命題なんです。

 それに、たとえば仕事で活き活きしているときとか、あるいは仕事では冴えないけど誰かと会ってなにかをしているときはすごい面白いとか、生活に変化が生じてものすごく迷ったときとか、まあなんでもいいんですけど、そういう感情が大きく動くときって、全部“自分探し”とつながっていると思うんですよね。有名な話で、ペプシコーラの経営に携わっていたジョン・スカリーが、Appleのスティーブ・ジョブズに『子供に砂糖水を売って残りの人生を過ごすのか、それとも世界を変えるようなマシンを売りたくはないか』って口説かれてAppleに入ったっていうのがあるけれど、まあスカリーのその後の話は別にして、ある程度キャリアを積んで成功してから、改めてほかにもっと自分らしい生き方があるんじゃ ないかって思うのは、全然不自然なことではない。もやもやしているって いうのは、ひょっとしたらその“自分探し”を意識的に行ってないだけかもしれないけど、意識的に考えるように努力すれば、かなり明確な答が見えてくるのではないかと思いますね。

 あと、本当に好きなことを仕事にするべきか、しないべきかという問題もあって、たとえばジャズ・ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんは神戸出身で、そうした世界的なミュージシャンが里帰りして神戸のライブハウスに出られるとき、よくこの辺の大学の学生で軽音楽部なんかに入っているやつに冗談めかしていうんですけど、プロになって自分のように成功するのは非常に難しいと。東京に出たりニューヨークに行ったりしても、うまくいかなかった人はごまんといるわけだから、音楽が好きだったらどこかの会社に入って、仕事は仕事でこなしながら、趣味で思いっ切りギター弾いてたら いいじゃない? って思う人がいてもそれを責められない(笑)。

 まあそれも一理あるけれど、本当に音楽好きだったら、ミュージシャンになるだけじゃなくて楽器メーカーに行くとか、道はいろいろありますよね。本当に音楽好きな人が、情熱を持っていい楽器を作ったほうが、本人のためにも社会のためにもいいわけで。そもそも人生に於ける仕事に割く時間のウェイトを考えたら、仕事以外で自分を探せっていわれても困りますよね。むろん、趣味の分野でも自分を追求することはできるけど、だからといって仕事は単に収入を得るだけの手段でいいかといえば、本当にその仕事が 嫌だったり、疑問を感じているのであれば、決していい方向には向かないように思いますね」


“フロー経験”を体験するまで とことんやってみること

 しかし、現実を考えると、必ずしも就きたい仕事に就けるとも限らないし、やりたいと思って選んだ仕事でも、実際には創造性や喜びを見出せないという場合もあるのではないだろうか?


「その点は、キャリアの研究をしていると確かに理想論とか、綺麗事にはなりがちなところはあります。でも、“最低必要努力レベル”っていうことは、考えてもいいんじゃないかなと思います。

 たとえば“フロー経験”という言葉を、認知心理学者のM.チクセントミハイが提唱しているんですが、これは“我を忘れて対象と一体となっていながらも、それをコントロールしているのは自分だ”という、流れるような体験なんですね。音楽でもスポーツでもなんでもいいですけど、たとえばわたしが調査したところでは、学生がアルバイトでレジ打ちをやってて、そうした体験をしたことがあるという。ちょっと不謹慎な喩えだけど、セックスしていていっちゃった、みたいなね。



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