■半蔵門ギャラリー店内写真



 そもそも石嶋夫妻は、自分の店を構える前から、趣味として骨董を愛好していた。きっかけは、通訳として働いていた美恵子氏が外国人観光客のガイドとして日本の骨董店巡りをしたことだというが、きっかけはともかく、歳を重ねるにつれ古いものを愛でるようになるというのは、それほど珍しいことではないだろう。石嶋氏も、「最初は多くの骨董愛好初心者の例に漏れず、 ぱっと見てきれいなもの、たとえば白地に青い染め付けのある器だとか、そういう類いのものに惹かれましたね」という。そして、夫婦揃って 新しい仕事を始めようとする中で、お互いが 好きなものを仕事上の小道具などに使うことも、特に店を開くという話の流れの中では、まあ“よくある物語”といってもよい。  しかし、その趣味の骨董を、自分の喫茶店のインテリアや食器として使うだけでなく、 “商品”として扱う、すなわち骨董店を開くとなると、また話は別だ。とりわけ骨董のような、国、時代、分野の幅広い品ともなると、大学や博物館の研究者にも勝るとも劣らぬ知識、探究心、そして仕入れも含めた情報のネットワークが必要になる。  だが、石嶋夫妻は、実際に“骨董のある 喫茶店”を、骨董店に変身させてしまった。 喫茶店を開いてから、ちょうど4年目のことだ。  「最初は骨董品の販売ではなく、展示が目的だったんです。ちょうど店の二階のスペースが空いて、じゃあそこも借りてギャラリーにしようということで。それで喫茶店の傍ら、何度か展示会をやっているうちに、どちらか一方だけに力を注いだほうがいいだろうと思い始めて、で、思い切って前から好きだった骨董を扱う店に 鞍替えしたというわけです」と、石嶋氏。いくら趣味が高じてとはいえ、実際に商品と して骨董を扱うに当っては、相当な勉強を積んだはずだ。  ところが石嶋氏は、「いや、僕は元々勉強はきらいなんで、そんなに意識して勉強した、ということはないですね」と笑う。ただ、「いろんな店を回って骨董を買っていると、特に心惹かれるものに関しては、これは一体いつの時代、なんのために使われていたものだろう? という疑問は湧きますから、それを一所懸命調べる、ということはもちろんしました。だから、今骨董店をやっていて役に立っている知識はそう やって自然に身に着いたものでしょうね」。

 そして、そうした態度こそが、骨董を楽しむ最も好ましい方法ではないかと、石嶋氏は語る。「たとえば、骨董にはもちろん“ブランド信仰”のようなものがあります。古伊万里だったら なんでもいい、あるいは信楽だったらなんでもいいというような。もちろん、それはそれで 骨董の楽しみ方、集め方のひとつではありますけど、でも、本当は自分の目と感性を信じて、自分が本当にいいと思ったら買う。そして 買ったら、その品についてじっくり調べ、 じっくり考える。そうしてゆっくり時間をかけながら、骨董のよさを味わっていくほうが、 人から聞いたり本に書いてある知識を頼って 骨董を集めるよりも、骨董というものを理解できる。ひいては本当に心から楽しめるように なるのではないかと思うんですね」。  実際、半蔵門ギャラリーでも、商品の柱としては石嶋氏が好きな初期伊万里のものや古窯で焼いた信楽の器、あるいは仏教美術の小品などが中心だが、そうしたブランド、権威だけにこだわらず、分野や骨董的価値を問わず石嶋氏が“これは面白い”と思ったものも、積極的に 扱っているという。  石嶋氏いわく、「骨董の魅力はいろいろありますが、わたしはその中でも特に、“ものの 持つ緊張感”というものに惹かれるんですね」。それはどういうことかと問うと、事務所に置いてある壷を指して、次のように石嶋氏は答えた。「この壷は昔の人が種を保存するのに使って いたものですが、この壷で保存すると、不思議と種は腐らないし、カビない。種はその時代にこの壷を使っていた人たちにとっては最も大事なものだったでしょうから、それだけこの壷に対する思いが強かったわけです。そうしたものをひとつ部屋に置くと、その周りの空間が ぴしっと締る。それを今、“ものの持つ緊張感”といったわけですが、そうした“ものの持つ 緊張感”を感じ取る感性というのは、やはり カタログ的に得た知識からは生まれないで しょう」。やはり、自分がいいと思ったものに ついて、じゃあどんなところに惹かれるのか、を考え、だったら何故そこに魅力を感じるのか、その源泉を調べる。そうしてこそ、背景に持つ物語の濃い骨董というものの、奥の深い味わいを楽しめるというわけだ。