私は280年ほど続く酒造家の生まれで、小さいときから酒蔵を遊び場にするなど、ずっと酒の中で生活してきたんです。例えば酒造用の米を蒸すために蔵の大釜で湯を沸かすんだけど、この湯を捨てるのがもったいないといって風呂の湯に使う。ところが、この湯で酒造りの道具まで洗うものだから、風呂の湯も酒臭いわけですよ。だから私の産湯(うぶゆ)は酒臭い湯でしたし、お食い初めも酒のもろみ、その上、子どものときから酒かすまで食べて酔っ払ってましたね(笑)。
昔から食べることにとても関心があって、中学時代についたあだ名が「食糧事務所」。食糧事務所って国が食品を備蓄していたところのことなんだけど、そう呼ばれるくらい鞄の中は食料品ばっかりで、鯨の干した肉とか魚肉ソーセージ、コッペパンやらマヨネーズなどをとにかくいっぱい入れてました(笑)。マヨネーズは登校途中によその畑でトマトやキュウリといった野菜を勝手にとって食べる時に使うんですよ。そういう実にのんびりした環境で育ちました。
大学では実家が酒造家なので迷わず醸造学を専攻。研究室で自分で作った酒を飲んでましたので「走る酒ツボ」とか呼ばれてた。
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さらに当時は「いくら食っても大丈夫」というので「鋼(はがね)の胃袋」っていうあだ名もあった(笑)。
様々なあだ名遍歴のなか、やっと落ち着いたあだ名が今の「味覚人飛行物体」。さらに私に蟹を食べさせたら「ムサボリビッチカニスキー」っていうロシア風の名前にもなれる(笑)。蟹を食べるのが上手くて早いんですよ、私は。
学生時代は植村直巳さんに憧れて冒険家になりたかったけど、植村さんのような根性も精神力も体力なかったので、楽して嬉しい冒険家はないものかと考えて思いついたのが「食の冒険家」になること(笑)。これが今の自分の活動の原点かもしれないですね。
というわけで、今の私には7つの肩書きがある。まず「大学教授」、「エッセイスト」「作家」、つまり小説家。それと、廃棄する魚のはらわたから魚醤を作ったり、カボチャを原料に黄色い砂糖を作るなどの技術で現在26件の特許をとっている「発明家」。さらに「民族学者」「食の冒険家」、そして「造り酒屋のおやじ」(笑)。本当に人生楽しんでいますよね。
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