_まず、木村さんとエリックカイザーのパンとの出会いの
  経緯から教えてください。


 私の実家は東京の中央区でパン屋を営んでいるのですが、私自身はパンに関わることなく大学卒業後も7年ほど生命保険会社で法人営業を担当していました。 父には「店を手伝って欲しい」とは言われていたのですが、当時の私はまさに「ノッてる営業」(笑)。 仕事が順調で、パン屋になる気はなかったんです。それが父に「もう待てない」と、半ば強引に仕事を辞めさせられまして(笑)。
 パンについて学ぶために、まず祖父も父も学んだアメリカの「American Institute of Baking」という研究所で半年ほど、 化学の見地からパンの解析・研究をしました。ここは世界各国から受講生が集まる研究所で、カリキュラムも多彩で、かつ内容も厳しかったですね。 その後、ニューヨークの有名ベーカリー「Amy's Bread」で働き、計2年ほどアメリカでパンの勉強をしました。
 そしてフランスに渡り、エリックカイザーのもとで1年ほど仕事をし、さらに彼がコンサルタントをしていたイスラエルのパン屋で働きました。 イスラエルは、民族が多様な分、料理も実に幅が広く、パンもいろいろな種類があって、本当に勉強になりました。 
 その後日本に戻ってからは、エリックカイザーのパンを焼く器具のデモンストレーションの仕事をしていましたが、 今年7月にエリックカイザー日本初出店ということで、当店のオープンにこぎつけることができました。
 いろんな国を回っていくうちに、結局同じパン作りという仕事でも父の「日本風のパン」とは異なる道を歩んでいくことになりましたが、 父も元気で実家のパン屋を続けていますし、これで良かったと思います。

_エリックカイザーのパンと日本のパンとの違いは
  何ですか。


 日本にパンが伝わったのは安土桃山時代。でもその後の鎖国で一旦パン文化は廃れてしまい、 再び日本でパンが登場するのは江戸時代、長崎の出島などでパンが作られるようになってからなんです。 その後、日本のパンは酒麹で膨らませた生地に和菓子職人があんを詰めて作った「アンパン」が広まり、 そしてさらに軍用食としての「乾パン」「食パン」文化が生まれました。 つまり日本のパンは「菓子パン・食パン」という方面からのアプローチで発展しているのです。
 対して、エリックカイザーのパンはバケットや、生地にクルミやオリーブを入れてもちっと焼き上げたパンなどが中心で、 日本のパン屋にならどこにもあるような菓子パンはありません。日本人はパン好きが多いのですが、菓子パンに目がいってしまいがちなので、 当店のようなフランスのパン屋のような品揃えで店を作るのは一種の賭けのようなところもありますね。 開店当初はやはり「バターロールはないのか?」などときかれることもありましたが、最近はこの店の特徴をよく理解して頂けるようになってきました。