「書は何秒という単位から、
 せいぜい何分という単位で
 でき上がる芸術なんです」
 ----祥洲さん/Shoshu
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 ____書家としてはもちろん、写真やMacを使った書と写真の融合作品なども手掛けられる祥洲さんですが、それらは祥洲さん自身の中で、どのように位置づけられているのでしょう。

 どの表現もひとつの流れの中にあって、基本的にはモノクロームにこだわっています。墨の美、黒というのは総ての色の原点という気がするんです。ですから僕は、墨も煤から自分で作るんですよ。墨作りは完全な手作業で、鼻の穴まで真っ黒になって墨をこねていくんですが、コネ方など微妙な加減の中で墨は変幻自在に変化していくんです。
 書道では濃淡とか、にじみとかすれ、といった2次元的な捉え方をするんですが、私は墨作りの中で生まれる黒の奥行き、厚み、あるいは陰影など、墨そのものが作ってくれるニュアンスを作品の中に出していたんです。ずっとね。写真は十代の頃から、独学で好きにやってました。しかし墨で陰影の世界、奥行き、空間、3次元的な表現をしたくなった時に、その感性をもっと磨くことはできないかと考え、書と写真に一致点が出てきたんです。絵や彫刻は一つを作るのにものすごい時間がかかるんですが、書は何秒という単位から、せいぜい何分という単位ででき上がる芸術です。短い間に生まれ出る芸術というのは、たとえばパフォーマンスなんかもそうなんだけど、僕のなかでは、同じように瞬間の感性でできるものとして写真があったんです。そういう一致点もあって、写真で感じる光と影が書の中の陰影とすごく重なってきたんです。
 最終的には写真で表現したことを書へフィードバックしたい、あくまでも突き詰めたいのは墨の芸術なんです。でも片手間でやっているというわけではありません。両方同次元でやっていく中で、お互いに感じあえるものがあるような気がしています。

____その流れの中で、Macとはどのようにして出会われたのですか?

 昔から小さな冊子を出してるんですが、前はそれを写真から製版から文字から、全部印刷屋さんに頼んでいたんです。それを一人で毎月出すのは大変だと思っていたときに「Macを使えば自分でできるで」って友人から聞いて。それでPerformer5440、黒パフォーマですね、あれを買いました。電源の入れ方もわからない段階から4ヵ月後には本の版下を作れるところまできました。ただしその4ヶ月は1日中Macを触って、それが仕事でした。早く使えるようになろうと思って。それからMacにとり付かれてしまったんですけどね。ただその時は表現にMacを使おうという気は無かったんです。今ネットで出している作品も、Macで加工した書は1点もないんですよ。写真もフィルター類は使いません。Macは暗室の代わりという発想で使っています。最初はPhotoshopのテクニック解説本なんかを買って、色々やってたんですけど、結局今までアナログでやっていた作業をMacに置き換えることで、例えば現像やプリント作業のやり直しが利くという部分が便利で使うようになりました。

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