東京・赤坂から渋谷方面に青山通りを下って地下鉄で一駅め、青山一丁目駅から青山通りを一本裏手に 入ったところに、ブッククラブ回がある。店のプロモーション映像が流れるiMacがディスプレイされた
ウィンドウを眺めつつ、入り口を入ると、地下の店内に続く階段から店内へと書棚が連なり、さまざまな 分野、手法、形式の本が、一般的な書店で見られる分類の仕切りもなく、またベストセラーの賑やかな平積みなどもなく、一見雑然とした感じで並べられている。しかしよく棚を眺めていくと、
人間の心に関する本、身体に関する本、宗教に関する本、時間に関する本、神秘に関する本、芸術に関する本、科学に関する本、不思議に関する本などなど……が、微妙な知のグラデーションを
描きながらひしめき合っているのに気付く。
そして棚に並んだ本は、いずれも読めばなにかを深く考えさせられるような佇まいだ。 店の奥にはCDやお茶のパッケージが並ぶ棚もあり、また洋書の棚もある。あるいは店内に設けられた椅子ではひとりのお客が、椅子にゆったり座り店の本をじっくり吟味していたり、さらに奥にはちょっとした
テラススペースがあって一服できたり、重厚な中国清時代の鉄製門がディスプレイされていたりなど、さして広くはない店内で時間を過ごすほどに、ここ独特の空気感が次第に色濃く感じられてくる。
ある種秘密の読書クラブめいた、しかし明るくオープンな雰囲気もある、ブッククラブ回とはどんな店なのだろうか。
____まずお伺いしたいのは、ブッククラブ回のいう「人間を知るための本」とはどういうものか、という点です。
本とはそもそも、人間というものを知る、洞察したり解釈したり理解するためのものではないかと思うのですが、その辺も含めて、どんな発想でブッククラブ回という店を作ろうと思ったのかを、お聞かせいただけますか?
おっしゃる通りで、言葉によって知識や考えが書かれた本というメディアは、分野を問わずほとんどすべて「人間を知る」ためのものだと思います。それは哲学や思想、心理学といった個人の内側に入っていくものでも、社会学や科学や経済学など
人間の外側を考察するものでも、同じだと考えています。
ただ、ブッククラブ回は1989年の3月にオープンしたんですが、開店した当時は、従来からある世間に認められた哲学や 思想、心理学、宗教といった分野では語られない部分を語る、いわゆる「精神世界」という言葉でくくられる分野が出て来て、そうした本がだんだん求められ、読まれるようになってきた。でも、精神世界という分野はどちらかというとメジャーな
文脈からは外れた、閉鎖的な世界だと捉えられがちでしたし、実際、ひとりのリーダーの回りに閉じたコミュニティが作られて行くという状況も多々あったわけです。
でも、人間をもっと深く知るためには、やはり広い視点が必要ですから、分野や、あるいはメジャー、マイナーというレッテルで本が選ばれるべきではないのではないか、というのが、いってみれば出発点ですね。だから、あらゆる本の中からニュートラルな視点で、埋もれた良書も含めて「人間を知るための本」を選び、オープンに並べて読者に選んでもらおう、というのが開店のきっかけですし、今でも基本的には同じ考え方です。
____書棚に明確な分類の仕切りがなかったり、相反する意見や思想が述べられた本が並んでいたりするのも、そうした観点から?
そうですね。分野とか世間の一般的な評価とかパターン認識とか、そうした固定観念を外して行きたいというのも、この店がやりたいことのひとつですし。
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