『巨大な植木鉢』

柴田智之さん
 横浜国際総合競技場
 グリーンキーパー

横浜郊外の遊水地に、人工地盤を作って建設された横浜国際総合競技場。
そのフィ−ルドの芝は、高温多湿の日本の風土で、一年を通じて美しい緑を維持するために、世界でも例を見ない高度な技術が駆使されている。
世界一のヨコハマの芝を作り上げたグリーンキーパー、柴田智之さんにお話を伺った。

柴田智之さんプロフィール

37歳。東京農大卒業後、茨城の大手のゴルフ場に就職、コースの芝管理を受け持ち、芝の面白さを知る。5年前、横浜国際総合競技場を運営する事業団に転職、スタジアムの芝を育成から管理まで、すべて当初から手がける。国内の芝刈り機の刃幅を、それまでの1,5mから現在の4mに定着させるなど、新しい提案と研究を次々に行ってきた。

「日本の芝管理は世界一」
W杯支えるプロフェッショナル

 地上12mに浮かぶ、巨大な植木鉢を想像できるだろうか。収容人員、72,370万人の、途方もないサイズのプランターだ。
 底はコンクリートの床で、その上に20cmの厚さで荒い石が敷き詰められている。その上には15cmのやや細かい石の層。さらにその上にまた15cmの砂利が敷き詰められ、最上層は厳選された砂が30cm。
 そして地表には、丹念に養生された緑の芝が茂っている。ある日、その上を、鋭いスパイクの群れが走り、すべり、蹴り、芝を傷つけ、痛めつける。
 しかしどんな酷使にあっても、この巨大植木鉢は芝を枯らすことは許されない。永遠の緑。しかも、コンディション抜群の。
 6月30日。サッカー・ワールドカップの決勝が行われる横浜国際総合競技場とは、そういう場所なのである。
 そしてこの巨大植木鉢の芝を管理し、守り、育てているプロフェッショナルがいる。通称「グリーンキーパー」と呼ばれる、芝の専門家だ。彼らは、グランドコンディションのすべてを統括し、責任を持つ。
 柴田智之さん(37歳)。横浜国際総合競技場のグリーンキーパーだ。同競技場の芝を、最初から育て上げてきた。
「芝と言うのは、もともと日本にも自生していました。ゴルフ場なんかに使われている、高麗芝というのがそれ。ただ、高麗芝は夏芝なんです。だから、1年中は緑を維持できない」
 夏芝というのは、文字通り夏場に成長する種類だ。秋には枯れてしまう。冬の間は休眠し、春にまた芽吹く。
 お正月に行われるサッカーの天皇杯で、かつては茶色い土の上をサッカーボールが転がるシーンをよく目にした。あれは、夏芝が枯れた状態だったのだ。
 では、冬の間はどうするか。冬に成長する「冬芝」を生やす。冬芝は単年草だ。毎年種をまく。秋口に芽を出し、冬の間、緑に茂る。そして、6月ごろに枯れる。
「ワールドカップ決勝が行われる6月30日というのは、ちょうど冬芝が枯れて夏芝に切り替わる時期。冬芝がいつまでも元気だと、夏芝の芽が出て来ない。だから今は、冬芝を短めに刈りこんで、夏芝の芽に太陽があたるようにしています。今で、15mmくらい。ただ、あまり早くに冬芝を整理してしまうと、夏芝の発育が間に合わない可能性もある。逆に、夏芝のための肥料を冬芝が吸収してしまい、夏芝が育たないこともあります。難しいですよ」
 芝は生きている。毎年の天候。春先からの気温や降水量。さらには湿気。排水。そういった条件で、夏芝、冬芝の生育状態は日々刻々と変わっている。それらを完全に把握した上で、常に最高のコンディションを維持して行かなければならない。柴田さん達「グリーンキーパー」の責任は、とてつもなく重く大きい。
 失敗も繰り返してきた。そして現在、横浜国際総合競技場の芝は、世界一だと評価されている。

W杯が終わってからも続く
永遠の緑を求める闘い

 農大を卒業後、大手のゴルフ場に就職。希望はゴルフコースの設計だったが、配属されたのはコース管理部。そこで初めて、芝に接することになる。当初は戸惑ったが、次第に「育て、作る面白さ」に目覚めた。97年、横浜国際総合競技場を運営する事業団に転職。競技場を建設するところから、グランドの芝に関わった。
 ただ、一口に芝と言っても、ゴルフ場とサッカーグランドではそのありようは天と地ほども違う。
「ゴルフ場の芝は、徹底して守られている芝。走ったら怒られるし、穴が開いたらすぐに砂を入れるし。対して競技場の芝は、戦っている芝なんです。大会が始まってしまったら、練習、試合の繰り返しで、補修もできない」
 それで、もしグランド状態に不具合が生じたら、文句はグリーンキーパーに向けられる。
 競技場の芝は、どうあるべきなのか。研究を重ねた。ヨーロッパのグランドにも、視察に行った。しかし、あまり参考にはならかったと言う。
「向こうは結局、冬芝なんです。緯度が高いですからね。それに雨が少なく水が貴重なので、保水性重視なんです。5月に行われた、日本とレアルマドリッドの試合、見ましたか。水溜りだらけでグジャグジャで、ひどかったでしょう。でも、彼らあれでいいんですよ。ずっとああいう環境でやってきたんだから」
 雨が多く湿度の高い日本では、ヨーロッパとは違って水はけが重要になる。いつまでも水が溜まっているようでは、根が腐るし、雑菌も発生するからだ。
 横浜国際総合競技場は、新横浜駅近くの遊水池の上に作られている。競技場の下は、巨大な水がめだ。グランド表面に降った雨は、砂・砂利・小石の層を通って、そのまま遊水池に落ちて行く。人工地盤は水はけの問題を解消したが、べつの問題が生まれた。自然の地盤と違って、地温が一定しないのだ。そのため、砂の層に温水パイプを埋め込んである。総延長、16km。細かく区切られ、コンピュータによる温度管理が行われる。
 その砂にもこだわりがある。現在、競技場に多く使用されているのは、千葉の君津産の砂。少しゴツゴツしている。かみ合いながら、落ち着くといわれているのだが。
「僕は、そんなにいい砂だとは思わないんですよ。僕の考えている粒形(りゅうけい)より、ちょっと細かいんですよね。しまりすぎるというか、ちょっと硬い」
と柴田さんは言う。しかし柴田さんのこういった芝に寄せるこだわりは、ただそれが仕事だからということだけではなく、芝に対して特別な気持ちがあるからなのだ。柴田さん自身はそれを「芝に対する、愛情です」と表現していた。技術ももちろんだが、相手が生き物であるがゆえ、愛情を込めて育てることが一番大事なことなのだ。

 W杯日韓共同開催により、柴田さん達グリーンキーパーに、にわかに光があたっている。この日も、午前中に別の取材を済ませ、リンククラブの次にももう1本。6月30日の決勝が終わるまでは、こんな調子が続くのだろう。
 しかし、W杯が終わってからも、柴田さん達の静かな闘いの日々は終わることがない。夏が過ぎれば冬芝への転換。そして来年の春、また夏芝の芽を育てなければならない。それは永遠の緑を維持するための、終わりのない闘いなのだ。

text by : 石上 耕平



横浜国際総合競技場

http://www.city.yokohama.jp/me/sports/intoro_3.html
W杯決勝戦の会場となる横浜国際総合競技場ホームページ。競技場の各種案内、併設するレジャープールやスポーツ医科学センターの情報、またW杯情報や競技結果などを掲載

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