村松亮太郎さん /Ryotaro Muramastu 村松亮太郎さん /Ryotaro Muramastu
1946年東京生まれ。日本人としてはじめて米「LIFE」誌の表紙を飾った名カメラマン、名取洋之助氏を父親に持つ。16歳のとき渡独し商業デザインを学んだのち、日本で雑誌編集や広告制作に携わるほか、日本とヨーロッパを拠点にデザインや撮影コーディネートなど、さまざまな分野で活動する。一旦東京・六本木に西洋骨董店を開いたのち、1999年にはタイに渡り、現職であるHIV感染孤児の受け入れ施設「キッズアースホーム タイランド」(現バーンロムサイ)の代表に就任
ban rom saiホームページ Children’s Home BAN ROM SAI
http://www.banromsai.gr.jp/

わたくし自身は、あの子たちが死ぬ運命にあるとは思っていません

HIV感染とAIDSの問題は、ひところに比べるとメディアを賑わせることが少なくなったが、依然患者は増加傾向にあり、また治療や保護に関する情報も少ないだけに、深刻な問題だ。その中で、特に重く捉えなければならないHIV感染孤児の問題に、「バーンロムサイ」という施設の代表として深く携わっているのが、本稿で紹介する名取美和氏。タイ・チェンマイ郊外にある施設「バーンロムサイ」での名取さんや子供たちの暮らしぶりを軸に、お話を伺った。


tree 気がついたらバーンロムサイで
孤児たちの「母親」になっていた

 チェンマイは、タイの首都バンコクから北に約700kmのところにある、コンビニエンスストアやデパート、ファーストフード店なども揃う都会だが、その郊外ハンドンに、バーンロムサイはある。
 タイ語で「ガジュマルの木陰の家」という意味を持つこのバーンロムサイは、AIDSによって親を亡くし、また自分たちも母子感染によりHIVキャリアとなった子供たちのための施設だ。バーンロムサイには現在26人の感染孤児がおり、ケア・スタッフを交えた共同生活を営んでいる。
 バーンロムサイは、そもそもファッションデザイナーのジョルジュ・アルマーニ氏が発意した子供地球基金への「AIDS患者救済のために」という趣旨の寄付がきっかけで、設立された施設だ。HIV感染者/AIDS患者の中で最も弱き者といえば、自らの責任ではなく母子感染でHIVキャリアとならざるを得ず、しかも孤児となってしまった子供達だが、バーンロムサイはそうした孤児たちが安心して勉強し、成長できる「家」として機能すべく、1999年に設立された(設立当初の名称は「キッズアースホーム タイランド」)。そして現在は、企業や個人の寄付、ボランティアやNPOの支援に支えられ、運営されている。
 ちょうどその設立の折、タイに旅行することが多かった名取氏は、たまたまタイ在住の知り合いのドイツ人医師を通じ、タイのAIDS/HIV感染やその孤児の現状を目の当たりにし、強い関心を持った。「あとは自然に身体が動き、気がついたらバーンロムサイで孤児たちの『母親』になっていた」という。
 名取氏自身は、それまでは日本とヨーロッパを行き来しながら、デザインや編集、撮影コーディネイトの仕事に携わり、また一時期は六本木で西洋骨董店を営んでいたという人物で、ご本人いわく、「バーンロムサイに携わるまで、ボランティアや福祉というものに関し意識して考えたことも、学んだことも、弱者と呼ばれる人たちのために何かしようと思ったことも、ほとんどなかった」。
 だから、バーンロムサイの代表として運営に携わるようになったのも、「今にして思えば、自分の意思とは関係のない大きな流れの中で、いくつもの偶然が重なり合って、今の場所に辿り着いたんだと思います」とのこと。ただ、「わたくし自身はもともと人生楽しいのが一番だと思っているし、そういう点では、今の仕事や生活はものすごく楽しい。ボランティアっていうと、人のために自分を犠牲にして、みたいなイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、バーンロムサイでの生活はぜんぜんそんなことはなくて、楽しいし面白いし興味深いことが毎日たくさん起きる。
 その意味では、別になにかものすごい立派なことをしているわけではなく、たまたま自分に合った場所に辿り着いて、そこで自分のできることをしているというだけかもしれません」と、名取氏は語る。


tree バーンロムサイはひとつの家、
ひとつの家族

 名取氏の言葉を借りれば、「バーンロムサイとは、ひとつの家、家族」だ。むろん、子供たちにはすでに実の親はいないわけだが、その代わり、名取氏をはじめ親代わりとなるケアスタッフたちの愛情に包まれて育っているし、もちろん年齢が達すれば、そこから学校にも通う。そして子供たちにはもちろん夢があって、それは大学で勉強したい、医者になりたい、空軍のパイロットになりたい、海軍の兵隊さんになりたい、絵描きになりたい、踊り子になりたい、お母さんになりたい等々さまざまだが、どの目も未来に向けて輝いているという。
 「バーンロムサイのやっていることっていうのは、そうした子供たちの夢やもって生まれたなにかを見極めて伸ばしてやったり実現に向けて力を貸したりということ。その点では、ごく普通の家庭と同じだと思っています。なんていうか、その子が自信を持って生きていけるように道を探すお手伝いというか。わたくしもひとりですが自分の子供を育てた経験から、そんな風に思いますね。
 やっぱり自分に自信が持てること、それから自分たちが成長する過程で人に愛されたこと、そのふたつがあると、今後生きて大人として生活していく上で、楽だと思うんですよ。それは要するに親の役割だから、わたくしたちは子供たちの亡くなってしまった親になり代わり、そういう愛情を注いでいるだけだと思うんです」と、名取氏は語る。
 ただ、そうはいっても、現実的には子供たちはHIV感染者であり、いつAIDSが発症するのかわからない状態にあるのも事実だ。しかし名取氏はきっぱりと、「わたくし自身は、あの子たちが死ぬ運命にあるとは思っていません」という。確かにバーンロムサイの子供たちはHIVという重い宿命を抱えているわけだが、発症してはじめてAIDS患者になる−すなわち死と直面する。したがって「そうならないよう十分ケアする、というのが基本的な考え方」、つまり最初から「死に行く子供の面倒を見ている」のではなく、「子供たちがちゃんと大人になることを前提に育てている」というわけだ。
 たとえばタイ人スタッフも、日本から来ているボランティアのスタッフも、「自分ちの子供、という感覚で接して世話したり遊んだり、悪いことすればきちんと叱ったりしてますから。そういう意味ではあの子たちは幸せに暮らしていると言ってもいいのではないかと思います。単純には比べられませんが、たとえば親の都合や希望で勉強させられたり塾や習い事で忙殺されている子供が多い日本の事情を考えてみると、うちの子たちのほうがむしろ幸せかもしれない、と思うこともあります」。


tree 一番心を痛めるのは
「告知」の問題

 むろん、衛生面などでタイ人スタッフと意見や感覚が食い違うという苦労もある。掃除の仕方ひとつとっても、タイと日本では習慣や方法が違うし、衛生感覚も異なる。「あの子たちはとにかく、HIVに感染していない子供に比べたらあらゆる病気、怪我から守らなければならないわけですから、その点ではずいぶん衝突はありました。もっときれいに掃除せい! とか(笑)」。また日本から来たボランティアスタッフとも、子供の世話やボランティア感で議論になることもあるという。
 ただ、名取氏にいわせれば、そんなことは苦労だとは思わないという。「別にどんな日常にも、いろんな問題はあるわけだけど、解決できない問題ってほとんどないと思うんです。それに、なにか問題があって、それを解決していくから、生きていて楽しいわけでしょう?
 あとたとえば、タイの人は時間感覚が日本に比べれば緩い人たちですけど、そういうのを気にしてギスギスしてもしょうがないし、合せても構わないところは合せてしまう。それで自分のプライドが傷つくわけでもないし。わたくしは16のときから海外にいた所為か、日本人としての自分のものさしのようなものを持っていないというのもありますけど(笑)。まあその辺は、よそのお宅にお邪魔したらそこのルールに合わせるのと同じですね」。
 また仏教国のタイでは、輪廻転生という死生観が人々の間に根付いているが、「それも最初は、生まれ変わればいいんじゃなくて今幸せに生き延びることが大事なのに、と思ったこともあるけれど、現在はある国や土地にはその国や土地で一番生きやすい生き方や考え方があるわけだし、タイで暮らしていたら輪廻転生もあるのかな、という気にも実際なってくるんです。だから、必要以上に無駄に衝突するのは、あまり意味ないかな、と思っています」。
 そんなバーンロムサイの日常の中で、名取氏が一番心を痛めているのが、子供たちへの告知の問題だ。いうまでもなく、HIV感染者は、ちょっとした病気や怪我でも命取りになってしまう可能性がある。また、不注意なセックスで相手に感染させてしまう危険性だってある。したがって、万一HIVキャリアになってしまった場合は、基本的には自分自身がそのことをしっかり意識する必要があるわけだが、感染自体も自らの責任ではなく、また年齢がまだ10に満たない幼い子供たちにとってみれば、自分がHIV感染者だということ、またその事実の重さを咀嚼し理解することは、かなり難しい。
 それについて名取氏は、「わたくし自身は、最終的には本人たちにきちんと告知すべきだとは考えています。子供たちの中にはそろそろ思春期を迎え、自分のやりたいこととしてスポーツを挙げている子も出てきていますし、またタイの子供たちは比較的早熟ですから、性愛の体験だってそう遠い将来ではないと思うので、きちんとした認識は、いつかは必要でしょう。
 ただ現在は、まずタイ人スタッフ全員が告知に反対しているという点がひとつ。やはりどうしても言葉の問題やコミュニケーション、文化の違いはありますから、こうした微妙なお話をする際は、タイ人スタッフに頼らなければなりませんし。またやはり、子供たちに対しても事務的に伝えれば済む問題ではなく、ひとりひとりの性格や問題を捉え理解する能力によって伝え方を考えなければなりません。ある意味、子供たちの今後の生き方を左右するわけですから。この点も、告知すべきかどうか、するならどういう方法でするのか、非常に悩ましいところです」と語る。
 もっとも最近では、共に暮らす仲間の死を通じて、死というものについて子供たちと一緒に深く考える機会も出て来ていたり、名取氏の中では「まずはHIV、AIDSというものの存在を教え、そこから少しずつ具体的な話に持っていく」という方法も考えているとのことだが、いずれにせよ、結論を出すのはまだ先とのことだ。バーンロムサイの中には、これまでも亡くなっていく子供たちはいて、その死を見送るのも悲しいが、今生きて未来を信じている子供たちに病気の事実を隠していたり、その事実を伝えることを考えることも、バーンロムサイの生活の中では最も辛いことだと、名取氏はいう。


tree 幸福かどうかは
人生の長さだけでは測れない

 ただ、「辛いとき=不幸、だとは思わない」とも、名取氏はいう。「辛いときって、特になにも問題がないときよりも、自分というものを強く意識しますよね。だから、確かに子供たちが、AIDSが発症して亡くなっていくのを見るのも辛いし、さきほど申した告知の問題に思いを巡らせるのも辛いといえば辛いけど、自分に関していえば、不幸な、報われない境遇にいるとは思っていません。やらなきゃならないことはたくさんありますしね」。
 また名取氏は、「『悲惨な境遇にある子供たちになにかをしてあげている』という感覚もない」という。「不幸とか悲惨とかって、やっぱりこれもひとつのものさしだと思うんです。たとえば、子供たちの親が注意していれば子供たちがHIVに感染することもなかっただろうし、あるいは今のような境遇に生まれることもなかったかもしれない。じゃあ、生まれてしまったのは不幸だ、生まれなかったほうが幸せだったって、誰がいえるんでしょう? 死ぬことに関していえば、人は遅かれ早かれいつかは死ぬわけですし、それが早かったから、長生きしたから、だけでは幸福かどうかは測れないと思う。それは量ではなく、質の問題ではないでしょうか。
 うちの子たちを見ている限りでは、今現在はとても大らかで輝いて生きているし、わたくしたちも彼らから学ぶことはたくさんあります。もちろん、彼らはHIVに感染していない子供に比べたら早くに亡くなってしまう可能性は高いわけですが、それがいつ訪れたとしても、それまでは彼らは輝き続けるだろうし、わたくしたちもそのお手伝いをするし、彼らがわたくしたちに遺してくれることもたくさんあるはず。そう考えれば、単に不幸、単に悲惨、という考え方は、ここでの生活では、自ずとしなくなりますね」。


tree バーンロムサイと
インターネット

 ところでバーンロムサイは、現在日本人のボランティアスタッフを中心に運営されているが、そのスタッフらにより毎日更新される日記も含めた、充実したホームページも運営されている。
 今後は英語、ドイツ語、フランス語のページも制作予定だが、ホームページを活用して最もよかったことは、関心が集まりやすくなったことだと、名取氏はいう。「バーンロムサイの日常を綴った日記を毎日更新していることもあって、見ている方も一度見ると身近に感じてくださるんではないでしょうか」。実際、ホームページを開設して以来、メールでの文章による励ましや支援をはじめ、ボランティアの申し込み、物品寄付の問い合わせなど、さまざまな形のコンタクトが増えたという。またホームページ上の寄付金受付窓口を通じた寄付の申し込みも少なくない。
 この辺、日常の中でボランティア団体の活動に触れる機会の少ない人間にとって、非常にアクセスしやすい状況を作っているといえるが、名取氏はまた、「HIVやAIDS治療などの現場の声って、世の中の表に出てこないことが多いと思うんです。それが多分、HIV感染やAIDSに対する誤った知識や認識の甘さにつながっているとも思います。あるいは医療機関から発信される情報も少ないのが現状で、とりわけ子供に関する情報は治療法にせよ薬にせよ、その費用も含めてほとんど情報はありません。またマスコミも大きな関連イベントや出来事があれば取り上げるけど、普段はまったくこの話題に触れていないのが現状。だったら毎日その現場に携わっているわたくしたちが情報を発信して、いろんな意味でのHIV/AIDSに関する話題や情報、現状を提供していこう、というのも、ホームページを活発に運営している理由なんです」とも語る。
 なお、現在バーンロムサイには4台のデスクトップPCと1台のノートPCがあるそうだが、これらはいずれも有志から寄付されたもの。「今はまだ子供たちは小さいので、コンピュータを使うといってもゲームだけですし(笑)。あとはタイ語の環境を入れなければならないという問題もあって、インターネットを活用しているのはスタッフだけです。でも興味を持っている子はたくさんいますし、タイのチェンマイの郊外にいて世界を知ることができる数少ない手段のひとつですから、ぜひ子供たちにもコンピュータやインターネットを使うようになってほしいですね」。


 名取氏のお話を伺うと、HIV/AIDSの問題、そしてそこから関連してくる「生きるということ」「幸福ということ」など、我々が日常生活の中で意外と見過ごしがちな、しかし重要な、いろいろな問題が浮かび上がってくる。改めてそれらについて考えるきっかけとして、バーンロムサイの活動に、(たとえばホームページを見てみるだけでも)触れてみてはいかがだろうか。
 そして、自らの努力で未来を切りひらいて行くという思想とは、一見違う場所で生きている人達が、私達に何か大きなことを教えてくれるかもしれない。

text by : 渋谷並樹

名取美和さん
第2回「UNDER THE TREE 展」
ガジュマルの木の下の小さなクリエーターたち


タイ・チェンマイHIV感染孤児と日本人アーティスト


2002年11月29日(金)〜12月4日(水)
 11:00〜19:00(最終日15:00まで)
AXISギャラリ−
 東京都港区六本木5-17-1 AXISビル4階
 03-3587-0318
「バーンロムサイ」の子供たちの絵を展示
かつて「バーンロムサイ」を訪れた日本人アーティスト、奥野安彦(カメラマン)、尾藤菜々子(アーティスト)、山片 陽(カメラマン)の3氏は、子供たちの生活を自分たちの作品として記録、表現しただけでなく、絵の制作や写真の撮影なども子供たちに教えた。また子供たちも絵を描き写真を撮る楽しみを覚え、明るくクリエイティブな毎日を過ごしているという。そこで生まれた子供たちの作品を展示するのが、本イベント「UNDER THE TREE 展」。また、日本のアーティストと「バーンロムサイ」の子供たちのコラボレーションともいうべきイベントでもある。会場では、子供達の作品を購入することもでき、売り上げは施設運営にあてられる。なお、去年に引き続き2回目の開催となる。


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