不可能を可能にしているのは60%の確信と40%の職人的アドリブ

“誰もやらねえこと”は、当然前例がないわけだから、そうした仕事を請けるのにはそれなりの覚悟や不安、見極めが付きまとうだろう。その点、岡野氏はどのように捉えているのだろうか。

「まず最初に“こんなものを作ってほしい”という依頼を聞いて、60%可能だと思ったら請ける。職人としての長年の勘で、どれくらいの確率で可能なのかは、大体わかるんだ。で、あとの40%は、いってみればアドリブね。実際に手を動かしながら、完成させていくわけだ。あたしの場合、もう頭の中と機械が直結しているようなもんだから、図面なんかなくても手を動かしていれば、だんだんどうすればいいか、解決が見えてくるから。
 そりゃ、あたしにみつ豆作れとかラーメン作れとかいうみたいなさ(笑)、そういう場違いな注文とか、よそでもやっているような仕事は断らせてもらうこともあるけど、そうじゃなければ大体の仕事は請ける。
 それに、あたしのところに来る仕事は、病院の話にたとえていえば、どこの大病院でも断られた患者が運び込まれるようなもんなんだよ。病院だってそうでしょ? へたな病院に行けば命が助からない場合もあれば、うまい病院に行けば助かることもある。どこに行ってもできねえっていわれたから、岡野さんなんとかしてくれ、と来られたら、助けないわけにはいかない。だからあたしは、いつも“なんで最初からうちに来ねえんだ”って怒るんだけど、相手も“だってこんな小さいところ、なかなかわかるもんじゃないよ”っていうんだよ(笑)。そんな感じで丁々発止やってますけど、そのほうが仕事してても面白いしね。」


岡野氏が見る“技術立国”日本の行方

金属のプレス加工の分野で、次々と不可能を可能にしてきた岡野氏だが、その一方で、かつて技術立国と言われてきた日本の現状を鑑みると、大企業の下請け、孫請けという立場で日本の工業の中小の町工場が、衰退の一途を辿っている現実もある。最後に、東向島から最先端技術の動きを眺め、実際に肌で感じているだろう岡野氏に、日本の現状と未来をどう見ているのか、伺ってみた。

「まずね、町工場、中小企業っていったって、いろんなポリシーを持ってるわけだから、一概には言えねえけどさ、やっぱり技術とかノウハウとか、自分の仕事を絶えず磨いていかないとだめだよな。同じことばっかりやっているようじゃ、あとからそれを始めたところに敵わなくなってくるわけだ。工業に関していえば、より人件費の安い中国やアジア諸国が本気になってきてるわけだから、このままではどうしても、先行きは危うい。
 実際、こうしていろんなメーカーと日々付き合って話を聞いているから、こんなこといっちゃ申し訳ないけど、多分政界のお偉いさんなんかより、よほど日本経済のことはわかっていると思うんだけどね(笑)。その立場で言わせてもらえば、小さい工場のことを大事にしてこなかった国や大企業にも責任はあると思う。うちの場合が顕著だけど、すでに確立した技術やルーチン化した仕事だけでは足りないものが、今は求められている。でもそういう仕事に柔軟に対応できるのは、大企業じゃなくてうちみたいな小さい組織なんだよ。それをみんなわかってないから、職人も町工場も育たなくなっちゃったんじゃないかな。
 職人ということでいえば、あたしもできれば自分の培った技術やノウハウを次の世代に託したいとは思う。うちもね、あたしの娘の旦那が入ってくれて、あたしは70近くなってパソコン面もないと思ってるから昔ながらの手法で仕事しているけど、もともとカメラメーカーの技術屋だった娘の旦那ががんばって仕事を覚えてくれたお陰で、コンピュータを使ったより高い精度を求められる仕事もこなせるようになった。そんな風に、次の世代があたしらの仕事を引き継いだ上で、より発展させてくれればいいとは思うんだけど、そうはいっても覚える気がないやつに仕事教える気にはならないな。昔は職人っていうのは、見習いで入るときは親が一年分の米を持たせたり資金を持たせたりして“うちの倅を育ててやってください”っていうのが普通だったけど、今はそうじゃないでしょ? もちろん、実際に米持って来いっていうわけじゃないけどさ(笑)、それくらいの気構えを持って入ってこないと、なかなか一人前にはならないっていうことね。
 我々の、職人の仕事っていうのは、これでいいっていう終わりはないんだよ。でも、そういう風に努力しなくても、今の世の中そこそこ食っていくことはできるから、やっぱり職人はなかなか育たなくはなっているよね。天ぷら屋だってお客の前で天ぷら揚げられるようになるには15年はかかるわけだし、一人前の職人になるにはどうしたって時間はかかるわけだから。
 でも、一人前になるっていうことは、自分が得するっていうことなんだよ。人が得するんじゃなくてね。腕に技術を着ければ、リタイヤとか定年とか関係なしに、やろうと思えば一生仕事に携わることができるんだから。その上で新しいことにチャレンジしていくのが、どんなに面白く、素晴らしいことなのか。それをみんなが、国も大企業もわれわれ中小企業も、あるいは親も子供も、もう一度きちんと考えるようになれば、日本ももっと明るくなると思うんだけどね。」

今回伺ってきた岡野氏のお話は、“職人”の立場でのお話ではある。だが、“人と違うこと”をやろうとしてきた結果として、不可能を可能にしてきた道程での発想、努力、眼差などは、なにも金属加工の職人にだけでなく、広く一般にあまねくヒントを与えてくれるものだろう。

text by:前田寿一


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岡野工業ホームページ

http://plaza14.mbn.or.jp/~seagull_to_okano/



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