Macintoshがいろいろな場面で使われていることは、今さら改めていうまでもない。だが、洋画の手描き字幕制作の第一人者である父の仕事を、その息子が支えるのに、Macが重要な役割を担っているというストーリーは、本誌読者のようなMacユーザなら、ちょっと興味を覚えるのではないかと思う。そして、実際に話を伺ってみると、単に子が親の仕事を継ぐ、というだけではない、いろんな意義がほの見えてきた。父の世代から子の世代へ、ある“文化”が受け継がれる中で、Mac、コンピュータがどんな役割を果たしたのか、字幕制作という仕事を縦軸に、追ってみたい。


2002 WARNER BROS. HARRY POTTER CHARACTERS, NAMES AND RELATED INDICIA ARE TRADEMARKS OF AND WARNER BROS. ALL RIGHTS RESERVED. HARRY POTTER PUBLISHING RIGHTS J.K. ROWLING.
佐藤英夫氏 1938年東京都港区生まれ。大学卒業後、翻訳プロダクションに入社。字幕制作会社2社を経たのち、1995年に独立し、自宅で映画字幕タイトルプロダクション「Advanced Media Laboratory」を立ち上げる。日本の映画字幕制作では、第一人者。
佐藤武氏 1969年生まれ。大学卒業後、(株)日立超LSIシステムズに入社。エンジニアとして働く一方で、父英夫氏の描き文字のデジタルデータ化に着手。映画「ザ・ハリケーン」の字幕制作を期に、フォント化も手掛ける。2002年日立超LSIシステムズを退社し、本格的に字幕制作の仕事に携わる。

洋画と日本の観客を結ぶインタフェース

映画の字幕というのは、いわば空気のようなものといってよいだろう。我々は、海外の映画を観るとき、英語やその映画を作った国の言語に明るくない限り、字幕か吹き替えのお世話になる。だが、吹き替えの場合は“誰が吹き替えているか”、つまり誰の声色なのかが否応なしに印象に残るのに対し、字幕の場合は翻訳者の名前こそクレジットされるものの、“文字の声色”ともいえる字体については、誰が書いたかのクレジットもないし、観ている側に意識されることもほとんどない。
 いやむしろ、字幕の文字には意識されてはならないという宿命がある。映画の主役はあくまでも絵であり音でありオリジナルの役者の台詞回しであり、字幕はあくまでその国の言葉に明るくない観客が、その映画の理解を深めたり面白さを見つけるためのきっかけを与えるガイドのような役割だ。ガイドが主役より目立ってしまったら、それこそ本末転倒。映画を観る意味が違うものになってしまう。
 だが、そうはいっても、我々の多くは字幕のお陰で、外国映画という海彼の文化に触れ、その豊穣さを吸収してこれたわけで、やはり字幕の存在は大きい。そうした字幕の独特の存在感が、普段呼吸を意識することはないが確実に我々が生きることができるのに欠かせない空気のようだ、と思わせる所以である。  タイトルライター、すなわち「字幕文字の書き屋」として40年を超えるキャリアを持つ佐藤英夫氏は、いわばその“空気”を創り出し、洋画好きに供給してきた人物だ。海外のTV映画が日本で劇場公開される際などの短編映画を多く担当した修行時代を終え、一人前の職人として長篇映画の字幕制作に携わるようになってから数えても2,500本に及ぶ洋画の字幕を手掛ける、この世界の第一人者である。
 一人立ちしたのちの最初期に手掛けた作品を挙げただけでも、「ドクトル・ジバコ」(1965年アメリカ作品。デビッド・リーン監督)、「マクベス」(1971年イギリス作品。ロマン・ポランスキー監督)、「時計仕掛けのオレンジ」(1971年イギリス作品。スタンリー・キューブリック監督)、「永遠のエルザ」(1972年イギリス作品。ジャック・コーファー監督)などなど有名な作品名が立ちどころに並ぶし、ほかにも「007」シリーズ、「ダーティ・ハリー」(1971年アメリカ作品。ドン・シーゲル監督)、最近なら「タイタニック」(1997年アメリカ作品。ジェームス・キャメロン監督)、さらには「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(2002年アメリカ作品。クリス・コロンバス監督)などなど、携わった作品を伺えば誰でも名を知る作品が次から次へと出てくる。恐らく日本人なら、佐藤氏の手による字幕を読んだことがないという人のほうが少ないだろう。


実は佐藤氏の伯父が、かの高瀬鎮夫氏。字幕翻訳者の草分けのような人物だ。子供の頃から映画、取り分け「総天然色の」洋画が好きだった佐藤氏は、好きな映画の仕事に就きたくて、伯父高瀬氏の事務所で働くようになる。
 最初は高瀬氏と同じく字幕翻訳の仕事も目指したが、実は佐藤氏にはレタリング、描き文字という特技があった。そこで片手間に手伝うようになったのが、映画の字幕の描き文字の仕事。見よう見真似で先輩の仕事を手伝っていたところ、その先輩が身体を壊し入院したことをきっかけに、字幕制作に本格的に取り組むようになった。
 佐藤氏が「一人前になった」と語る1970年代は、字幕の制作といえばまだ手描きが主流。輸入したフィルムに字幕を焼き付ける方式が、ネガからポジに変わり、そうした時代の変化に応じて、文字を描く方法もさまざまな変化を遂げた。たとえば最初の頃は黒いポスターカラーを塗ったカードに白い文字を筆で描くという方法が、ネガが増えて来るとカラス口やロットリングと道具も変わり、白いカードに黒い文字を描くようになり、また文字自体も、本編のフィルムに凸版で穴を開ける「パチパチ」と呼ばれる方式では、文字が潰れないよう文字を構成する線と線の間を微妙に空けたりなど、さまざまな試行錯誤があった。
 だが、40年のタイトルライターの活動の中で、一貫して腕を磨いてきたのは、「主張せず、しかしすっと頭に入る文字のバランス」だという。先にも述べた通り、字幕は主張しないのが基本だが、それはいってみれば、読むことを意識しないでも頭に入る、ということだ。たとえば同じ1行13文字の字幕でも、バランスが悪ければ文字を追うのに苦労するし、バランスがよければ一瞬目を留めるだけでそのシーンの空気や意味合いまで頭に入る。
 むろん、一言でバランスのよさなどといっても、それを実現するプロの技はさまざまだ。たとえば横書きの字幕の場合、字幕は画面の横幅に対しセンタリングの配置になるが、漢字とかなのバランスに応じて、微妙に左右にずらす必要がある。そうした“計測した中央”ではない“感覚的な中央”を素早く捉え、その通りに文字を描くというのも、佐藤氏の“技”の一例だ。あるいは漢字とかなの分量のバランスに応じて、漢字とかなの大きさのバランスを変化させるなど、字幕を観客に意識せず読んでもらう工夫を挙げれば枚挙に暇がない。また佐藤氏は、「ごく希にだけど」という前置きをしながらも、「どうしてもいいバランスにならない場合、翻訳者の方に“こうすれば読みやすくなりますよ”というサジェスチョンをすることもある」という。


要するに字幕制作とは、ただきれいな字を描くだけではない、映画のスクリーンの中の、控えめだが重要な要素としての文字を描く仕事だといってよいだろう。1980年代中盤以降、制作期間のかかる(1本仕上げるのに1,000〜2,000枚を超えるカードを描くため、1カ月前後の制作期間が必要な)手描き字幕に比べ、短期間かつ低コストで字幕制作が行える写植方式や、あるいはフィルムに直接レーザーで文字を描き込むレーザータイトラー方式など、機械化の方向に字幕制作が変わっていった中で、佐藤氏の描く文字が変わらず支持されてきたのも、手描きだからこその意義―いわば洋画と日本の観客を結ぶインタフェースとして優れた点―があったからだと思う。
 実際、過去の名画がどんどんDVDでリリースされている現在、DVD化に当りあえて佐藤氏の文字を字幕に採用するというケースも少なくない。いくつか例を挙げれば、ジーン・ケリー・ミュージカルの傑作「雨に唄えば」や、19世紀パリの風俗を描いた映画史上に残る人間絵巻の名作「天井桟敷の人々」といったDVDも、佐藤氏の文字による字幕が使われている。そして、こうしたDVD化での字幕作成や、新作洋画での佐藤氏の手描き文字の採用を陰ながら支えているのが、実は佐藤氏のご子息、武氏だ。
 小さい頃から父の仕事を見てきた武氏は、一方で中学生の頃からコンピュータ少年。「スーパーインポーズ機能があったから」という理由でシャープのX-1を手に入れたが、実際は画面に字幕を出す機能よりも、さまざまなプログラミングに夢中になり、そのまままっすぐ理系の道を歩んだ。そして、大学卒業後(株)日立超LSIシステムズに入社。エンジニアとして仕事に携わるようになったわけだが、その一方で、父英夫氏の「もう字幕も手描きの時代じゃなくなってきたなあ」という呟きを聞いた。ちょうど、字幕の世界に写植方式が台頭してきた時期だ。
 「それを聞いて、ごく単純に、じゃあもったいないからデジタルデータにしておこう、いつかまた使い途があるかもしれないから、と思ったんですね。で、スキャナを買ってきて、家のMacで取り込みを始めたんですよ。そのうちに、データ化するんだったら、いっそのことフォント化すれば、親父の仕事も楽になるし、自分も親父の仕事を手伝えるな、と思ったわけです」と、武氏。ちなみにMacを選んだのは、会社で親しんでいたからだが、「日立ももちろん自社製のコンピュータを持っているわけですが、それでも資料作成など仕事によってはMacを使う。それだけ表現力が凄いんだな、と思いました」。
 さて、日本語の2バイトフォントというと、Mac OS X以前ではJIS第一水準と第二水準の漢字を併せて約7,000文字くらいとなる。だが、映画字幕は“誰でも読める”という前提条件があるので、ほとんど第一水準の漢字で済んでしまう。そこで「取りあえず、必要な文字だけを作り始めました。ちょうど親父が『ザ・ハリケーン』(1999年アメリカ映画。ノーマン・ジュイソン監督)という映画の字幕の仕事をしていたときだと思います」。
 一文字ずつのデータの作成に関しては、元々の字母がきっちりとあるだけに「それほど苦労はしなかった」とのことだが、「でも、当時は2バイトの日本語フォントのデータをひとつのスーツケースにまとめるロールアップツールが、一般に市販されてなかったんですよ。それを探して手に入れるというのが大変だった」(武氏)という苦労もあった。これに関しては、フォント関連ツールを多数扱うソフトウェアベンダーであるエヌフォーメディア研究所の協力で解決したが、もうひとつ、「実際に他の映画の字幕もフォント化してやろうと思うと、まずフィルムに字幕を書き込む方式で2種類、ヴィスタヴィジョンとシネスコープで2種類、イタリックでさらに2種類、おまけに縦書きやら配給会社の好みやらで、結局何10書体ものフォントを作るはめになりました(笑)」という苦労もあったという。ちなみに佐藤氏親子が手掛けた最新作である「ハリー・ポッターと秘密の部屋」では、通常の台詞用、ナレーションなどのためのイタリック体のほか、おどろおどろしい台詞のための文字や呪文用の文字のフォントもわざわざ作成し、(あくまでも本編の邪魔にならないようにだが)映画の雰囲気の強調に役立てたところ、配給会社からはかなりの好評を得たそうだ。


だが、一度フォントがある程度できてしまえば、あとの作業はゼロからの手描き時代に比べれば格段に早い。翻訳者からの原稿はWordなどのワープロファイルやテキストファイルで上がってくるので、それをあとで加工しやすいように適切なフォーマットに整形したのち、ファイルメーカーProに読み込んで、シーンごとにカード化して出力。印刷した紙を配給会社に納めるまでが、ほぼ一貫したラインで行えるという。もっとも、字詰めを調整するのに特殊なスペースキャラクタを字と字の間に挿入したり、先に述べたような“感覚的な中央”を捉えるためにファイルメーカーPro上で英夫氏の目による確認、調整を行ったりなど、細かい作業は間に挟まるが、それでも1,000枚、2,000枚にも及ぶカードを一枚ずつ手で描くのと比べれば、作業効率は段違いなはずだ。
 しかし、佐藤英夫氏の描き文字のフォント化と、字幕制作にコンピュータを導入したことによるライン化の本当の意義は、作業効率の向上などではないようにも思う。もし武氏によるフォント化、ライン化がなかったら、英夫氏が培ってきた日本語手描き字幕というある意味日本独特の文化は、恐らく潰えてしまっただろう。残酷なものいいかもしれないが、それは予算や制作期間など諸々の条件を考え併せれば、仕方のない事実である。もしそうなった場合、映画の字幕は多分、ゴシックや明朝などの写植文字一辺倒になっただろうが、そういう状況を想像するに、洋画鑑賞が少し味気ないものになりはしないか。非常に微妙な問題ではあるが、我々がこれまで慣れ親しんできた手描き字幕という“洋画と日本人とを結ぶインタフェース”が失われていくのは、映画ファンとしてはやはり寂しい。
 でも、武氏がコンピュータを駆使してあるひとつの答を見い出したことで、英夫氏の描き文字は、後世にまで残ることだろう(DVDでの字幕入れなどは、すでに佐藤氏親子の手を離れ、配給会社側が“佐藤フォント”提供を受けて制作を行っている)。そして、コンピュータがこういう意義ある使われ方をしたというところに、この“親子二代字幕描き屋”というストーリーの妙味があると思う。
 「それで、なんだかんだ理由を付けてね(笑)、武はすぐ新しいコンピュータを買おうするんだ」
 「中古ばかりですけどね。でも、今日取材があるというんで、新しいG4を買おうかと思ってたんですよ(笑)」

text by:渋谷並樹




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